柱の陰(ダスト・エッセイ)

学生という身分を失って半年以上過ぎた。今でも週に一回大学で仕事をしつつ、授業に潜り込んだり、イベントに参加している。どんだけ大学が好きなんだと、時々苦笑いされる。



 大学とは、いわゆる社会人に向かって一方向に進んでいく、行っても行かなくてもいい、小中高の次の段階の一種だと思い、入学した。


 ところがどっこい、大学の公開セミナーの手伝いをすれば、参加者のほとんどが60歳を超えている。海外の大学に通った学生や、出身の教員からは、海外の大学にはいわゆる社会人が結構いたよ、と聞いた。18歳から22歳(だけ)が通う場所ではないのだと、教えてもらった。


 どんなタイミングでも、どんなルートでも、いいんだと、教えてもらった。


 まだみんなが知らないことを探求していく。それは多くの場合、みんなが当たり前だと思っていることを疑って、歩もうとする。大学では、そんな野心的な挑戦が行われている。そこには、結構な物好きたちがいる。


 ただ、物好きためだけの場所ではない。その場所の中だけでなく、その場所が社会の中、あるいは社会で生きる自分の人生の一部分としてみると、また少し、見え方が変わった。


 都会の駅構内でラッシュアワーの人波に乗り、逆戻りしたい時、柱の陰に逃げ込む。一旦落ち着くと、反対側が、逆戻りの方向に流れていることがある。”みんな”の流れの中で、流れに対する疑問や、流れていることに疲れた時に、こんなふうに、一旦駆け込む場所が欲しい。


 大学を、そんな場所に位置付けるようになった。一方向に進む段階の一種ではない。むしろ、生きて描く線にひねりを加えるような場所として、期待している。



 そんな自分なりの大義を抱きながら今日も胸を張って大学に通っていると、見ず知らずの学部生に、タメ口で話しかけられてしまった。もう少し、貫禄がほしい。


(2023年11月30日投稿)

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