見出し画像

雨降る夜は、木陰でひと息。

季節の変わり目はいつも、背中から体調不良へと落下していく。
免疫とかもあるんだろうけど、主にこころの不調。

そんな原因に気づかずあたふたしてた自分は懐かしくて、
今ではすっかり、一人でプールサイドに上がれるようになった。


この時期の枯渇感、糖分を入れずに有酸素運動をして、足が動かなくなる感覚に似てる。
心は走ってるのに、足がすっからかんになってペースだけが落ちていく。



こうなると、ちらほら避け始める趣味が出てくる。
例えば、読書とか資格のやつとか、noteもそう。

じゃあ他のことすればいいじゃんってなるけど、やることが、やりたいことが、できることが思いつかない。

暇。

ニーチェいわく、「退屈には、神々でさえ無駄に足掻く」だそう。

なるほど。
暇に不快感を感じなくて、そんな自分を許せるなら、死んだように生きれるのかなとか思ってみたり。


だから、新聞紙でもティッシュでもいいから時間に何かを詰めて支えないといけない。
もう年末か、とか思ってる割に、時間なんて簡単に流れないもので。



そんな中、半目でふらふらとyoutubeに漂ってると、Super GTのレース動画(ダイジェスト版)が。

「ん、そういえば今季は一試合も見てない。4号車勝ってるかな」とか思いながら、気づいたらパソコンでRound1のFull raceの動画を開いてた。


暗く沈んだ部屋、少し明るすぎるモニターと、うるさすぎるヘッドホン。
響く大好きな解説者さんの声に、共鳴するマシンの唸り声。
忘れられる呼吸と、画面を眺める心臓。



https://supergt.net/gallerysより引用
https://supergt.net/gallerysより引用
https://supergt.net/gallerysより引用
4号車、ミクちゃん号!




形容できないけど、多分どきどきしていたんだと思う。
こういう感覚、たまにある。
映画、小説のクライマックスや好きな絵、文章、音楽に触れたとき。



あ、全てに見捨てられたんじゃないんだなって感じた。


もちろん、ちょっと疲れてるときは、込み入った感動には手が届かない。
noteで素敵な文章を書けたとき、納得のいく絵を描けたとき、目標が達成できた時みたいな。

でも、そういうのって、私にとっては割とどうでもいいことかも。
少なくとも、今の私にとっては。

アクティブになれる時にどう動くかなんて、どう動いても同じ。
どうしても後悔や不満と、か細い達成感を感じるだけ。

それより、疲れたときにどう時間を流すかのほうが、よっぽど大問題に感じる。

そういう意味で、今回みたいな感動、
こころが立ち返る場所、感情を直に癒せる行為は重要性が高いんじゃないかなって感じた。
原神でいう、七天神像みたいな。ヒーリングスポット。

こういう場所を探るのに、子供の頃好きだったものを思い出すのは大切かもしれない。

手持ちの料理だけでは回復できなくなる場合もあるので、まずはゆっくり休んでから。

セカンドヒーリングスポットは羊文学。干渉しない寄り添い。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集