楽しかった過去とあかるい未来
こんにちは、おさんぽです。
過去と未来について、せっかくなので少しだけ、書いてみたい。
〉〉過去について
基本的に、
我々は、過ぎ去りしことの大半を 忘れるようにできているようだ。
忘れまいぞ!とがんばっても、
マーカー引いても、
まあだいたい、しばらくすると忘れる。
学生の頃は、覚えられないことを情けなく思ったし、最近とみに忘れっぽくなっていて、忘れちゃあいけないから、とむやみに携帯にメモしまくったり、
退職前の職場では、約束事がぶっとびまくり、
助けてもらって、感謝したり、お詫びしたり、してばかりだった。
だが、なぜか覚えていること、もある。
深く考えたり、悩んだり、悲しんだり、
あるいは、強烈なインパクトや恐怖体験、トラウマ。
これは、私の場合、ですが、
よかった、うれしかった、楽しかったことより
しんどかった、辛かった、嫌だった、憎々しく思った、ことなどは
刻まれ度が深いように思う。
何かの拍子に思い出す、
それには、順位というか格付けがあるみたいに感じます、
アタシは・・そうなんですが・・みなさんはいかがでしょうか・・
簡単には 思い出せないけど
たぶん、脳のシワの奥に畳まれて、仕舞われて、探すのが最もたいへん!な状態にあった・・のは、
子どもの頃の温かい気持ち。
私が、父母と一緒に笑った思い出・・小さなことですが、
思い出したかったんです。
私、親に心配ばかりかけてた、んですよね。
子どもの頃は、喘息で。中学受験で全落ち。バカにされることが多くて
イキがってて・・親を大事に想ったことって‥そうね、なかった、と思う。
恥ずかしながら、大人になっても同じ でした。
そりゃ、嫌われるよね。
でも、心配されてウザって思うだけ、嫌だったんです、家が。
全力で避けてました。
言い訳するなら、
父母にも兄弟からも、バカにされまい、と必死に自分を守ろうとしてた、
世間に居場所を見つけようとしていました。
だから
父が亡くなるまでの変化を、いくつかのnoteにも書いていますが、
心配はするんだが、父母の心を思うこと、父母のために何かすることは、
自己犠牲だとさえ感じていた。
今になって、ようやく
思いやりのない娘だった、こと 親不孝だった、ことを
もう取返しのつかない事だけど、
心底申し訳なく、思う。どうしようもないのだが。。
何を言おうが、しようが、父には最後まで喜ばれなかったけれど、
それでも何かしら、
父母の手助けになったのなら、
これからも、母を支えられるのなら
よかった、有難いこと、だと。きっと、そうだよね。
少し、自分も楽になって、それでいいんだと思いたい。
〉〉大学生の頃、私が茹でたさやえんどうを
父と一緒に食べていた時に、
スジが残っていたために、
父は呑み込めなくて、口からだらぁとスジを垂らしていたのが
おかしくて、大笑いしたこと。
一緒に笑ったことは、これくらいかもしれない。
いや、
宮川だいすけ・花子師匠の夫婦漫才をテレビで見てて、一緒に笑ったこと
もあったか・・
すみません、どうでもいいことです・・が
私にとっては、貴重でして、思い出せて、よかった!
〉〉未来について
未来は、わからない。一寸先は闇。でも明るいかもしれないじゃん・・
未来も現在も、過去も
繋がっているのだから
繋がりを感じれば
解る、という人もいるのだが、
残念ながら、私には 何もわからなーい。
量子論的には、
未来は用意されていて、注意を向けることで
可能な組み合わせが現実化する、
理屈も計算もわかりません、しかし、そうみたいですね。
なんであれ
心配する、とか憂うことは
いらん事、のように思う。
よーく考えて、決めたなら
きっとうまくいく、のではなかろうか?
その方がいいから、そうなるのではなかろうか?
モノは考えよう、ですね。そうそう。
関係ないけど、
あすは、満月です!
皆さんにとって
楽しい思い出に、心温まる時間であり、
いい未来、望む出来事と幸せが
月の光のように 訪れますように。
おさんぽでした。