ゆみねぇ
川原卓巳プロデュースの学校0期生としての挑戦記! 裏側がわかるマガジンです。 どうぞご覧ください!
親の存在と子どもへの愛 『親は笑っているのが一番』 『そんなこと言われても無理!』 どちらが正解とか どちらがまちがっている という訳ではない 十分、親は子どもために生きている 今までも これからも 子どもが産まれた瞬間に 親となり 子どもを育てる責任が芽生える それは誰にでも起きることで あたりまえなこと 人間の赤ちゃんは 誰かの手を借りないと生きていけない 産まれてすぐに ひとりで立ち上がり ひとりでエサを見つける 動物たちとは別な哺乳類 その子がどんな
古いハードディスクを見ていたら、母親になった瞬間の日記が出てきた! 6年間の不妊治療の末、36歳で子どもを授かった時の出来事の記録です。 当時のままの表現を残しているので、絵文字をお楽しみください(笑) 判定2000年6月24日(土) 今日から日記をつけることにしました。なんと、妊娠判定が陽性だったのです。(^^)/ このところずーっと体温が高く、もしかしてと思っていたのでそんなに驚きはしなかったのですが、いざ判定し、おとーちゃんに報告し二人でちょっと照れ笑い・・・。 でも
新たな挑戦 学びを伝える機会を得た 規模は決して大きくはない 時間も60分 果たして何を伝えられるのだろう? あれも伝えたい これも伝えたい その中で選んだのは 『子どもの言動の裏に隠れている本当の意味とは』 機会は突然訪れた 今年から参加している富谷塾 こんな募集を見つけた! 学びを伝える機会 いつも反応がないAさん 人の話を聞いてるの? いつも何度も質問をするBさん お願いだから黙ってて欲しいなぁ 授業が進まないよ 普段は良い子なのに 忙しい時に限ってわ
高校3年生の進路相談で 『ミュージカル俳優になりたいです』 本気で担任に話した。 本気で思っていた 今から40年前のこと 1980年代のことだ 歌の経験もない (むしろ音を外すのが得意😆) ダンスが上手い訳でもない 中学生になった頃 親に頼んでミュージカルを観に行った 初めての生の舞台 興奮する気持ちを抑えきれず 自然と身体が前のめりになる 熱のこもった言葉や歌 身体中が痺れた 舞台が近かったので 俳優さんの汗が飛び散るのも見えた 言葉が刺さりまくる 歌
あるがまま生きる とても難しいと思っていた 仕事 環境 家族 いくつものハードルに阻まれ その都度 『やっぱり無理なんだ』と諦め こんな自分は変なんだと 周りの空気に合わせていた それでも やりたい事が次々と現れ 「不可能なんてない」 と できる範囲でもがいてた 周りからは 凄いね 行動派だね 何でもできちゃうね と言われ続け そこそこ満足していた はじめの覚悟 半径5キロ以内で生活していた 育児時代 出かけるのは買物と病院 何にも変化がない 当たり前の生活
出産後5日で退院 まだ身体も戻ってない 不安しかなかった 相変わらず母乳が出ない たまに出ても少しだけ ミルクを作る度に涙が出た 退院後は実家で過ごした 右も左もわからないまま育児が始まった 子どもは泣いて意思を表す 眠い お腹がすいた オムツが気持ち悪い なんか泣いてみた 抱っこして その度に抱っこをしたり ミルクをあげたり オムツを見たり 何度か繰り返すと何となくわかってきた 今度はミルクかな 今度はオムツかな それでも泣き止まない時がある 何をしても泣いてい
初めて子どもを授かった 6年越しの嬉しい瞬間 重いお腹で過ごす日々 早く出ておいで〜と待ち望む日々 楽しい子育てを夢見て ワクワクしていた時が懐かしい 出産してすぐに問題勃発 母乳が出ない マッサージをしてもらったが 思うように進まない ミルクを勧められ 泣く泣くミルクを飲ませる 母乳で育てたい その思いは早くも崩れた 育てたい気持ちと 育てるための知識 母親になることは簡単だと思っていた きっと 準備をしていたら 母乳で育てることができたかな もっと 本気で考えて
子育てを卒業して 自分の時間を思いっきり楽しんでいる 涙あり笑いありの子育て 今思えば懐かしくもあり 反省もある 親にとって初めての体験 親になる大変さ 自分のことだけでも一杯一杯なのに どんどん変わる子どもに対して どうしたらいいのか悩むばかり 育児本に頼っても答えは人それぞれ 親になると責任が付いてくる 親なんだから 親がしっかりしないと 親の顔が見たい つい頑張りすぎてしまう 経験から学んだこと 本やネットから学んだこと そして 4Cups式心育てメソッド🌈から
朝ごはん 朝ごはんを家族で一緒に食べるのが 当たり前だと思っていた。 何気ない会話をしながら 「今日は何をするんだ」と笑いながら食事をする そして、 「いってきます!」と手を振りながら学校へ行く それが当たり前で みんな同じだと思っていた。 それぞれの時代 「朝ごはんを食べない人がいるんだって」 当時、私が小学生だった昭和の時代では とても珍しいことだった。 「きっと、寝坊して食べ損ねたんだね」 と、笑いながら話していたのを覚えている。 「お母さんが寝坊したん
0→イチの場面に出会う事が多い。 ゼロから立ち上げるのは大変! だけど、なぜか楽しい! 何にもない所からのスタート 何から始めて 何が必要で 何を作っていくか この仕組み作りがとても楽しい! いきなりの仕事依頼 3年前、新型コロナが流行りだし、 旅行業の仕事が減った。 いや、ほとんど無くなった。 そんな時に舞い込んだコールセンターのお仕事。 それもスーパーバイザー! 断る理由がないので引き受けた。 そして、何も情報がないまま研修が始まった。 ホントにゼロから作る事に
「小学校教師を辞めて世界の学校を回ってみた」著者の細貝駿先生のお話を聞く機会があった。 2時間近くお話された内容は、とんでもなく衝撃で、とんでもなく日本の学校を考え直すきっかけをくれた。 理想と現実を照らし合わせて、自分だったら何ができるか 今まさに、私がやろうとしていること。 やらないで悔やむより、やって後悔するほうがいい ずっと心に刻んだ言葉 その中でも、私の中で一番やりたいこと。そして、やらなければいけないこと。 それは、 「よりよい学校」にするために
思い返せば、今年の2月のこと。 1000人会議をオンラインで開催するという告知を聞いたのが始まりだった。 発案者は川原卓巳さん。 ZOOM会議が国民に広がり、周りでもオンライン会議が当たり前になっていた。 そんな中、1000人同時に参加できる会議をするという。 瞬間的に申し込んでいた。(笑) 実際に聞いてみると、プロデューサーの学校を創るという内容だった。 その時は、「ふーん、すごいなぁ」程度。。。 そのあと、8時間耐久トークイベントを行うという。 オンラインサロンでお世話
読書会開催までの日々 6月22日にオンライン読書会が行われた! 川原卓巳さんの書籍「川原卓巳のプロデュースの学校」(上巻)購入者限定で、一緒に本を読みながら学びを深めていこうという企画である。 きっかけは、ゼロ期生のんちゃんの つぶやきだった。 「読書会したいです!」 その言葉にいち早く反応したのが、卓巳さん。 「よし、やろう!」 すぐに開催が決まった。 詳しくはこちら 「もう一度、読書会をして欲しい」 そんな声を受けて、読書会開催が決定した。 まず、読書
川原卓巳プロデュースの学校0期挑戦記! エピソード1 座る席は、あらかじめ決められていた。 学籍番号順だった。 ちょっとホッとした。 自由に選べる席だったら、どこに座るべきか悩むことになっただろう。 実は、会場入りする時間は少し遅めを考えていた。 先に自分が座ると、同じテーブルには誰も座ってくれない恐れがあるからだ。 なかなか誰も座ってくれない時間ほど嫌な時間はない。 後から行って、誰かが座っているテーブルを選ぶ 数々のセミナーを受けて身につけたワザだ。(他の人
40代で気付いた。 「学ぶ」って楽しい! 一斉教育の限界とは? 学生時代は、勉強が特別に好きではなかった。 「学校の勉強が、つまらない」 よく聞く言葉だ。 私もその中の一人だった。 決められた内容をひたすらノートに書き写したり、たくさんの単語や法則を覚えなければならない。 テストのための勉強だった。 決して、全てがつまらない訳ではない。 もちろん楽しい勉強もある。 ちょっと前のドラマで、「数学は大人になったら役に立つのか?」と生徒が先生に質問していた。 確か
川原卓巳プロデュースの学校ゼロ期 プロローグ 7月15,16日に第2回講義が和歌山県の白浜で行われた。 全国からゼロ期生たちが和歌山に集結した。 今回は合宿形式。全員同じホテルに滞在して2日間学び合う。 宿泊場所は、キーテラスホテルシーモア 最高のロケーションの中、Day3が始まった。 前日からの大移動 ゼロ期生は全国各地に滞在している。 もちろん世界にも。 15日の10時から講義が始まるので場所によっては前泊が必要になる。 それぞれが様々な方法で白浜をめざした。