クイティウの匂い
年に一度の健康診断を終えて、久しぶりのおひとりさま。
お買い物に行こうかな、と迷ったけれど、バリウム飲んで下剤を飲んでいる身なのでおとなしくごはんだけ食べて帰ることにする。
さて、何を食べよう。
家よりもひとつ手前の駅でとりあえず電車を降り、思いついたのはカンボジア料理のお店だった。
そこの駅には息子と何度か買い物に行っているのだけど、お店は細く長い階段を上った3階にあるので、ベビーカーを持って行くのはちょっと大変。だから、とても久しぶりだった。何年かぶりのカンボジア料理にわくわくしながら階段を上る。
ランチのセットにしようか。ビーフンやチャーハンやお好み焼きにサラダとデザートがつく。でもちょっと量が多いような気がして、豚肉のクイティウにした。
クイティウとはお米の麺のこと。ベトナムのフォーに近いけど、味つけは少し違う気がする。麺は柔らかめ。
チリン、とベルを鳴らして、注文した。その直後に壁に貼ってある"パクチーひと皿250円"の紙を見つけて、お姉さんを呼び止め、追加する。
お客さんはまだ私だけ。奥にある厨房からかすかにクメール語の会話が聞こえてきて、「もっと厨房の近くの席にしたらよかったな。」と思う。
熱いお茶を飲みながら、国王の写真やメニューを眺めて待っていると、お姉さんがおまたせしました、とどんぶりとパクチーの小皿を置いてくれた。そのとたんに、カンボジアのどこかの道端の食堂の雰囲気がよみがえる。
白っぽくくすんだアルミのテーブル。その下に置かれた、カラフルなプラスチックのくずかご。テーブルの上にはアンコールビアの広告がついた入れ物に入っている紙ナプキンがあり、それでフォークとスプーンを拭くのだ。
匂いはすごい。
干しエビか何かの乾物で出汁をとったような独特の香ばしい匂いが、一瞬で記憶を蘇らせる。もう大分色褪せてしまっていたその空気が。ざりざりした床の感じも、向かいに市場があったりする砂っぽい道も、お茶が入っているちょっとくすんだグラスも。
ああああ、とひとりで感動して、でもそれを共感してくれる人もいないので、小皿のパクチーを全部どんぶりにあけて黙々と麺をすする。
八角の香りがする大きなチャーシューと、底にたくさん入ったもやし。
カンボジアではパクチーが苦手でいつも抜いてもらっていたのに、日本に帰ってきてから無性に食べたくなる不思議。本当はライムをキュッとしぼりたいところだけど、それはないので我慢した。
この感動を伝えられるうまい文章が書けるようになりたい、と思ってエッセイを探しに本屋さんに寄って帰った。