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泣き虫まこちゃん

「まこちゃん」

記憶の中で、奥の方にしまい込まれて引きだしにくい部分がある。    甘くはない、うれしくもない 苦い 古い 残念と後悔。        それ  思い出したって何も変わらないし。そうなんだけど。

秋も深まったせいだろうか、時々思い出したくなったりもする。     半世紀以上も前の話だから、フィクションとノンフィクションが混ざりあってもいるだろう。思い出せなくなる前に、苦い思い出を書いておく。   私以外、知る由もない、知る必要もない 思い出話。

水仙の芽

まこちゃんは、幼なじみの男の子だ。
同じ公務員住宅の別棟に住んでいた。別棟と言っても目と鼻の先だが、当時の私には 少し遠く感じられた。隣の棟には仲良しの さよちゃんとえっこちゃんがいた。他にもいたのだが思い出せるのは同い年のその三人と、下の階に引っ越してきた S家のおじいちゃんだけだ。
60年近くも前の話だから あの公務員宿舎はもう姿を消してしまっているだろうか。
棟と棟の間には、子どもの私には十分な広さの広場と砂場があって、いつも子供たちが遊んでいた。広場の隅には、共用の大きな蓋つきゴミ箱が置かれていた。私の背丈より高いところに蓋の取っ手があって、蓋は半円形の形をしていた。
私は、3階の自宅から生ごみを捨てに降りてきては、勢いをつけてそのゴミ箱によじ登るのが好きだった。夕方のゴミ箱は、昼間の日差しで暖められ、中はゴミもいっぱいで相当に臭かったが、その匂いは 都度変化して一度として同じことはなく、私はそれを確かめるように 生暖かいゴミ箱の上に座っては、飛び降りることを繰り返していた。
そのせいか、ゴミ箱のあちこちは、ボコボコにへこんでいた。

あしなが

あの頃は まだそこら中に子供がいて、どこの社宅や団地でも敷地内は子供たちの遊び声であふれていた。
お決まりの缶蹴りや竹馬はもちろんのこと、さよちゃんの家でリカちゃんごっこをしたり、えっこちゃんと妹の3人で 「あんたがたどこさ」を歌いながらマリつきをして遊んだことを覚えているが、まこちゃんについての記憶は 2種類しかない。

「まこちゃんは、泣いている、もしくは 左手で猫の絵を描いている。」

その頃の官舎には、住居棟に並行して平屋の物置棟が建てられていた。
狭い物置が各家に1戸あてがわれ、転勤で不要になったものなどが押し込められていたのだが、昔のことで 施錠されていないことも多く、私たちは、  かくれんぼ でうまく隠れられない時に苦し紛れによくもぐりこんだ。  狭くて暗くて、黴臭くて。
入ったはいいが、怖くてとてもじゃないが長居はできなかった。
私が隠れようとして扉を開けると、続いてまこちゃんも入ろうとする。「ダメ」と言ってもきかないので、私が出ていくと 暗い中で まこちゃんは泣きだした。「鬼」のさよちゃんに見つけられて、突っ立ったまま もっと大きな声で泣いた。

ある時は、鬼と追いかけっこになって、まこちゃんはヒイラギモクセイの垣根と物置の間の狭い隙間に追い込まれ、ちくちく痛いと言って泣いた。
本当に悲しそうに 哀れに 大粒の涙を流した。意地悪な私は、それを黙って見ていた。ほかのみんなも なすすべなくじっと見ていた。

アスファルトの上にいくつかの長い影が 困ったようにたたずんでいた。

秋の空

「まこちゃんは泣き虫だ。」と母に言ったが、母は何も言わなかったと思う。
私は喘息持ちで、小さな頃はよく寝込んだ。夜中に咳き込んで眠れないので 昼まで寝ていたこともあったのだが、目が覚めたらまこちゃんがいて寝床のそばで、その頃流行っていた漫画のネコを黙々と描いていた。
いつも左手で、数字や文字の左右が逆の形もすらすらと描くので、母は「まこちゃんは天才だ。」と言っていた。
特にもてなしもなく、好きなだけ描いたら帰って行く。紺色の半ズボンから伸びた色白の足が、暗い玄関からスッと出ていく後ろ姿が、外の世界に吸い込まれていくように見えた。

オシロイバナ

夏に向かう季節だったか、夏の終わりだったのか 記憶は定かではない。私たちは5歳か6歳だったと思う。さよちゃんと広場の隅の花壇で、おしろい花の種を開いて一生懸命おしろいを取り出していると、母が呼びに来た。  「まこちゃんのお母さんのお葬式があるから、うちに帰って幼稚園の制服に着替えて すぐ降りてきなさい。」

知らない間に 広場の真ん中には白いテントが建てられていた。葬儀がどんなものだったか、もう何も覚えていない。
誰かのお母さんが、しきりに「しーっ。」と指で口を押さえていたことと、泣いているまこちゃんの横顔だけが 目の奥に浮かぶ。
いつも泣いているまこちゃんが、長机を隔てて、自分とは違う世界の出来事に紛れ込んだようで、私は混乱していた。
「まこちゃんまこちゃん、泣かないで。 どうしてそこにいるの?」   

私は、何もできなかった。何もしなかったというべきか。
傍に行き、彼が泣き止むまで一緒にいるだけで よかったのに。

私は、苦しくなって 記憶の海の中で 泣き顔以外のまこちゃんを探すが どこにも見つからない。

まこちゃんのお父さんは、それから間もなく後妻を迎え、一家は官舎を離れた。さよならを言ったのかも思い出せない。

砂場には、まこちゃんが広場で絵をかくときに使っていたアイスキャンディーの棒が、所在なげに転がっていた。

ミツバチ

まこちゃんが去った後、さよちゃんもえっこちゃんも、私の家族も相次いで官舎を離れた。
公務員の父は、転勤が多かったが、私が高校に進学する年にさよちゃんたちと過ごした あの官舎があった街に また戻ってきた。

高校の入学式で、偶然にもえっこちゃんとえっこちゃんのお父さんに出会った。高校は大学の付属学園で、えっこちゃんは中学校から在籍していたそうだ。えっこちゃんが同級生だとわかって私は大いに心強く思ったが、えっこちゃんは、それほど喜ばしいとは感じていないようだった。
エッコちゃんのお父さんが、「そう、あの官舎で一緒だった まこちゃんもいるよ。」と教えてくれた。えっ、まこちゃん。まこちゃんがいる!
驚きながらも 私は うれしかった。何年振りだろうか。まこちゃんは きっともう忘れているだろう、泣き虫だった自分のことも意地悪だった私のことも。
それでも私は人込みの中に、まこちゃんの面影を探した。

まこちゃんはいた。成長して背が伸び、分厚い眼鏡をかけていて、髪の毛は四方八方にぼさぼさに伸びていた。少し戸惑ったが 一目見て、まこちゃんだとわかった。
「まこちゃん。」真正面から近づいて 私は笑顔で呼びかけた。

まこちゃんは、何も答えなかった。私を見て 怯えたようにぎょっとして、半身になって後ずさりし踵を返した。私は ご褒美をもらい損ねた犬のように 去ってゆく彼の後ろ姿を見つめたまま動けずにいた。

コスモスの双葉

高校での3年間はあっという間だった。楽しかったのか、苦しかったのか、そのどちらもあったはずだが、言葉にできるようなものは心に刻まれていない。浅くて短い川の流れように 忙しく追われただけの 残念な高校生活だったのかもしれない。

まこちゃんは、いじめられていた。少なくとも 私にはそう見えた。   私は、恐る恐るえっこちゃんに尋ねてみた。「まこちゃんって、何かしたの?嫌われてる?」

えっこちゃんは、答えにくそうに「変わっているから。関わらない方がいいよ。」と教えてくれた。
ぼさぼさに伸びた髪、明らかに丈が短くなっている制服のズボン、そのうえ真冬でも彼は上着を着ておらず、半そでシャツのままだった。
学校まで通うのには、自宅からバスや電車を乗り継がないといけないのに、一時間以上の道のりを歩いて通っているのだった。
確かに、気軽に話しかけられるような雰囲気ではなかった。まこちゃんと同じ小学校区に住んでいるという女子に それとなく聞いてみたところ、新しいお母さんは、まこちゃんのことがよくわからないと周囲にこぼしているらしかった。

一度だけ、隣のクラスで、クラスメートと談笑しているまこちゃんを見かけた。「まこちゃんが笑っている。」
教室の窓から差し込む光を浴びて、楽しそうにしているまこちゃんをみて、私は もう気にするのはやめようと思った。3年間一度も同じクラスにならなかったけれど、まこちゃんはもう可哀そうな泣き虫ではない。
もう泣かないのだ。
よろよろしそうな心をしまい込んで 彼がいじめられていると感じないように、いつも声を潜め、目と耳を塞いだ。

水仙

不均衡な心のまま、私は高校生活を終えようとしていた。
ある時、生徒が講堂に集められ、何かを話し合っていた。
内容は全く思い出せない。テストのことや課外活動の事で、私は頭が一杯だった。ようやく、このよくわからない会が終わる、という時に 突然 まこちゃんが壇上に上がって話し始めた。

私は、その時とても驚いたことを覚えている。だから予定されていた登壇ではなかったのだろう。それでも、まこちゃんは、大きな声で壇上から生徒たちに何かを訴えていた。
気持ちが昂り、ところどころ言葉を詰まらせながら、でもあきらめず話し続けた。拍手も声援もない。
それどころか生徒たちは誰も壇上の彼を見ていなかった。耳を塞ぎ、出口の方を気にしていた。

とうとう、まこちゃんは話しながら涙を流しはじめた。
話の内容は、わからない。ただ、まこちゃんが泣いていること 泣き止まないことに 私は打ちのめされていた。
嗚咽しながら叫んでいるにもかかわらず、生徒たちは静かに、見て見ぬふりをし続けていた。
私には長い時間に思えた。
壇上に駆け上がり、彼を救出したかった。背中をさすってあげたかった。
しかし、私はまたもなにもできないまま彼を見つめていただけだった。
涙にぬれたピンク色の頬が、夕日を受けてキラキラしていた。
其の後のことも やはり思い出せないが、
彫刻刀で「私は弱虫」と刻まれたような痛みを呼び起こされるので、思い出せないだけなのかもしれない。

夕日

まこちゃんがその後どうしているのか、私にはわからない。

どうせ来ないから、と同窓会にも呼ばれないのだ。あの街を離れ、有名な大学に進学して、難しい学問を研究しているらしいと 風の便りで知った。

ひとの 涙の泉は決して枯れない。流しても流しても 涙は果てることなく作られる。「今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて もう二度と笑顔にはなれそうもないけど」*注;参照(中島みゆき 「時代」より)     

まこちゃんは、今でも 時には涙を流しているかもしれない。それは誰よりも しょっぱい涙かもしれない。理由はわからない、悲しみの深さも計り知れない。

私にとって、涙は まこちゃんのもの。あなたと切り離せないもの。

目を閉じてあなたを思い出すとき、涙は必ずそこにあるけれど、あなたの泉が決して枯れずに温かな涙を流していることを信じている。

五月の空

おさんぽでした。お読みいただきありがとうございました。