10.19 日本で働くということ。
学校では、テストで評価される「評価システム」を刷り込まれる。
小学校では通知簿、中高では今なら偏差値だろうか。
それがいいと、「将来の安定の可能性が高まる」という感覚も同時に持つだろう。
だがこの「人に評価されること」はしょうもない。
まあ、そうでなければ「おまんまにくいっぱぐれる」ようなので、仕方なく「評価されつづけた」。
そのことに対するいやな感じを解消するには「趣味」だ、そういう理解であった。
主にこの世界を精神面で離脱できる「ハイファンタジー」が好きであった。あとは「動物の世界」。ドリトル先生とか。
あとは「美」であろうか。
この世のしがらみを断ち切るには「美」かな、とも思った。
おまんまを食べるためのこの世を、こんな「趣味」で渡ってはいけないものだろうか、と模索した。だがそのためには「GIFT」が必要で、どうやらわかりやすいGIFTは自身には備わってはいない、と半ば悲し身と共にあきらめたのが大学卒業の時だったろうか。
いやなことをすることが金をかせぐこと。
この「不都合な真実」に向かい合わねば、と思ったものだ。
この評価されること=生きること、という構図は、どうすれば変わるのだろうか。もちろん「評価する側」になれると楽ではあるが、楽ではない人が多くいる。
日本では、無理かもしれないなあ。。。
(まあ、じわりと精神の進歩を待つ、ということでしょうか。。。1000年後くらい先かも)
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