天明七年のクリスマスイブ|酒の短編10
酒場で聞いた話です。
昔、人里離れた山の中に、年老いた夫婦が住んでいました。
ろくすっぽ働かず、老爺は明るいうちから茶碗酒、老婆は日がな煙管をふかしてる。到底、堅気には思われない、そんな夫婦でした。
暮れも押し迫ったある日、二人の言い争いが聞こえます。
「おう、酒が切れたぞ、町ィ行って買ってきな」
「ふん。馬鹿も休み休み言いな。正月の餅も買えないってのに、どこにそんな金があるって言うのさ」
「ぬかせ婆ア、口ふさぐぞ」
「どっちの口をふさぐ気だい?その萎びた牛蒡でふさげるもんならやってみな。こちとらとんとご無沙汰、いつでも大歓迎さ」
「相手ひとつで牛蒡も大根になるってもんよ。花魁だったら千人力、てめえ相手じゃ腐って落ちるわ」
……下品な夫婦ですね。
とは言え、正月を迎えるのに酒も餅もなければ外聞が悪い。二人は古着や履物を売って、当座をしのぐことにしました。
師走の町には冷たく乾いた風が吹き、土埃が舞っています。
手拭いで顔を覆った老爺が売り歩きますが、一向に買い手はつきません。白いものもポツポツ降りだしたので、早々に諦め家路につきます。
行きは取らぬ狸の皮算用、背負った荷も酒に変わると思えば軽いもの。それがひとつと売れずに帰るのですから、ちっとも面白くありません。
背中の重みが婆アの腰巻と自分の褌だと思うと、いっそ暖を取るために燃やしちまうかと短気を起こしかけましたが、山の手前、笠をかぶったお地蔵様を見つけ「ある噂」を思い出しました。
長年の賭場通いの勘働き、老爺は「ここが勝負所」と閃きます。真っ赤な腰巻と擦りきれた褌をお地蔵様に巻き付け、ダメ押しの草履も供えて手を合わせます。
「ヘヘっ、お地蔵の旦那。あっしはあの山の奥に住む、しがない年寄りでごぜえます。この雪ではお寒うございましょうから、襟巻きを差し上げに参りやした。先日の老いぼれは笠だけと聞いてますが、こちとら草履もおつけしますんで、ひとつお頼みいたしますです」
やがて手ぶらで帰ってきた老爺に、不審を覚えた老婆が罵ります。
「てめえ、荷物も金もないってのはどういう料簡だ。さては白粉の匂いでも嗅いできやがったな」
「馬鹿め、今晩あたり地蔵どもが酒と餅ぶら下げてやってくるから、見ていやがれ」
「……もしかしてお前さん、件の地蔵を見つけたのかえ?」
「おうともさ。こっちは腰巻に草履もつけてやったんだ。酒は剣菱か男山、下り酒でも罰は当たるめえよ」
「でかした。それなら?」
「ふん、端からその腹づもりよ」
暗い光をたたえた二人の目が、怪しく交差します。
果たしてその夜、家の外に大勢が近づいてくる気配を感じます。雪灯りか、外はうっすら明るいようです。
(ほうら来なすった)
夫婦はそれぞれ脇差と包丁を手に、土間で息を潜めます。
実はこの夫婦、急ぎばたらきも厭わない盗人だったのです。先日も町の商家に押し込み、主人夫婦と奉公人に手をかけ、二百両もの大金を奪って逃げていたのです。盗んだ金を使い果たしたことから、お礼を運んできたお地蔵様の寝ぐらをつきとめ、酒に餅、小判まで根こそぎ頂こうという魂胆なのでした。
やがて軒先まで来た気配に、得物を握る手に力がこもります。その刹那、戸が打ち破られて男たちが雪崩れ込んできました。粟田口国綱二尺二寸九分の大刀を引き抜いた、小太りの中年が大喝します。
「血衣の三太、観音のお鞠、神妙にいたせ」
見れば無数の御用提灯が雪に浮かび、刺股や突棒を持った捕手が取り囲んでいます。
「畜生、手が回りやがった」
「あんた!」
逃げきれないと悟った老爺、せめて観音のお鞠だけでも逃そうと脇差を振り回しますが、長官に切られ仰向けに事切れます。それを見た老婆は血衣の三太に駆け寄り、接吻を交わすと、自らの胸に包丁を突き立て果てたのです。
これが天明七年十二月二十四日のこと。現代でいうクリスマスイブにあった、悲しくも切ない物語です。
やがて地獄に堕ちた夫婦はお地蔵様の慈悲に救われて、サンタとトナカイに生まれ変わったそうですが、これはまた別のお話。(諸説あります)