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辛さも怖さも安心して体験した先にある『平和』

昨日の広島駅。
コロナ前と変わらないくらいに、たくさんの外国人観光客が歩いていました。
定食屋さんに入っても、外国人の家族連れが楽しそうにメニューを見ていたし、新幹線の改札の向こうからはイタリア国旗を目印に、20人くらいのグループがわくわくした表情で、目の前を通って行きました。

うだるような暑さ。
外国の人は、日本の蒸し暑さに慣れていないだろうなと、ボーッと考えていると、10才くらいの男の子と4.5才の女の子を連れた、手足のすらっと長いママとパパが通り過ぎていきました。
あのちびっ子達も原爆ドームや資料館に行くんだろうか。。。

私が子どもの頃、広島県では8月6日はどこの小中学校でも平和集会(全校登校日)だった。
夏最中の体育館。
はだしのゲンの映画上映の為に、暗幕のカーテンが閉め切られていた。

体育館で、わたし達は軍隊のように綺麗に乱さず列に並び、お行儀良く体育座りをして映画を観る。
むわっとした熱気。カーテンのかび臭さや、子ども達の汗の何とも言えないもわっとした空気がどんどん濃いくなっていって・・・。
意識がどんどん遠のいていく。
映画の内容が入る余地もない。

体育座りの膝小僧に顔をうずめて、気分の悪さにすすり泣いていると、先生が近くに来た。
「ちゃんと見なくちゃダメじゃないの!!」

今思えば熱中症の症状だったのかもしれない。
朦朧として、気分が悪くなり、あくびが沢山たくさん出て止められない。これまた「あくびをするなんて失礼だ!」と怒られた。。。

私にとって、原爆も平和学習も恐怖だった。
「戦争は恐い」
「戦争はしてはいけない」
あまりに恐怖過ぎて、ただそれだけが頭に残った。

子ども達の生きる世界には、毎日沢山の楽しさも、悲しさも怖さもあって。
子ども達にとってそれらを体験することが悪いことなのではない。

子ども達がそれらを体験した時に、子ども達が自分の言葉や行動で、それらの感情や想いが表現できるように、大人が寄り添い待ってやることができるか。
子ども達が毎日の中で、楽しいポジティブな感情も、悲しいや恐いなどのネガティブ感情も、いかに安心して体験できる環境を作ってやることができるか。
安心してつまずいて。安心して失敗して。安心して立ち上がれる。そんな環境が創りたい。

子どもの頃、こころが落ち着かずそわそわした時には、よく母の部屋に行き、ベットで本を読んでいる母の隣にもぐりこんでいた。何を話す訳でもなく。
子どもも大人も本当に辛い時には、話せない。言葉にできない。
ただ横に居る。それだけで安心できた母のぬくもり。
私にとって『平和』とは『ぬくもり』だった。

あの外国人のちびっ子達も。
ママとパパの傍らで安心してヒロシマを体験してくれたらいいなぁと、後ろ姿を見送った。
今年もヒロシマに8月6日がやってくる。

※被爆三世のわたしから見た、おじいちゃんについて、被爆者の戦後について、去年とおととしの8月のnoteに綴っています。
そちらもご覧いただけると嬉しいです↓


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