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紛争を当たり前のように受け入れている、受け入れざるを得ないとしても
戦争に関する投稿をnoteに上げるのは、久しぶりです。
原爆の日が過ぎ、終戦の日、五山の送り火、を過ぎ越すと、
日本の夏の、風物詩的なお盆休みもいよいよ終わる。
今年に入ってすぐ、被爆者だった実父を見送りました。
大恐慌から日中戦争、第二次大戦と、戦争のさなかに生まれ育ち、
戦後、これまで順応してきた正義や体制が、悪とされ、忘れ去られ、
後ろは見ないで、前だけを見て 時代が進む中で
踏ん張ってきた 父の世代。
旧制高校性だった父は、被爆の惨状を目の当たりにし、
病を得ながらも生き残り、それ故
社会の役に立たなければ意味がない、実効性がないものはいらん!という
強い信念のもと、独自の正義感に基づき、懸命に生きた。
非常に頑固。
自分を曲げない、間違いを許さない、迎合しない、男尊女卑甚だしく
ニコリともしない・・こうなると個人の問題かもしれませんが、
気持ちを交わすことが難しく、
私は、はっきり申し上げて 好きになれなかった。
父の方も、同じく、
やむをえず 人生の最後は、私に色々任せていたが、
本当は、納得できてなかっただろうね、だけど、
合わないのは、お互い様ってことで。
そんなこんな、ありましたが、夏がやってきて
初盆を終え、引き続き、だれも住んでない実家を掃除し、
実家終いに向けて片付けています。
家具や服や本は大方処分、といっても
まあすごい量なんで、半年たっても終わらない。
すごく困るのが、写真、と人形さん、こわっ!
古い写真には、若かった父の姿と、当時の雰囲気も映し出されている。
弱いものはいらない、強くあらねば。競争には勝たねばならない。
抗ってはだめだ、呑み込まれつつ 自分を保つために 強くあらねば。
戦後、少しずつ世の中が変わっていき、
もはや戦後ではない、と言われるようになっても
幼少期から父の心や体に、染みついたものは 簡単には変わらなかったし
変えたくもなかっただろう。
それは、
消えない傷、癒えない病だった、ともいえる。
その間にも、中東戦争やテロ、中印、南米、アフリカでの紛争は起こり続け
多くの人が犠牲となっている。
父はどんな気持ちで、紛争のニュースを見ていたのだろう。
目にするたび、かつての辛い悲しい記憶が蘇って、一人心の中で戦っていたのかもしれない・・
最近になって、私はようやく そんな風に思えるようになった。
私にも、誰にも言えない叫びを、どうにかおさめて
父は、戦後を生きていたのかもしれない、と。
そして、ウクライナ侵攻、イスラエルとパレスチナの戦争。
2022年に、ロシアがいきなりウクライナ領に侵攻した、のではなく
伏線、歳月を経ての国家間のやり取り、があるのよ、と
これまでにも散々解説されてきたのだが、
戦争勃発の理由を説明され、現状、兵器の数とか、種類がどうとか、
したり顔で説明する戦争研究者、それをふんふん聴くキャスター、、、
なんか、、違和感があるんですよ。
だんだん、それが、当たり前のようになっている気がして。
一方で
経済がどうとか、株価急落だとか、
それも大事なのかもしれないけど、何であれ
紛争がある、ということが前提にある、が
紛争の当事者意識は全くないような、、感じ。
なんとかしなくては、、が先ではないのか?
争いが下火にならなければ、
争いの原因、ひずみがもっと拡がるではないか。
だって、何もできないもん、、論理がおかしいわけだから。
紛争当事者、当事国のリーダーの主張は全く理解できない。
そうですよ
しかし、
このままでは 終わらないし
犠牲者も増えるばかりで、
生き残っても、傷を負った若い世代が、我々の知らないところで
悲しみを抱えていくのだから。
選挙のためとか、誰かに言われたとか
そーゆ―ことで○○神社に参拝するとかしないとか、
あんたたち、一旦、選挙の事忘れて、ちゃんと考えた方がいいよ。
戦争は悪。
してはいけない。
みんな 思っている。ご先祖も、きっと思っている。
それは、チカラとなると思う。
私の目の黒いうちに、
暫時であれ 戦争が終わりますように。
言葉が、祈りが
届きますように。
この点では、亡父と、意見が一致すると思われます!
おさんぽでした。
第二次大戦の敗戦から79年も経つ、というのに
世界中で、色々な理由、こじつけによる 紛争が絶えない。