はじめて おはなし をしてきた
お久しぶりです。ごんです。
今日は初めて、スピリチュアルを受けてきました。
「おはなし」をしてもらいました。
自由気ままにお話をして、それに対してセラピストの方がレスポンスをしてくれる。
それはそのひとからみた私の深層心理を言葉にして伝えてくれるもの。
なかには、話してないのにあてられた部分もあり、驚きました。
全然わたしはするつもりもなかった過去のお話をして、気づいたら泣いてました。(笑)
とても印象的かつ衝撃的だったのは
「「お母さんを亡くすということはこんなにも悲しいことなのよ」というのを伝えたいのではないでしょうか?」
と言われたことです。
私はなんだか恥ずかしいような、えぐられたような気持になり、ウッとなりました。
私が自らそのようなことを口に出したことはないけれど、そう思っている自分は確かにいるような感覚がありました。
それは、今の自分じゃなくて、過去の自分。事故当時の自分だと思う。
そこのインパクトが強く、やはり今もそこに影響され、昔の自分を救いたいかのように遺族支援をしたいといっているんだろうと感じてます。
私にとってこのことは、恥ずかしい。醜い感じがする。
なぜかというと、何年も前の出来事で、しかも誰かが亡くなるという事象は珍しいことではないのに、悲劇のヒロインかのようにずっと自分のことをかわいそうだと思っている女々しい子どものような気がするからです。
上の3行、ネガティブすぎて、暗すぎて書いてみて自分で少し驚きました。
けれど、この話をすると私がネガティブな性格になるのは、私の当時自分に強く抱いた罪人意識が、自分の中にまだ癒されず残っているからかなと思います。
時間を薬にしてメンタルの回復をした私は、結局根本治療になっていないんだなと感じました。
社会に出る直前のこの時期に、この私の中の黒の部分は、許してあげたいなと今は感じています。
また、私は、いまは自分に向き合って、深層心理の深い海に潜りたい時期なのかもしれないと感じています。
周りの人を巻き込んで、振り回していて申し訳ないです。
ずっと「やりたい!」といい続けていても、自分の中にひずみが生まれているのを少しずつ感じていたとしても、それがなにかわからないから前と同じことを言い続けることは、たまに起きる現象です。
やりたくないことはないけれど、やりたいし価値は感じているけれど、わたしのこころがひずみを感じていて、一旦手放したいと言っているんです。
私は荷物をなるべく減らして、どこにでも飛んでいけるように生きていきたい。
私は荷物を増やすために生きてるんじゃないことは確かにわかります。
けど、「こうしたほうがいい」という誰かの意見が、気づいたら自分の意見になってたりすることもあって、気づいたら荷物が増えてます。
別にいつしんでもいいやと思った人生だったのに、なにをそんな生命維持に必死になっているんだろうと思うことがふとあります。
そのときはわたしの生きる意味を知っているこころのこえが聞こえなくなっている状態なのかもしれない。
私はこの世に生を受けて、なにかを遺すために生きているのだと信じています。
いまはそれがきっと遺族を前向きにすること、その機会を私が創ること、その機会が私が死んでものこり続けること。
それができてはじめて、生きていてよかったと死に際に言えて、罪人だと私に指をさす私の中の「黒」からも許しを受けて成仏させてあげられる気がします。
ふだんこんな「こころ」に浸っている部分はあまりみせないけれど、本当はこういう時間がとてもわたしらしいと感じるという一面をお届けしました。