『見たな』
ゴゥゥゥンゴゥゥゥン…
ニュッニュッニュッ…!
パッパッパッパ!!
朝起きたら、右腕が青くなっていた。そして腰にナイフが刺さっていた。私は死ぬのだろうか。朝起きたばかりなのに。母が起こしに来る。いつだってニートなんだ。もう三十二。救えねぇなと思う。洋介、早く起きなさい!扉の前で声が聞こえる。あぁ、死ねて幸せだ。
本当にすみませんでした!とにかく謝る。なんにも反省なんてしていない。上司は顔を真っ赤にして怒っている。怒った男はなぜ目を上下させるのだろうか?額からつま先までを検分してまた顔を震わして叫ぶ。長田くん!!信頼してるんだぞ僕は!!その言葉は何度聞いただろう。あんたは信頼しかしてねぇじゃねぇか。何にもしてくれない。むかついた。死にたがってるやつの息の根を止めてやりてぇ。
学校は行くと机には花瓶が置いてあった。余りいい趣味じゃない花だ。これって、ケシの花?そう誰ともなく問いかけると、金髪のクラスメイトに殴られた。なんにもしていないのに。私は叫んだ。昨日の夜にみた映画を思い出した。殺人鬼の映画。ところで今日は火曜日だっけ…痛っ…やめてっ…
路上ライブをしている。道行く人の三割は振り返って驚いた顔でこっちを見る。四割はうるせぇと嫌そうな顔をする。月曜日の朝にギターを街中でひくのが到底まともとは言えないだろう。お兄さん、ちょっといいですか?警察官に声をかけられた。ダメだ、捕まりたくない。逃げ出した。まだやるべきことが沢山あるのだ。今日は水道代を払う、バイトへ行く、好きな女の子とLINEをする、月曜ロードショーを見る、英検の勉強をする。なんか他にあったけなぁ。走りながら考えよう。とにかく逃げなければ…
昔は売れっ子だったのになぁ…御船動けば波が立つ。なんて言われちゃうほどの売れっ子だったのに。今ではほんとになぁ…出版社の隅っこでタバコを吸う。指先がジーンとする。早稲田を出て、そこそこの会社に行った。五十になり、脱サラで小説を書き始めた。まずは芥川賞。ノーベル文学賞候補にもいったのに。方向転換をして大衆文学。東野圭吾に並んだ。中でも代表作と言われる職業不定の男が朝起きたら死の淵をさまよっていた『見たな』という作品はベストセラーのものだった。あの頃は欲しいままに生きていた。しかし非情なもので今では凋落の日々。困っちゃうね。
映画を見る。隣りにはそっこそこ可愛い女。一夜限りの仲だ。女の家に行ったと同時に月曜日の夜に映画を放送するテレビ番組でやっていた。女はその原作の作家が大好きらしい。たしか御船烏合といったか?『見たな』という、その作家のベストセラー作品。原作を読んだが何も面白くなかった。まず文体が酷い。表現も酷い。脈略も無い。不条理を元にした文学だという人もいるが、駄文だろう。隣の女を見る。スッと通った鼻筋。金髪なのだが、荒れた髪質をしている。どうやら高校生らしいのだが。まず汚く太った男が腕を真っ青にして、腰にナイフを刺して泣きながら登場する。ベットの上で涙を流す。彼の母が階段を上ってくる。耐えられない。メルドー(糞だ)とフランス語で呟いてから女の股を愛撫する。部屋を見廻す。俺のジャンパーはクリーム色の壁にかけられている。これまた俺のギターのそばに。荷物に目を定期的に向けないと心配になるのだ。電気を消す。テレビを消す。あぁっと女が叫ぶ。
カフェ。勤続5年。やってられるか。兎にも角にもコーヒーを淹れる。はぁいと声を出して注文をとる。スーツのサラリーマン。すっごい酷い顔をしていて市販の愛情みたいな顔をしている。頬は痩け、目はぎらぎらしていて、髪の毛はボサボサ、まるで亡者だ。ご注文はぁ?と愛想良く。はぁと項垂れる。嫌な客、早くこたえろよと思う。項垂れすぎて長田と書いたネームプレートに鼻が当たる。カチャと音がする。店の中にはクリームのホワイトルームが流れている。ホットケーキでと言う。書きつける。カバンの中が見える。血の着いたナイフが入っている。はぁい。それ以上私は何も言わなかった。昔は結構喋ったんだけどなぁ。それが原因で虐められたこともあったっけ。高校の頃だ。金髪のクラスメイトに殴られたな。あれは痛かった、はず。実の所あんまり覚えていないのだが。BGMはクイーンのアナザーワンバイツァダストに変わる。
「幸せな日々」
少し涼しい風の吹くこの頃。スイスの田園風景を眺める。高く生い茂った草に囲まれた家の庭にテーブルと椅子を置く。日が『カラマーゾフの兄弟』の上に差す。机の上にはその本の下巻、スライスされたエメンタールチーズ、白ワイン。定年退職をして、今では趣味に耽ける毎日。スイスに移住してのどかな日々を送る。
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