置き傘問題 (詩)
置き傘問題というのはやっかいである。置き傘とはなにか、とはここでは問わないことにする。置き傘とはと云って語るのはじゃまくさいのでかっとする。カットということは怒っているのである。怒りは重要である。文学でも音楽でも創作には怒りは重要な要素である。であるが、問題は置き傘である。本日も朝はよから眠たい目を擦りつつ、取引先へ伺おうとオフィスを出ようとしたときに判明した。ああ、今日は雨の予報であったことに。わたしの特性に頭痛がある。あたまが痛いのは金銭面だけではない。気圧の変化というか谷間というすきまに入ると途端に頭が痛くなるのだ。そうなると好きなお酒も飲めなくなるが飲んでしまうのは人間の屑だからである。しかしながら屑は屑なりに生きているのである。安月給の身なれどアルコールの酔いに身をまかせたいのである。というか逃避したいのである。であるからして頭が痛い気がしたので絶対きょうは雨だろう、と踏んでいたのである。ところがわたし、無精者なので家に傘はなく、オフィスに置きっぱなしなのである。わたし、こう見えても根がまじめなもので、家かオフィスにしかいないのでどっちかに置いてあれば充分なのである。それなのにそれなのにそれなのに、ここで冒頭に戻るのである。どこかの馬鹿がわたしの傘を持ちだしたのである。返せ、わたしの傘を返せ! と云うことを反芻しながらどんよりと立ちすくむのである。