注ぐの?注がないの?注がれたらどうするの?・・・超現実的スピリチュアル
人の中には特殊な循環があるんです
それは一般的な循環器を言っているのでは無く
ある意味で偏っていて誰にでも備わっていて
そして必要不可欠で唯一無二の
"変わったポンプなんです"
そのポンプは
幼い時ほど重要な役割を持っていて
無条件で注ぎ込まれないと
"将来的に困った事になるのです"
そうしないと
使い方を間違って覚えるか
無茶な使い方をして疲弊して自らを壊しかねない
ちゃんと理解したうえで溢れるほど注ぐのです
もちろんトリセツなんてありませんよ
"本能で注ぐのです"
こんなことを言うと余計に
「どの程度注げばいいのか?」
なんて戸惑いがちですが
いやいや
そんな事に囚われずにいっぱいに注ぐのです
どれほどなんてないのです
"溢れるほど注げば良いのです"
溢れ出て来ると
そのポンプは自動で動き出すのです
"溢れたら後は見守るのです"
余計なことをしてはイケません
"自己循環を妨げる事になるから"
自分の中で循環が終わるとどうなるの❓
それは自然の摂理に沿って
"必要とされる場所へと流れて行きます"
次はその子が注ぐ番になるからです
自分がそうされたように
自分以外の人へと注がれて行くのです
そして注げば注ぐほど自分の中に溢れ出し
もっともっと
人に注ぎたくなるのです
"だけど溢れたら
それ以上は押し付けてはイケマセン"
しつこい人や押し付ける人は
溢れ出してることを見ないから感じないから
"余分なものを注ぎ始める"
すると相手は苦しいから
拒否し遠ざけようとする
"これは『程』が分からないゆえに起こる
悲しい出来事です"
注ぐ方が『程』が分からないのは
その人はちゃんと注がれてこなかったから
程が分からないまま
『注ぐのだ!』とだけ理解しているからなのです
それでは行き違いスレ違いが起こり
"負の感情が
自己循環してしまうかも知れません"
ここまで来るといったい何を注ぐのか?が
だんだんと見えて来たでしょうw
では前述のように
間違って注がれたらどうなるのでしょうか?
また注がれることが無かったり
足りなかったらどうなるのでしょうか?
注がれたものを理解するどころか
束縛と感じて逃げる選択をするかも知れません
人に注ぐ時に余計なことをするかも知れません
一番起こりやすいのは
"溢れるほどに注ぐが分からない人に
なる事なのです"
ならば過不足を知るには
"まず満たされなければ基準が
分かりません"
そしてそれは感覚でしか理解できません
我々にはメーターは付いてないのですからね
幼少の頃に
ぎゅと抱きしめてもらったり
美味しい食事を作ってくれたり
一緒に泣き笑いをしてもらった
"それを何気に渡せば良かった時代は
終わったのです"
"明確に分かりやすく伝えて行かねば
なりません"
最近のポンプは少し脆弱なので
『何となく』では理解できないのです
モノが溢れ返った世の中だからこそ
形のないものを溢れるほど渡さねば
"人はちゃんとした大人に
なれなくなってしまう"
でも甘やかすのは違いますよ😉
だから溢れたら辞めるのです
適宜減ったら注ぐのです
今度は溢れないように気をつけながら
"自己循環を促して行く様に
『程』を理解して注いで下さいね"
さぁあなたはこのポンプに
何を注ぐのかイメージ出来ましたか?
ちなみに私は『愛』を注ぎません
それがヒントですね〜😉
by ケンケン
🌟皆様へ
ケンケンです!
いつも読んで下さりありがとうございます
初めて読んで下さった方もありがとうございます
皆さんのお陰で私のnoteは成り立っています
一人一人のお気持ちが挫けそうな心に
励みとなっています
宜しかったら今日もスキをお願いします🤲
フォローをお願いしますね🙏
私もあなたのところへ飛んで行きます👍
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?