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スキを極めて愛にする

奈良に旅行に行きました。
小学6年生の修学旅行で行って以来の奈良。
当時太っていた私は、東大寺の柱に空いていた「大仏の鼻の穴」と同じ大きさの穴が、「つっかえたらどうしよう」と不安でくぐれず。
やらずに後悔するよりもやって後悔する方がマシだ
と、誰かが言っていましたが、さましく!大人になっても「やってみたら良かったなぁ」と思い出す、修学旅行の苦い思い出。。。

今回泊まったお宿は、『和空 法隆寺』法隆寺の目の前、参道脇にあるお宿。これは法隆寺を朝から晩まで満喫できるに違いない!!
期待した通りのお宿でした。

夜、お宿のスタッフさん(自称オタク。尊敬を込めて「オタクさん」と書きます)の仏像についてのトークショーへ参加。
オタクさんより「この中に仏像好きな方いらっしゃいませんか?」

私は仏像が好きなのです。
でも、「ここのお寺のこの仏像が・・・」とか、「この仏師のこの作品は・・・」とか。そんな事まで語れない。

ただただ、仏像を前に手を合わせ無言で対話する。
ただただ、ざわざわした心が落ち着き忘れていた清い心を思い出す。
そんな時間を仏様と過ごすのが好きなのです。

手を挙げれなかった、もやもやした気持ちを感じたのも束の間。
1時間の仏像トークは興味深く面白くあっという間に終わりました。
そこで「やっぱり仏像が好き」と確信した私。

次の日は朝からオタクさんの法隆寺ツアーにも参加しました。
2時間かけて西院伽藍を回るツアー。
仏像や仏師、お寺の歴史、仏教の歴史、日本の歴史、建築様式から宮大工の心意気まで、本当に盛りだくさんの内容で、片時も耳が離せない!

オタクさんは語りかけてくれます。
「中門の仁王像、阿形と吽形で色や形の違いが分かりますか?」
「回廊のこっち側が飛鳥時代、こっち側が江戸時代に修理された柱や梁の違いが分かりますか?」
「五重塔の先っちょに何かあるのが見えますか?」
「この灯籠はいつからここにあるのでしょう?」
参加者を置いてけぼりにせず、ちゃんと対話しながら語りかけてくれるオタクさん。

ツアーの最後は鏡池のほとりの正岡子規の碑の前で。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」

正岡 子規

現代の私達にとってはすんなりと馴染む言い回し。素人の私には、柿を食べていたら鐘が鳴ったんだなとしか感じ取れないこの句。

オタクさんの解説。
病気で体調の悪かった子規、奈良東大寺に来たことは記録に残っているが、法隆寺まで来た記録はなく、また病状から考えて、法隆寺まで来れる状態では無かったと考えられている。
この句は、法隆寺の横の鏡池の茶屋で自分の好物の柿を食べいる。子規がそんな状況に思いを馳せて詠んだ句ではないか。。。
病気で動けなくなっていく身体。それでも心は自由に。叶わぬ願いも込めながら。

物事の背景を知る。そこに込められた想いが分かる。そこにイメージが広がり、感情がゆっくり動き出す!

聖徳太子のいた飛鳥時代に暮らした私達と同じ『人』
何百年先、木材がひわることを加味して設計し、修理の材料が足りなくなることを見越して地下に保管してくれていた。
そこには法隆寺に対しての『愛』だけでなく、後世に続く私たちへの『優しさ』すら感じられる。

「スキ」は『愛』だ。
オタクさんは本当に楽しそうに、嬉しそうに、時折愛おしそうに語った。
それを聴いている私達も彼の想いを感じて、楽しく暖かい空気に包まれた。

「専門家でなくただのオタク。でもオタクなめんなよって思うんです」と笑顔で語ったオタクさん。私にとって紛れもなく彼は専門家。
ちなみに私の専門家の定義は
『スキを言葉で説明できる人』

ツアーの最後、勇気を出してオタクさんに申告してみた。
「昨日言えませんでしたが私も仏像が好きなんです!」

言わずに後悔するよりも言って後悔する方がマシ。
小学生の頃より、成長し大人になった『わたし』

「スキ」は人の心を動かす。
オタクさんにもらった勇気。
私の「スキ」も大切に暖めていこう。
大切に大切に暖めて、大きな大きな『愛』になりますように。

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