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「勉強しなさい!!」と「勉強したい」今(わたしと勉強リレー#2)

こんにちは!あきこです。

今、このnoteを書くにあたって、かよこさんの記事の冒頭を読み返してみた。
(↓まだnoteの記事を書くのに慣れなくて..リンクを貼るという作業に初挑戦してみます)
https://note.com/mamatouch/n/n28e659203f89#NkBg9


■幼児期に感じた「学び」と「勉強」の感覚

前回、自分の原点を振り返ったときに書いた
裏山をフルパワーで遊びつくしたのは「学び」の感覚。

裏山遊び以外のことも、おおよそ「学び」の感覚だった。気がする。

今の私からは中々想像できないけど、
バレエが好きで踊りが好きで
表現することが大好きだったのと、
影絵とか、劇とか表現をみるのも好きだった。

それから学んでいたことと言えば聖書。
私ってなにもの?どこから来た?
私っていつか死ぬの?みたいな関心を深めるべく
勝手に子ども用の聖書にはまっていた記憶がなつかしい・・。
(内容はあまり覚えていないけど、その時の感情だけは今でも覚えている)


ただ、年長から通った塾のときの記憶は
私がはじめて感じた「勉強」の感覚だったに違いない!と思う。


その時に感じたことをまとめてみるとこんな感じ↓

「わかった人は元気に手を挙げる方式」
→わかったら発表ってしなきゃいけない?こっそり自分のペースでやってたい
「思いやりを褒められる方式」
→みんなの前でほめられる嫌悪感!!(すぐ褒めてくる大人が嫌いだった・・)
「自分が考えたアイディアや思いやりにグレードがつけられる」
→正解はこの対応です!みたいなのに、否定された感を覚える
「描いた絵を評価される方式」
→表現って自由じゃないの?表彰台にあがれなかった絵とあがれる絵って何?
というような中で
だんだん、優劣というのがあるんだ。。というのを意識するようになった。


■「勉強しなさい!!」

私の記憶の中で一番「勉強」という言葉が強く残るのは
やっぱり小学校時代。


本当にストレートに
「勉強しなさい!!」
と言われはじめた頃。

「勉強しなさい!!」と言われた割に
「勉強」は一切していなかったと思う。


それまである程度学び感覚があったのに
小学校を進むにつれて
「勉強」をどのくらいして
どのくらいよい成績がとれて
どのくらいの偏差値の中学に進学できそうか?
が常に生活の中にあった。

「生活の中」って書いたけど
多分、「親と私の間の会話にあった」が本当だと思う。


大好きだった読書は
言葉でのアウトプットが苦手私は
読書感想文で課題図書がだされて母親に監修されるたびに
そして誰かが表彰されるたびに嫌いになり、
小学校3年くらいには、本もほとんどよまなくなってしまった。

高学年になると
成績でわかれて授業があり、誰がどこのクラスになるのか?
定期テストのたびに話題になる
※母含めて「誰ちゃんは何クラスになったの?」のような

朝は6時半におきて
バスと電車に乗り継いで小学校へ行き
帰りはそのまま塾へ行き、帰るのは夜8時とかだったかな。

仕事終わりの父や母が駅まで車で迎えにきて帰る。
今思うと、本当にお疲れ様だったんだろうなと思う。

(きっとこの環境が羨ましいと思う人、
私にその環境があれば無駄にしなかった!みたいな人もいるだろうということは
実際に私もそのように言われたこともあり、想像している。)

話がそれてしまったけど、
良い点をとるための勉強
良い点をとった先には親に認めてもらえる!
でも悪い点だった場合は認めてもらえない・・というような感覚。


今振り返れば
「勉強」に対してのモチベーションがまったくなかった。


自分のためでなくて親に「怒られない」ため
あるいは「認められる」ため。
でもそんな変動的な数字が自分の存在価値なのか・・


ゴールが自分の中になく
かといって誰かのために!というのもなく
親に認めれるのかどうか?のような不安定な中にあった
私から良い点数をとってしまったら
何がのこるんだろう・・というような不安。

そんな不安から逃げるために
学校でも塾でもいかに面白いことで笑うか?ばかり考えていた。
友達と笑っている時間は勉強していないことと
それによってこれから起きる現実の不安を忘れられる時間。


でも、時に友達関係まで
教育ママが介入してくることもあった
「○○ちゃんと遊びなさい」
「○○ちゃんとは遊ばないようにしなさい」
または、「そのように○○ちゃんのママが言ってたんだって!」

これはもう
本当に本当に寂しかった。
寂しいというか悲しかった。

親の「勉強しなさい!」の意識がエスカレートした一例。。


私も子どもをもった今だから
我が子に良い環境をと願う気持ちはよくわかるようになった。
でも、こんな悲しい思いを我が子にはさせたくないと思う。

子どもだって人間。
自分の人生を思いっきり生きる権利を尊重したい!
そんな風に思う。

■何故勉強をするのか?の授業

小学校3年の頃。
授業の宿題で
何故勉強をするのか?というものがあって
それがすごく記憶にのこっている。

当然のことながら
全くピンとこなくて
自分で考えようともせず父親に聞いた。

「自分で自分の道を選べるようになるため」

のようなことだったかな。
これ聞いても、全然ピンとこなかった小学生でした・・。

それから、この授業なんでしたんだろう?って疑問がずっとあったんだけど

今夢中で知りたい!!やりたい!!伝えたい!!と思っているゴールのために
必死に取り組んでることこそ勉強なんじゃないかなって

それで、必死で取り組んでいるときに
「お!勉強してるねー」っていわれたら
すっと落ちた気がしている。
※ただし、小学生時代の自分には夢中になるものがなかったため父親に聞くのが正解だった気がしている・・。笑

こんなふうに
言葉って体験をともなわないと
本当に自分のものにならないよねって思う。

だから
こどもには、
たくさんの体験(行動あるいは感情の)を味わってもらいたいなって思う。


■はじめての「勉強」体験
高校のとき。
相変わらず塾通いが通常だった私。

塾までの時間とか親に怒られるとわかっていながら
友達とカラオケに・・
ここではまっていたのは、歌の「勉強」だった。笑
歌を通していろんな感情を想像したり
もちろんどうやって歌うとよいか・・とか
歌詞に線をひいたり書き写したりして覚えたり、、
え?これって勉強??
とにかく夢中になるものを久しぶりにみつけた。


それから通っていた塾で
すごく面白い授業をする先生に出会った
化学と英語の先生。

ー化学の先生
もともと化学は好きなほうだったんだけどこの先生は
日常生活と化学をつなげてくれた。

それよりも嬉しかったのは
「やればできるんだから!!」を直接はじめて教えてくれたことだった。

細かいパーツにわけて、
「ほらできた!」をたくさん用意して伝えてくれた。

「できる!」ということへの喜びから
あくまでも良い点数をとるためではあったけど
「わかったら楽しい!!」
「楽しければ頑張れる!!」
を感じさせてくれた先生。

ー英語の先生
とにかく文法を教え方が好きだった。
この先生のおしえてくれた通りにやったら
「できる」ことが増えた。

そして、何より
英語を使ってひろがる世界のことも教えてくれた。

当時、宇多田ヒカルが流行って、
この音楽にどっぷりはまった時期でもあり、
彼女の話す英語にも興味をもち

そこからStevie Wonderなどの音楽にも触れ
私も英語を理解したい!話せるようになりたい!!
というモチベーションで
英語の「勉強」も頑張れた!

■大学時代の「勉強」
ほとんどサークル活動して
ふざけていた私ですが・・

4年生のときに
栄養学の力で患者さんを救おうとしている医師に出会った。
そこの管理栄養士と二人三脚で
患者さんの人生観をヒアリングして治療法を一緒に考える。
一緒に頑張る。
医師としても素晴らしい!!と思った。
仕事ってこうゆうことなんだって気づいた。

これに感銘を受けて
管理栄養士として勉強することがいっぱいあることに目覚めた。

■そして、今

興味があること以外はほとんど頭に残らない私。
勉強できないコンプレックスは今でも強くある。

ふとした瞬間にすぐ
どうせ私は・・がでてきてしまう・・。


でも、、、
自分のこれまでの体験から

食のこと
子どものこころのこと
にはすごく関心があって

ここに関しては
誰かの役にたちたい!!と思ったときや
楽しいことが待っている!!と思うときに
ものすごい「勉強したい」パワーがやってくる

時に育児との両立で空回りすることもあるけれど。

「勉強」に至らなかったこれまでと
育児もある中で
Google先生によるところの「無理しても努力して励みたい」という感覚。


そう思えたのは
自分で自分の人生を選択すると決めてからな気がする。

いろんなことの責任は
良くも悪くも全部自分にあって
コンプレックスに負けそうなときもあるけれど
まずは全力で頑張ってみよう!!と思える。

色々な出会いや仲間がこんな気持ちにさせてくれた。
人生って、ほんとうにわからない!!

まだまだはじまったばかりの
「私と勉強」でした!

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