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母である孤独

しんどい。
わたしの気持ちにぴったり当てはまる表現といったら、これだ。

このしんどさは、なんだろう。なんでわたしはこんなにしんどいんだろう。
優しい夫、かわいい子どもが二人、専業主婦をしていて、なぜ「しんどい」と言えてしまうのだろう。

甘えじゃないか。ないものねだりだと罵倒されてしまうかも。
それを甘んじて受け入れなければいけない気がする。わたしなんかが、反論してはいけないように思われた。

でも、しんどい。力が出てこない。
特に、夕方以降は気の落ち込みが激しかった。これ以上がんばれないのに、子どもをお風呂に入れなければならないし、食洗器のない国で食べ終わった皿を手洗いしなければならない。



家事・育児の解像度を上げれば、この大変さを理解してもらえるのだろうか。
いや、どこまでいっても「所詮、家事・育児でしょ」と笑われておわりだ。

そもそも、誰に理解してもらいたいのか。夫? 社会?
理解してもらって、それで?

……これ、見覚えがあるな。
わたしは一年半前、第二子育休から復帰したときのことを思い出した。そうだ、これ、ワーママの、パートナーに対するそれとまったく同じじゃないか。

あの時も、どんなに大変かを夫に知らせようとして、自分の家事をすべて洗い出してみたのだった。
それは、頻度を縦軸、夫婦の負担割合を横軸としたマトリクスに綺麗に表現された。

どの家事・育児も、わたしに寄っていた。その表を見たわたしは、結局、夫に提示することはしなかった。話し合うときの様子が目に見えてわかったからだ。

可視化したって、話し合いにはならない。事実の殴り合いでは解決しない。


でも、責めたいわけじゃないんだよ。
お前も私と同じだけの負担をしろ、仕事一辺倒から引きずりおろしてやるなんて、思っちゃいない。
解決したいだけ。助けてほしいだけ。
だから、一緒に考えてほしいんだよ。


もっと絶望的なことに、問題はパートナーだけじゃない。
社会で叫ばれている内容が、まわりまわって自分に向けられているような錯覚に陥った。

子育てを優先してキャリアが積めなければ「自分で選んだんでしょ」と言われ、
キャリアを優先して子育ての時間がとれないと嘆けば「自分で選んだんでしょ」と言われ、
そもそも子どもを持ったことだって、「自分で選んだんでしょ」と、きっと言われるんだ。

深みにはまると、日常のすべてにおいて嫌な面しか目に映らなくなる。

ちっとも言うことを聞かない子どもたち。
夫は休日も仕事に忙しく、平日はいわんや。そんな状態の彼に、相談なんてできるはずがない。

実家も遠い。話を聞いてくれる自治体なんか存在しない。

「だれかたすけて」と、言えたらいいのに。


……。
だれに?
ていうか、それ言ったところで助けてくれるの?
自分でさえわからないしんどさの正体に、だれが向き合ってくれるの?



母であるとは、なんと孤独なことだろう。
わたしは悲しくなって、皿を洗いながら、少しだけ涙が出た。

わたしの足元に来て、二歳の子が叫ぶ。「今日のデザートは、りんごだよね!!!」

ああ、そうだ。今日は、スーパーで久しぶりにりんごを見たから、買ってきてしまったのだ。
タイに来て初めて食べるりんご。
皮をむくのが面倒くさい。「今日はバナナを食べてね」とわたしが言っても、息子は納得しない。「りんごの やくそくだよ!!!」

上の子が気を遣って、「太郎くん、今日はバナナを食べようね」という。わたしは、母親の様子を気に掛ける上の子が不憫になって、自分の心をぐっと押し込めて「いいよ、りんごを剥こうね。」と努めて優しく息子の頭を撫でた。

久しぶりのりんごは、1個89バーツ、日本円にすると390円もした。高い。山形から直送の、いたって普通のフジだ。
息子は、物心ついてから初めて見るりんごの皮むきを見て「すごいねぇママ、早いねぇ!!!」とよろこぶ。

りんごを8つに切って、2つずつ皿に盛った。フォークと共に子どもたちに授ける。ようやっと嵐が去り、わたしもキッチンに立ちながらりんごを一口噛んだ。


おいしい。
胸の奥でじわじわと血液が沸き立つ。ああおいしい、日本の味だ―――。


不思議なことにわたしの孤独は、ちょっとだけ、薄まった。


誰にもわかってもらえない孤独。自分にしかわからないしんどさ。
それを癒すのは、わたししかいないのだろう。
もしかしたら、そのしんどさを解明したいがために本を読み、ひとと話をしているのかもしれない。

母であるという孤独。なんとも形容しがたい、この感情の行方は。
孤独を解消したいのか、共感してほしいのか、背負っていたいのか、分担してほしいのか。
そのために、なにをすべきか。なにをしてほしいのか。

自分でも、全然わからない。ただ、確実にこの孤独はそこに「ある」。
いまは、その存在を認めることしかできない。

それでも、可能ならば、同じように孤独を抱えている人を救いたいと思う。
こんな想いをする人は少ない方がいいし、この正体不明の孤独に命を差し出す必要なんてないからだ。

いまのわたしにできることは、わたしの物語をここに置いておくこと。
無数の例示のひとつとなって、これがたまたま届いた方の孤独が、少しでも和らぐことを願って止まない。



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まみ┆元管理職、キャリアブレイク中
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