日記4月13日(火) #日記 個人的健康備忘録=GLUT4
今朝は65.4kg。体脂肪率は11.7%だったかな?昨日の夜は64.9kg、体脂肪率は9.8%(食事前)。体重65kg、体脂肪率10%位が分かりやすい維持目標となるだろうか。
健康診断を見ると、空腹時血糖値が100mg/dl位なので、これが100を大きく超えてくるようになると、糖尿病が心配となる。ここ数年は数値は安定しているようなので、しばらく経緯をみる、という感じだろうか。
糖尿病の仕組みは、あまりよくわかっていないのだが、すい臓からでるインスリンの異常か、と理解している。内臓脂肪がたまると、すい臓も肥大する(のか?)ようなので、内臓脂肪がたまらないように=太らないようにする必要がある(特に腹位)。あと、筋肉の中にあるGLUT4というたんぱく質は、筋肉に血液の中の糖を取り込む作用があるということだ。
GLUT4の活性化のために、ホルモンであるインスリンが必要になるのだが、もう一つ筋肉の収縮を伴う運動によって、インスリンなしでもGLUT4が活性化するということだ(東京医科大学教授、小田原雅人氏による)。
つまり息があがるような歩きや、筋トレを行うことで筋肉中のGLUT4が活性化し、インスリンなしで糖を血液中から取りこみだす、ということになる。
つまりは歩いたり、筋トレすると、糖尿病予防になる、ということになるようだ。→個人的健康備忘録
原因があり、結果がある。さまざまな栄養素やからだの仕組みによって、より健康になれるわけであるが、理論はあっても、自分の体で実践して実感することが、重要だと思っている。
フィジカルな力とスピリチュアルな力は、いわば車の両輪なのです。それらが互いにバランスを取って機能しているとき、最も正しい方向性と、最も有効な力がそこに生じることになります。
村上春樹 職業としての小説家 P.204
この本を読んで印象に残ったのは、小説を書くために村上氏がフィジカルな強さを意識して強化されたこと、そしてそれを習慣にして、フィジカルな強さの維持こそが、小説をコンスタントに生み出す力の源泉であることを強く意識されていたことである。
自分の中に、書きたい経験がなくて驚いた、しかしないことが逆にスタートとなり、自身のこころの奥のそのまた奥に、入り掘り進めることで、書くべきことが見えてきた、ともおっしゃっている。
前にもこの日記で(それもごく最近)書いたような気がするが、自身にどうしても小説にして誰かに読んでほしい、表現したい経験があることは素晴らしいことだ。だがそうした経験は無限にはありえない。あって数作であろう。そのあとはそうした経験を得るべく、あるいはそうした経験がえられないことに絶望しながら、無理やり生きることになる作家もいた。
いや、別に作家であり続ける必要はないのだが、モノを産み出す、という経験をしてしまうと、それを続けたい、という気持ちもまた、麻薬のように彼をむしばむ可能性がある。
自作が好評であれば、その次はもっと好評であるように。そう思うことは、結構しんどいことかもしれない。かの手塚治虫も、アトムのあとの作品では苦労したという。アトムがアニメ化され、日本国中で絶賛され、マンガも大好評であった昭和40年ころ(地上最大のロボットの掲載のころ)が、手塚の絶頂期だったのかもしれない。その後も素晴らしい佳作を連発されたが、アトムのブームを再現することはついになかったように思う。
村上春樹は、「ノルウェイの森」が200万部売れたあと、日本での雑音(最後の時期の文壇からの悪意含め)から逃れ、海外で次回作を生んだ。環境をがらりと変える。これが良かったのだろう。
村上氏の場合は爆発的ヒットにより、文壇の寵児とならなかったことがよかったのだろう。マンガと小説の、ここは世界の違いかもしれない。小説はたった一人で作るものだが、マンガは一人では困難だ。売れたあとは、アシスタントが必要だ。海外では、難しいかもしれない。
森博嗣氏も言っている。一番簡単に始められる事業は、小説を書くことだ。たった一人で始まられる。失敗しても、損害は基本的にはない(気合を入れて買った椅子は除く。また、小説家一本でいく、ととちくるって勤めをやめた場合はのぞく)。
なんだか話がばらけて来た。要するに村上春樹氏や、森博嗣氏の、小説に対する意識が印象に残った、ということで。
(話がまとまりませんでした。。日記ですが。。)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。