明日も私は生きているだろうか?…「当たり前」ではなくなった世界【今週のおすすめ記事】
こんにちは!ママリ編集部のみほです。突然ですが、皆さんは日常の中で「死」を強く意識したことはありますか?
「死」について考えるきっかけは、身内の死や自分の病気など、身近なできごとだったり、あるいはニュースを見たりして考えることもあるのではないでしょうか。
ですが、毎日を変わらずに過ごしていると、ふと「死」は遠い先のもの…まだ関係のないものとして、通り過ぎていくものかもしれません。
最愛の夫の突然死を描いた、『「当たり前」を失った朝』
ある日突然、帰らぬ人となった夫…。『「当たり前」を失った朝』は、最愛のパートナーの死を経験した、リコロコ(@ricoroco.2019)さんのフォロワーさんの体験談を元に描かれた作品です。
夫の突然死を経験したフォロワーさんは、最初、その事実を受け入れることができませんでした。日々を「当たり前」のように一緒に過ごしていた最愛の人が、突然目の前から消えてしまう…誰しも考えたくないこと、受け入れ難いことですよね…。
私も20代〜30代にかけて、友人や仲間が突然死したことを聞き、大きなショックを受けたことがあります。同時に、その時「死」がとても身近に感じられたできごとでした。
「生」は川の流れのように、途切れることなくつながっていくもの。その流れの先に「死」があり、人生の景色はその流れに沿って移り変わっていく…今まで、どこかそんな風に感じていたように思います。
しかし、実際は「死」という川の上に「生」という橋があり、橋から落ちてしまえば、そこが「死」なのかもしれない…身近な人の「死」から、そんなことを考えた記憶があります。
「死」があるからこその「生」の輝き
今週のおすすめ記事である、『「当たり前」を失った朝』では、最愛の人の「死」を経験したからこその「生」の輝きや、「今」という時間の尊さが描かれています。
この作品を読みながら改めて感じたのは、「明日も私は生きているだろうか?」ということです。
それは、「当たり前」と思っていた日常に、ふと差し込んだ問いであり、そう問うことで「今」という時間が「当たり前」ではなくなった瞬間でした。
「死」に限らず、「当たり前」と思っていたことが、「当たり前」でなくなるとき、見えていなかったもうひとつの景色が見えてくる…そんなことを考えさせられました。
皆さんは、この作品からどんなことを感じますか?ぜひ、ご意見お聞かせください!
リコロコ(@ricoroco.2019)さんのインスタグラム
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?