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わたしにとっての寄付。

寄付のことをしていると、一番言われることは
「すごいですね。」

「いやいや、凄くないです」
というと嫌らしい謙遜っぽいし
「ありがとうございます」 
と言うと自分の中でむちゃくちゃ違和感。


そんなモヤモヤを抱えながら、
「何かすごくないといけないんじゃないか」とか、 
「何かちゃんとしないといけないんじゃないか」と
自分を鎖で縛る感覚があって、
やりたくてやっていたことが自分自身を
窮屈にさせていることに気づいた。

声掛けてくれる人、関わってくれる人を
裏切ってはいけないという思考の鎖。
抱えていたモヤモヤは、この鎖に気づいていなかったから。

この寄付わたしにとっての寄付について考えた。

なんでわたしはチャリティーイベントを始めたのか?
なんで寄付ブランドを始めたのか?
なんで寄付マガジンを発行したのか?



わたしにとって寄付ってなんやろ?

寄付はわたしがやりたかったことを叶えてくれる、
挑戦させてもらえる場所だ。

例えば、
・商品を作ってみたい
・雑誌編集者にも憧れていた。いつかカッコイイ雑誌を作ってみたい
・子どもたちの絵や文字ってめっちゃカワイイやん!最高のデザイン!→これをデザインとして起用したらええな。→子どもでも自分の好きで誰かが喜んでくれることを体験し、おまけにお小遣いもGET出来る場所があったら最高やな
・障がいを持つ人のアート性、クリエイティブさってすごいな!もっとオシャレに起用される場所があると最高やな
などなど。
寄付ブランドで商品を作ることでこれらの思いを叶えさせてもらっている。


ただブランドを作るのでなく、なぜ寄付ブランドなん?

それは息子の小児難病発症が出会い。
病気の発症はネガティブな出来事かもしれんけれど、
これがキッカケで様々な支援団体さんのことを知ったし、
自分ごととして考えたし、感じた。
寄付が一気に身近になり、わたしの世界を広げてくれた。


寄付の可能性をめっちゃ感じた!
と同時に、寄付活動の違和感も結構感じた。
そんなことも込み込みで寄付の面白さを感じたんやろうな。
(息子の事が無かったら毎月寄付をしていたか?… 多分NOだと思う)


もし自分が何かやるなら、「全部寄付に結び付く形になったら最高やな!」
と思った。
それは、自分が感じる寄付活動の違和感を、楽しさに替えることが出来たら最高やな~~と感じたからかもしれない。

そう。これは結局、自分が楽しい、テンション上がる!ということであって、何かの為に...、誰かのために...、があまり先立っていない。
自分本位だ!と言われれば、それはそう。


だから、「○○のために」や「すごいですね」と言われるたびに、
めっちゃ違和感が沸く。
んー違和感を咀嚼すると、申し訳ない気持ちかもしれない。

「寄付」と「自分本位」は相反するもの。

わたしにとって寄付ブランドやキフマガジンは
「自分のやりたかったことを自分のテンションが上がる形でやっている。」
に過ぎない…としたら、褒められたものじゃないし、褒めてくれる人に対して申し訳なさをいつも感じているのかも。


そして何より、わたしの方が寄付にめちゃくちゃ感謝している。
寄付を通してわたしもむちゃくちゃ優しさや感謝をたくさんの人たちから頂いているから。

(見て欲しい!これは寄付コーヒーのパッケージ。ある病院施設ではパッケージを捨てず、こうやって貼ってくれているらしい。私も知らない場所でこんな事にしてくれている人がいる。(泣) 寄付コーヒーを施設の皆さんに送った方も見て驚き教えて下さいました。あったかくて泣いた。。。)


他にも直接声を伝えてくれる。
「こんな商品をつくってくれてありがとうございます」
「参加できてうれしいです」
「自分に出来ることがあるのはうれしいです」

わたしの方が、「購入して下さって、寄付ブランドやマガジンから寄付参加して頂いてありがとうございます」とたくさんお伝えしたいのに。。。


事実、寄付に関する活動をはじめて、
「あれ。世の中には優しい人ってこんなにたくさんいるの!?」と
驚いた。

ほんまに幸せやな… と思うことがたくさんある。


わたしにとって寄付は人の優しさを教えてくれて、人への信頼や感謝をたくさん感じるさせてくれる場所。
「自分たちにも出来る事ってあるよな、、、!」と自分の力も人様の力も感じることができる場所なのかな。


んーーーまだまだうまく言語化できてないけど。
これからも自分と寄付についてを深堀りしていきたいと思います。w

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