相手のことが”怖い”と感じるとき
痛いことや病院が大っ嫌いな娘。
病院に行くときは、駐車場に到着する交差点の前からいつも泣き始めてしまう。
それは赤ちゃん頃から、3歳になった今でも変わらない。
だけど、過去に2回だけ”泣かない時”があった。それは、弟(3ヶ月)と一緒に小児科で受診した時なのだ。
いつもなら、私と娘が2人で診察室に入り、診てもらうのだけれど、弟も一緒の時は、家族4人で診察室に入る。
弟がいるからしっかりしなきゃという意識というよりは、また「別の意識」が娘が怖さから解放しているように思う。
いつもなら、自分にだけ向けられるお医者さんの視線が、別の人物(弟)にも向いているから、なんとなく”怖さ”が薄れている。
自分に集中して視線を向けられることが苦手な娘にとって、緊張から解放される。おそらくそうゆうことなのだろうと思っている。
「お医者さんは、自分だけじゃなくて弟のことも診ている」
そう思うと、少しリラックスできるのだろう。
これは、仕事や日常にも当てはまるかもしれない。
上司から「プロジェクトがうまくいくかどうかは君にかかっている」と言われるより、「プロジェクトがうまく行くかどうかは、チームワークにかかっている」と言われたほうがラク。
自分に対する期待値と責任の比重が小さいし、プレッシャーが少なくなる。
自分だけに焦点が当てられているとき、「うまくやらなきゃ」とか大きな責任感を感じてしまい、なんだかそのもの自体が怖く感じてしまうのだ。
”相手の意識が自分だけでなく、他人にも向けられている”
そう思えたとき、「怖い」という感情は緩和されるものだろう。
相手が自分だけに言葉を投げかけていたとしても、実は相手の頭の中はいろんなことを考えていて、今発されている言葉はそのほんの一部の意識なのだ。
そんな風に捉えてみると、肩の力を抜きながら力を発揮できるだろう。