スタイリストとの会話で感じた信用の価値
先日、散髪に行った際にスタイリストさんとこんな話をしました。
スタイリストさん:「最近はいろんなインフルエンサーが出てきて発言をマネする若手が増えてきたんですよー。」
私:「へー、そうなんですか。」
スタイリストさん:「確かにホリエモンとかの言うことって正解も多いんですけど、それって普通の若手従業員が言っちゃダメじゃないですか?」
私:「まあそうですよね。受け入れられないですよね。」
今回は、「なぜ自分はその若手の発言を受け入れられないのか」について考えていきたいと思います。
・同じ発言でも相手によって感じ方が異なる理由
ホリエモンと若手従業員との違いは相手の「信用」の差だと思います。
デジタル大辞泉から引用すると「信用」とは以下の意味があるそうです。
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を信用する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「信用を得る」「信用を失う」「信用の置けない人物」「店の信用に傷がつく」
3 現在の給付に対して、後日にその反対給付を行うことを認めること。当事者間に設定される債権・債務の関係。「信用貸付」
信用のある人と無い人によって言葉の伝わり方が全然変わってきます。
このスタイリストさんも、
(過去に事業で成功し、ベストセラー作家であり、名を馳せた信用の高い)ホリエモンが言っていることは受け入れられる。
でも、
(実力が高いわけでなく、信用の低い)若手従業員が言っていることは受け入れられない。
このような相手への信用の違いから意見が変わったのではないでしょうか。
・信用の価値に目を向けること
この信用という価値は非常に厄介な性質があるなと感じました。信用は預金残高のように目には見えず、それでいて誰もが知らず知らずのうちに相手の信用を測っています。
人は「何が正しいか、正しくないのか」ではなく、「誰が言っているのか」によって考えが変わってしまう生き物なのだということに気づきました。
私も異動を経験し、職場には自分のことをほとんど知らない人ばかりです。自分には周りからの信用が無いんだなと感じることがよくあります。これからの生活で少しずつ築いていかなきゃなと考えています。
また、これまでの友人や他の人間関係においても信用を失うことは避けなければならないと感じました。対人関係において何か違和感を感じたときには「相手から信用されているかな?」という点に目を向けていけたらと思いました。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。