郭公の件、(詩)
「郭公の件でメールしました」というタイトルでメールが届きましたとは云え、存じ上げない方からのメールなので怪しいことはあやしいのだけれど、郭公の件でというタイトルに惹かれたことは云うまでもないでしょう。実のところ、わたしはこれと云って鳥に詳しい訳ではありません。なのにわたし宛に届くのにはおおきな意味があるのでは、と推測した次第です。おおきな意思とでも云いましょうか、底知れぬもの。たとえば神と云ったらおおげさですがなんらかの力によって引き寄せられたことは確実です。であるならば、郭公になろうではありませんか。わたしは郭公です。否、わたしが郭公です。そう盛り上がったのはいいのですが、肝心の文面は白紙です。まっしろです。これにはわたし(郭公)は困りました。なにしてはるんでしょうか、こいつ。あほちゃう。死ね、カスが。と云いたいのを堪えてわたし(郭公)は内容を想像してみました。差出人はわたし(郭公)が別の郭公と浮気をしているのを知っているのだけれど、妻には云わずにまずわたし(郭公)を動揺させようとして心理戦を仕掛けているのでしょうか。敵ながら天晴なやつです。憎めませんね。おともだちになろうかしら。ところがわたし(郭公)は特に郭公と陰で付き合っていると云うことはありません、それは事実です。であるならば、わたし(郭公)のことをナチュラリストだと思って昨今の郭公の生息状況について教えて欲しい、と云うことなのかとも想像したのですがわたし(郭公)はこの通りただのサラリーマンでバードウォッチングと云うような高尚な趣味は持ち合わせておりません、それは事実です。なんやねん、むっちゃきになるやんけ。とのたうちまわっているうちが花です。そうです。判明したのです。むっちゃつまらないことなのでここでは語りません。わたし(郭公)は郭公ではありません。わたしは郭公を憎む。