努力の方向性|日々の雑記
オリンピック時期だからですかね。たゆまぬ努力をする人の、凛とした空気に心惹かれます。狙いを定め、目標に向かって一直線に進んでいく姿が眩しくて、不意に自分と比べてしまいフハッとなっています。
あちこちよそ見をしては、呑み過ぎて前後不覚になる私です。比較なんておこがましいですけど、この広い世界、自分以外の道しるべがなきゃ、右も左も分からず不安になるじゃないですか。
オリンピアンを北極星にしたら、そりゃ「あの人に比べてアタシなんか」って発想になりがちです。だけど彼らにしたら、そういう見られ方はシンドイことでしょうね。
本人が望まずとも、世間が求める聖人君子に仕立てられ、その裏では引摺り下ろそうとするのがこの世の常。知ってはいますが、果たしていつまでもこのままでええか、ええのんか(←誤用)と思ってしまいます。
そもそも「たゆまぬ努力」なんて、一面的な見方です。私にしたって、美味しいビールを呑むために日夜努力をしていますが、酒の守護聖人に持ち上げられる気配はありません。
なんと言いますか、人間の大概はにごり酒みたいなもんと思うのですよ。
上澄みの透き通ったとこだけを呑んでも、その味わいを理解したとは言えないですよね。ひっくり返し、底に沈んだ澱と絡めて、または温度を変えたり時間を置くことで、様々な角度から楽しむことができるのです。きっとニュースの当事者たちも、似たような状況ではないかと推測しますが、善・悪なんて単純な切り口じゃ、人類みなブタ箱です。
ですから、「たゆたう努力」ってのも必要だと思います。揺蕩う、ゆらゆらと揺れ動いて定まらない、心を決めかねるってことです。
ひとつと決めることなく、あっちにフラフラ、こっちにクラクラ、まるで甲斐性なしの浮気者みたいですが、とっ散らかるのも人の性。心に惑いを据えて暮らしていくのも、ひとつと決めて進むことに負けず劣らず、なかなかタフなことではないでしょうか。
清濁併せ呑む器に憧れます。キンミヤをホッピーで割るジョッキのことではありません。人間性のことです。
真面目なことを考えようとしても、心からお酒が離れません。
花の都で呑む酒はどんなでしょう。アントワネット様がおわしたパリ、憧れたとて、所詮は目先の酒に一喜一憂する人間。ノートルダム寺院で産湯を使い……などと嘯いたところで、きっと憧れのまま終わると思います。
今宵はセーヌ川の水の色にも似たHazyなIPAでも呑んで、溜飲を下げることにします。