母と別れる

(※これは12月ごろ、途中まで書いて下書きにしていたものなんだけど、いま読んだらどうしても書いて終わらせたいと思ったので続きを書きました)

時給300円のカフェのお手伝いをやめた。これまで、ボロボロになりながら激務に耐えている女性となぜか共依存のような関係になってしまい、わたしもボロボロになるが、ただ認めてもらいたい一心でがんばるという、地獄のような状況に何度かなってしまったことがある。

よく考えると、母とわたしとの関係を、ただ他の女の人と繰り返しているだけだった。またおまえか。もういい加減にしてくれよ。母はメンヘラだった。父と祖母はモラハラで、いつも母を責めていた。母は、嘆くことしかできない女で、すでに自分の幸せを諦めていた。そして、子供と共依存の関係を築くことで、子供を不幸の穴の中に引きずり下ろし、味方にして安心していた。

母はやさしかった。でもそれは、彼女が用意した不幸のなかにわたしがたっぷりと浸っていたからだ。彼女は、わたしが母と違う個性を持った、全然別の人間であることを認めていなかった。わたしと母の間には、秘密というものがなかった。母はなんでも、本当になんでも、わたしが聞いて傷つくことでさえ、わたしに話してきた。「おばあちゃんがあなたの悪口を言っていたのでわたしは傷ついた」「お父さんがあなたを馬鹿にしていたのでわたしは腹が立った」――。生まれた時からそうだったので、わたしはこれをあまりおかしいと思っていなかったかもしれない。ただ、気づいたときには、自分は絶対に子供を産みたくないという思い、それから母への強い憎しみがあった。それでも、さみしさのほうがずっと上回っていたから、わたしの方も、本当になんでも、何から何まで、母に話した。すべてを認めてほしくて、全部わかってほしくて、母親をまるで自分の分身のように感じていた。

しかし、そういえばいつも、わたしが少しでも彼女より幸せであろうとすると、とたんにつまらなそうな顔をし、「あっそ」と、突き放すような返事をした。そのことで、わたしは無意識に学習したのだと思う。ああ、これは、ダメなことなんだ。わたしは幸せになってはいけないんだ。自分らしく、のびのびと生きてはいけないんだ。いつも、お母さんのそばで、お母さんと同じくらい不幸でいなきゃいけないんだ。
だからといって、わたしが辛い目にあったときに猫なで声で慰めてくれたかというとまったくそうではなく、なぜか軽蔑するような口調で「私もそうだった」などと吐き捨て、より自分の過去のひどい話を話して聞かせるのだった。不幸のマウンティング。

そんなわけで、物心ついてから、女の子と話していて、その子がわたしよりも明るく社交的で、幸せそうだったりすると、「この子はわたしとはちがう」と、反発心のような、劣等感のようなものを感じるし、逆にちょっとメンヘラな不幸な子だと、「わたしが守ってあげなくちゃ」と思い、なぜか自ら召使いのような扱いになりいき、ズタボロになっていた。
どっちにしろ、女と関わると不幸になるとわたしは学習していたので、ずっと女とは関わらなかった。ところが、この間、高校の時の同級生と2回会って、やっぱり、蓋してたものが溢れ出てきてしまった。いま、母との関係を見直す必要があると思った。


彼女は、母親ではなかった。
彼女はわたしに、母親らしいことを一切してくれていない。それどころか、自分の人生の責任を取ることもできず、娘の存在に押し入り、割り込み、わたしの存在のスペースを奪い、わたしの体、心、魂、安心感、権利、自由、女性であることの幸せ、すべてを奪った強盗でしかない。
母も、そのまた母親に、存在に割り込まれてきたのだろう。そうやって感染し、受け継がれてきた存在癒着の病に、この一族全員の女が、罹患している感じがする。

どうしようもないさみしさが分厚い蓋をしているために、子どもは、この強盗の作ったご飯を食べるのだ。お腹が空いているからじゃない。でも、体の感覚なんかとうに分からなくなっている。なにか、自分の奥底から、強烈な感情が強く立ちのぼってくるけれど、それを感じてしまったら終了するからまた麻痺させるために食べ物を口に押し込んで拒絶する。そのたびに自分が自分を裏切り、置き去りにしていく。わたし、わからない。自分が何をやってるのか、自分が誰か、ぜんぜんわかんないんだよずっと。おねがい、くるしい助けて誰か。お母さん。 どうして? なんで? いい子にしてきたのに。ずっと。体の奥に麻痺しきれず残った感情が、ずっと、咆えているのだ。かなしいぐらい。わたし自身に無視されたとしても。

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