#2 冷めてる人は愛すべき人である
こんばんは、mamaririです。
皆さんは友達や家族からどんな人だといわれますか?
私は最近他己分析をしてもらおうと人に聞いたとき、冷めてるねって言われてギクッとしました。
その人には別に私を責めようとかそんな気はさらさらないと思いますが、ふと「冷めてることをマイナスに考えている自分」に出会いました。
今日は、冷めてることがダメなことなのか考えたいと思います。
なぜ冷めていることをマイナスに思ったのか
さて。自分の冷めているという性格には薄々気づいていたはずなのに、なぜそれをマイナスに思ったのか。
自己嫌悪、自己肯定感が低い......いろいろ言えそうですね。
巷では、「自己肯定感を高めよう!」的な感じの記事だったりハウツー本が売れていたりします。売れているってことは、自己肯定感が高いことが良いことだと思われているから。世の中は、熱い人間や自信たっぷりな人、明るい人、光属性にある人々が大好きです。
最近のこの風潮は、「自己肯定感が高い」ことが良いとされているから低い人が余計にコンプレックスや焦りを抱いてしまってうまくいかない、みたいな現象も生んでしまっているんじゃないかと思うんです。
とはいえ、私もこの無意識の刷り込みを受けているおかげで「冷めてること」をマイナスに思った次第です。
冷めているということとは
じゃあ冷めてるって一体どういうことなのか。
私は子供のころから、いつも一緒にいる子だとか大親友みたいな感じの子がいなくて、ある程度大人になってからも仲のいい子はいても毎日連絡を取り合うような距離感の子はいません。
あと、中学のクラス替えでみんなが涙のお別れをしていた時も、高校の卒業式でも泣けなかった。
これを冷めているというのなら、冷めてるとは他の人と比べて感情がくっきりとみられない人のことを言うのかなと思います。
冷めているのはダメなことなのか
私が冷めている理由は性格にあります。こういう距離感がちょうどいい。でも冷めている人にもタイプがあって、感情を表に出せないトラウマが過去にあったり、そもそもそういう性格なのでそれを問題に思っていなかったり、ほんとに色々。
もしトラウマがあって感情を出せないのなら、しょうがない。むしろそんな自分を形成するドラマがあることが愛おしいことなのではないかと思うんです。
そもそもそういう性格の人はそれが個性なのだからもっとダメじゃない。それを許容してくれない世の中のほうがダメだと私は思います。
世の中は少し煩すぎる。
光属性じゃなくたっていいじゃないか。冷めてたっていいじゃないか。
冷めている人は愛すべき人だ。
やっぱり、人には人の歩んできた人生があるから一概には言えない、みたいな言葉でまとめてしまう私は冷めているのかなと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。