「ワガママ」を考える -5- ワガママに生きるとは
「ワガママ」を考える、第5回。
前回、「○○したいワガママ」と「○○したくないワガママ」を考えて。
結局、人は、端から見ている分には、やっぱり、マイナスのワガママよりも、プラスのワガママのほうが、より聞き入れてあげよう、と思えるものなのかもしれない。
そう思えた。
そこで。
最近よく聞く「ワガママに生きる」っていう言葉。
今日はこれについて書いてみようと思っている。
* * *
今朝、この「ワガママ」を考えるシリーズを投稿出来なかったので、代わりにnoteで初の「つぶやき」を挟んでみた。
そこで少し触れた、ドラマ「けもなれ」。
ドラマを見た人にしかわからない内容で申し訳ないのだけれど、ガッキー演じる深海晶、とてもシンパシーを感じるキャラだった。
獣になれない=ワガママになれない、我が道を歩めない。
そんな感じがした。
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「ワガママ」=悪、だけの側面しか見れず、人のことを考えすぎて、自分の考えや気持ちを少しも優先できなくなっていると、体や心を潰してしまう。
「病む」ってやつだ。
でも、「ワガママに生きる」ことを推奨している人は、ただ自分勝手に、周りから人が去っていくような人に迷惑をかけまくって、傲慢に生きていけ、と言っているわけではないだろう。
「ワガママに生きる」とは。
自分の思いや意思に正直に生きること、だと思う。
人の意見に振り回され過ぎず、自分の意志で、自分の人生を決めていく。
でも、人の意見に振り回されるのと、人の意見に耳を貸さないのとは、また違う、とも思う。
人の意見は人の意見で聞いてみることは大事だと思う。
その人の助言が、威圧的であろうが、ワガママであろうが、いったん聞くことは出来る。
問題は、そこから先、それをどう自分の中で調理して、自分の答えを出すか、だと思う。
自分の思いを貫くとき、ただの「ワガママ」にならないようにするためには、きっといろんな壁がある。
それを、乗り越えていける準備も必要なんだと思う。
そのとき自分が一番大事に思っていること、それを掲げて、それに向かって進んでいく。
人のことも考えながら、人の意見も参考にしたり、取り入れたり、丁重に却下したりしながら、ただ進んでいく。
進んでいきたい気持ちを大切にすること。
「ワガママに生きる」って、たぶん労力がいると思う。
だからこそ、それに負けない強い思いがないと、「ワガママ」には生きられない、とも思う。
ドラマ「けもなれ」で、晶と対照的な立場の呉羽さんは、強さの中に弱さも見える、でも強い「ワガママに生きている」女性だった。
どちらかと言えば、今は晶よりの私だけれども、ときたま顔を覗かせる、自分の中の呉羽さんの部分も、実は好きだ。
今までの人生を振り返ってみると、もしかしたら、意外と私も、ある程度は「ワガママ」に生きられているかもしれない。
そう思った。