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あなたは僕の家族じゃなかった。

何か書きたい。
そう思うようになったのはいつからだろうか。
ペンを紙の上で思いのままに走らせる喜びを。
過去に綴った妄想の全てを思い返す幸せを。
始めて知ったのはいつだっただろうか。

引きこもる6畳半。
部屋の外から線香の香りが漂う。
母さんが死んだらしい。
知らされたのは亡くなって2日後の夜中だった。
祖母が珍しく部屋のドアを叩いて、ドアと床の隙間から便箋を滑り込ませてきた。
封を開いて手紙を読む。
『貴方の母さんが2日前亡くなりました。最後まで貴方のことを心配してくれていましたよ。貴方の出版した本をベットの傍において、いつもそれを読んで、貴方のことを思っていましたよ。最後まで会いに来なかったのですから、ここでちゃんと区切りをつけなさい。私も父さんも爺さんも母さんも、いつまでだって貴方の味方だからね。』
心なしか文字は震え、滲んでいるように見えた。

僕にとって、家族は偽愛で偽善だった。
常に1番大切な位置に置いておかなければならないという呪縛があった。

僕の実母は、僕を産んだと同時にこの世から去った。
父さんは僕を連れて祖父母の元へ帰り、一緒に暮らし始めた。
ありがちなストーリーだ。
そして僕が中学校入学と共に、父さんは再婚した。
いつも厳格な父が、頬を少し染めて真剣な顔をして、
「この人をお前の2人目の母親にしたいんだ。」
と言った、あの時の事をまだ鮮明に思い出せる。
断る理由も余地も無かった。
実母との思い出はある訳もなく、母親からの愛に飢えていた僕はすぐに義母と仲良くなった。
ありがちなストーリーが流れていく。
彼女は、僕の書いた物語を初めて見せた人でもあった。
真剣に読んで、面白いと、好きだと言ってくれた。
それがきっかけで作家を目指すようになったと言っても過言ではない。
初めて本を出した時も、あの人は1番に読んでくれて、1番に好きだと言ってくれた。
そこまで思い出して、ため息をついた。
「ありがちだなぁ…。」
ありふれた物語は実母が僕の命と引き換えに逝った時から始まった。
父が再婚、義母とはすぐに仲良くなった。
作家をめざして、僕は引きこもって。
結局、あの人の顔を最後まで見れないまま。
ありがちすぎるこんな物語の中で、僕はどうしようもなく、ただ、ただ。
ただ、彼女に恋をしていた。
仕組まれたような展開に身を任せるのが生まれて初めて楽しいと思えた。
母親として、友人として。
そして、一人の女性として。
僕はあの人を愛していた。

「あら、あの子出席してるのね。」
「本当だわ。」
葬式会場に踏み込むと、予想はしていたが視線が痛かった。
親戚の人達が声を小さくして話すのが聞こえる。
僕は誰とも目を合わせず、ただ席に座った。
「ねぇ、ちょっとあんたよね?姉さんの義理の息子って。」
唐突に声をかけられる。
振り向くと強気そうな女性が立っていた。
「あんたよねって聞いてんの」
「あ、はい。そうですけど。」
「じゃあこれ。姉さんが、私が死んだらあんたに渡せって。」
手紙だった。
可愛らしい花の便箋だった。
受け取り、すぐに手紙を読みたいという気持ちを抑えてパソコンと原稿を入れていたカバンにそっと差し込んだ。
「私さ、あんたは葬式に来ないと思ってた。」
そう言いながら義母さんの妹は僕の横の席に腰かけた。
「だって、いつまでたっても病院に見舞いに来なかったし、手紙とか、心配のメールとか?そんなのも送ってよこさなかったじゃない。てっきりあんたは姉さんを心の奥底では忌み嫌ってんじゃないかって思ってたの。でも、違ったのね。」
「…違う?」
「嫌ってたらそんなに意気消沈してないと思うし、大切に思ってたから手紙を見て嬉しそうにしたり大事にカバンにしまったんじゃないの?」
なかなかに観察眼が優れている人らしい。
僕は視線を上にあげて、花に囲まれて笑っている写真の中のあの人を見た。
いつもあの人の笑顔が僕の物語の中心にいた。
吐き出すように、そっと呟く。
「僕にとってあの人は、」
言いたいことを全部抑えつけて、この場にふさわしい言葉を選ぶ。
「かけがえのない家族でした。」

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