2月3日 今日の気づき。創造と破壊に必要なエネルギー量。
物事を始めるには大きな心理的エネルギーが必要である。
日々なにかに取り組む時さえそう感じるのだ。
社会や世界を変えようと(少なくとも)意識上で思うことは、大きなきっかけとエネルギーが個人に必要であろう。
そこのところは自身でもしみじみ感じているのだが、では破壊に必要なエネルギーは、という問いは、あまり自分の中になかった気がする。
問いがないこと自体、あるいは破壊にエネルギーがあまり必要ではない(破壊自体には必要かもしれないが、それにとりかかろうとするエネルギーは)ということを端的にあらわしているのかもしれない。
破壊は簡単に始められ、かつ内田先生の文によれば「全能感がえられる」という。
たしかに、破壊をすると、破壊者である自身が、破壊されたものよりも「偉い」気がするようだ。これは確かに「全能感」ともいえる。
一方で、破壊することは、派手で外部に伝わりやすいし、伝えることも容易だ。なので、手段としての自己アピールにもいい。
つまりは、「目立つにはよい手法」となり場合が多いのだろう。
だが多くの人がそれを行えば、世界は焼け野原になるか、あるいは少なくとも劣化するであろう。
なので、「破壊には慎重に」という知恵を生むのは、個人が目立ちたい、ということが普通の社会では、いささか困難であろう。
なんらかの形で、成熟が、必要なのだろう。
(どのように成熟を求めるか、ですね。。文化、余裕、このあたりをみんなが希求することが必要な気がします。ですが難しそうですね。。)
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