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キャパオーバーと圧倒的成長とアオアシとエトセトラ...夏

 「キャパオーバー」という言葉、大人になるとよく使うのではないだろうか?主に業務過多に陥った際に、格好よく、かつ爽やかに白旗を揚げる時に多用しやすい便利な言葉だ。「あーもう、キャパオーバーすわ(意訳:仕事減らしてよ、人増やしてよ)」
  
 正式名称は、キャパシティオーバー。容量超過。限界到達。血界戦線。少しググってみたが、やはり和製英語だそう。(引用:https://biz.trans-suite.jp/48006)
ビジネス用語としては、かなり普及している単語ではないかと思う。

 周囲でこの言葉を聞いたことがない人はその環境と同僚に感謝したほうが良い。キャパを超えないレベルの業務量を、管理職や同僚がうまくコントロールしている可能性が高いからだ。
 あるいは、全員キャパオーバーしていて、そんなヘルプサインが出せない環境かもしれないが。
 後者の場合は、さっさとその環境から逃げたほうが良い。死人に口無し。

 キャパオーバーの環境は人を成長させうるし、いき過ぎれば人を壊す。
成長とは基本的に適度に背伸びした状態を継続し続けることで生まれるものだ。適度というのは本当に人それぞれのキャパによるのでそこの判断が一番大切に思うし、自他ともにそこの判断は非常に困難である。最終的には、自分自身が一番自分の容量を把握できる(というよりもキャパオーバーし続けていると、健康被害の形で顕在化する)ので、瞑想の形でも相談の形でもいいので、自分の声を聞き逃さないようにして欲しい。

 話が少しずれるが、「圧倒的成長」という言葉が、私の就活中に流行った。東大生を中心に、大企業嗜好ではなくベンチャーに行く潮流が出現し始めた中でちょいちょい聞き始めた言葉である。ブラック企業への揶揄としても使われるが、誰しも成長意欲はある(?)中で、圧倒的成長という響きは心惹かれる文句だ。
 かなり過激な労働環境や要求レベルの環境下で業務を続けていくと、気づいた時には最強のビジネスパーソンになっているよ、という超人が生んだ格言(至言、迷言)だと解釈している。
 ただ、私自身はこの圧倒的成長という言葉はピンとこない。急成長の経験がない、身長含め。コツコツが好き。一夜漬けするなら、1ヶ月間毎日5分勉強する方が好きだ。
 私は、この超人たちの取り組みを否定するつもりはない。むしろ尊敬するし、なれるものなら超人ハルクになりたい。

 スポーツ然り、仕事然り、勉強然り、基本的にレベルの高い人間や才能に溢れた人間は、常に自他へ高いレベルを要求し続ける。そのあくなき向上心と努力が個人や組織に大きな成果をもたらしてくれる。
 全員がやれることだけやってコツコツ成長することもあるとは思う。しかし、それだけではやはり圧倒的な超人たちに淘汰される可能性は高い。
 例えば、メッシというサッカー選手には彼一人でプロ選手五人が形成した組織的守備を突破してゴールする力がある。そんな選手は極稀ですが、確実に存在する。強固な組織を破壊する個の存在。

 私の人生バイブルになっているサッカー青春漫画「アオアシ(小学館、小林有吾)」の中にこんなシーンがある。毎回ユース日本代表に選ばれていた選手(以下、桐木君)が代表落選してしまう。落胆と苛立ちの中で、同じく代表に選ばれなかったチームメイトたちとリーグ戦(対東京VANS)に臨む。そこで桐木君は、日本代表レベルであれば追いつけるパスを出し続けて、そのパスに追いつけないチームメイトに苛立ちを隠そうとしない。
 
 細かいところは割愛。興味あれば是非購入して読んでいただきたい(2020年8月10日時点で、単行本21巻まで発売中)彼は、それでもパスのレベルを下げずチームメイトが追いつくまでその日本代表クラスのパスを続ける。追いつけない味方。苛立つ桐木君。
 
 「なぜ追いつけないいいいい」鬼の形相の桐木君。

 パスのレベルを下げずに出し続ける桐木君に対して監督さんと栗林君(誰やねん)は安堵するのだ。
 「あいつ、チームメイトを切り捨てないでくれた」と。

 ん?いや追いつけないパス出し続けるのは鬼やん。って思っちゃった人は「ブー👎」です。浅いです。浅漬け食ってください、夏はうまさ100倍です。

 どういうことか?

 プロを本気で目指すチームメイト(個人)にとっては、日本代表クラスのパスに追いつけない自分を責めるべきで、追いつけないパスを出す桐木君を否定したり、パスレベルを落とすように要求することは甘えになるわけ。実力に合わせたパスが来て喜んじゃう子は、プロにはなれないと。そんなチームメイトはいないし、いらない。プロだもん目指すところは。
 桐木君もまたすごい。強い。エゴを組織に昇華させている。ここも監督さんは褒めてる。エゴの形をうまく組織に合わせて変えたことを。
 チームメイトを信じ、本当に彼らのためを思うのであれば、追いつける緩いパスを出すことはあり得ない。それは目先の試合の勝利にはつながるが、長期的視野で言えば必ず組織に対してマイナスに働く。
 エゴを曲げた妥協の行為。諦めのパス。そんな簡単に折れるエゴはいらないってさ。厳しすぎ、怖すぎ、優しすぎ。。。プロの世界だわ。
 
 アオアシ愛が出過ぎた、反省。ビジネスでも給料をもらう以上誰しもがその業務のプロだと、私は考える。アルバイトであろうと正社員であろうと関係なく。
 
 プロを自認するのであれば、自分が持つ「あるべき姿」に沿って仕事をしていくべきだし、相手に対してそれを言語化して要求するべき。ただ相手や同僚がいてこそ仕事はできることだから、その「あるべき姿」も状況や対話に応じて変化させていかないといけない。そういうものが最終的に「経営理念」や「企業理念」として組織の人間みんなが腹落ちした「あるべき姿」に昇華するのではないだろうか。

 うまく話がまとまらなかったが、日本代表パスを出す時も、バックパスをかけたり、利き足に出してあげたりっていう相手に合わせた優しさがあれば、キャパオーバーで昇天する人間はこんなに世の中に溢れないのではないかなと。愛だよ全ては。なんだそれ。ここまで読んでいただきありがとう。良い1日を。

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