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【連載コラボ小説】夢の終わり 旅の始まり #11
数分して電話が掛かってきた。
『まだ起きてたのか。病人は早く寝ろよ』
「昼間たくさん寝ちゃったから眠くないんだよ。父さんは今、家?」
『外に出てきた』
「寒いんじゃないの?」
『お前みたいに薄着で出てきたりしない』
「家からだと僕と話しにくい?」
『…子供たちが騒がしいだけだ。変な意図はないよ』
"変な意図はない" なんて…。
「家族は…僕とのやり取り、変な風に思ってないの?」
『子供たちはまだ小さいからわかってないだろうし、妻は誰と話しているかいちいち把握しないと思う』
「父さんも…迷惑じゃない?」
父は何かを言いかけたが『好きにすればいいだろう』と言った。僕はそんな言い方しなくたって、と思ったけれどそう言うのは止めて「わかった。好きにする」と答えた。
父はフフっと、笑ったようだった。
『送ってくれたプレイリスト、あれだけ聴き応えがあると眠るどころじゃなくなりそうだな』
「もう聴いてくれたの?」
『動画は観たよ』
そんなに早くチェックしてくれるとは思わなかった。
父との間の僅かながらの変化を感じる。
「…眠れなくなる時ってどういう時なの?」
僕は朝、返事をくれなかったメッセージについて、直接訊いてみた。
『…そりゃ、色々あるだろう。生きていれば何かしら』
「そうだけど…」
『ありきたりな理由だよ。仕事もそうだし、たまには家のことだって』
「…何か大きなストレスとかあるの?」
『お前な…俺のことより自分の管理をしっかりしてくれよ。こんな季節に薄着で外出て風邪引くなんてことするくらいなんだから』
父ははぐらかすのが上手い。会話をするようになってからよく感じる。
だから余計に本心がわからないんだ。
「まぁとにかく…そういう時に聴いてもらえたらいいなと思って弾いてみたから」
『うん…ありがとう』
少しの間、お互い黙り込んだ。こういう時に生まれた感情を素直にぶつけられるほど、僕たちはまだ馴れ合っているわけではない。
『もう家に戻るよ』
「うん…」
『おやすみ。お大事に』
「父さんも」
どうか明日も、消えてしまいませんように。
* * *
翌日は鼻水がまだ出るが熱は下がったので出社した。
日中、父に送ったプレイリストのURLを透さんにも送った。
しばらくして返信が来て、父のために弾いたということに対し絶賛のコメントが書かれていた。
何ていうのかな、川嶋くんのピアノは音の粒もはっきりしているし表現力が本当に豊かだし素晴らしいのは承知なんだけど、今回のは親父さんに向けてということもあるのか、どの曲にもすごくいたわりを感じる音色だったよ。愛情というべきか。
あとで彩子にも聴かせて感想を送ってもらうようにするよ
そんな事が音色に現れるのか、と僕は驚いた。
確かに気持ちは込めて弾いたけれど。
* * *
20時過ぎ。
スーパーで買った一人用の鍋を温めて食べていると、彩子さんからビデオチャットが入った。
閉店後のフェルセンからのようだった。
『川嶋くん、動画拝見させてもらったわ。透さんも言ってた通り、とても愛が溢れていて、有名でどこでも何度も聴いたことがあるはずの曲なのに、なんだか涙が出そうになっちゃったわ』
「そんな…恐縮です」
『お父様もご覧になったんでしょう? なんて感想だったの?』
「聴き応えがあるから、かえって眠れなくなるって言ってました」
彩子さんは笑った。
『最高の褒め言葉じゃない』
「僕の意図は外れているんですけれど」
『確かにね』
背後から透さんもやって来て『やぁ、この前はどうもありがとう』と穏やかな笑顔を向けてくれた。
「実は昨日風邪引いて会社休んだんですけど、まぁ元気です」
2人とも『矛盾してる』と言って笑った。
『僕が川嶋くんに伝えたこと、すぐ実践してくれて嬉しかったよ』
『あら、何を伝えたの? 私知らなかったわ』
「勘ぐって質問攻めにするよりも、音楽で伝えていけば、というようなことを言ってもらいました」
僕が答えると透さんは『なんだ、男同士の秘密ってことにしようと思ったのに』と笑った。
「その、先日の強迫症の方のエピソードを聞いた時に、僕も父の頭の中で起こっていることを理解したい、と思って。強迫症ではないけれど、見えない何かが父の頭の中で起こって、それで極限状態になるのだとしたら、それは何だろうと思って。それで透さんはちょうど当事者だから…どうしたらいいですかってメッセージしたんです。その時に言われたんです」
『そうだったの…』
「二度と気がふれないように、予知とか予防とか出来ないかなとか、僕も変なこと考えちゃって。そのためには日頃の会話しかないんでしょうけれど、僕たちはそれが難しいから…なんか焦ってしまって」
うんうん、と彩子さんは穏やかな顔をして頷く。
『音楽はそういう意味だったら、予防にはなるんじゃないかな』
そう言ったのは透さんだ。
『ワルシャワでカタルシスを得た、と話していただろう? 会話や非日常の環境も大きいだろうけれど、そこに音楽もあったわけじゃないか。僕は川嶋くんが今の状況で出来る最大限にして最高のものが、君が奏でる音の提供、だと思うよ』
『そうね。言葉ってどうしてもその時の感情も入るし、伝えたいことが100%確実に伝わらない事が多かったりするけれど、音楽にしたら返って届きやすくなることがありそうだものね』
『僕も彩子にプロポーズする時にリストの "孤独の中の神の祝福" という曲を弾いたんだ』
「すごい。透さんらしい」
彩子さんは照れたように透さんのお尻あたりを叩く素振りを見せた。
『音楽には時には言葉以上のメッセージが込められることがある。それは確かだから』
それなら僕も出来るかもしれない。
言葉や態度でうまく伝えられてこなかったこと、裏腹に伝わることがあると思ったことがよくあった。
けれど幼い頃から音楽だけは、斜視で見たりはしてこなかったつもりだ。
『川嶋くん、あなたの気持ちは既に十分にお父様には伝わっていると思う。だからあなたがそういった形で投げかけていくこと、本当に喜んでいらっしゃると思うわ』
「父の今の家族がなんて思うか不安ではありますけど。だって他所の女の子供だから」
『川嶋くん』
透さんがやや厳しい表情になって僕を見た。
『それでも君にとってはたった一人の親父さんだ。親父さんにとってだって…。僕も親父に対してはこれまで複雑な気持ちを抱いてきたから上手いこと言えないけれど…』
『川嶋くんはご家族に迷惑を掛けるようなことをしているわけじゃないでしょう? あまり考えない方がいいわ。お父様もその辺りはコントロールしてくれているんじゃないかしら…』
「父も家族は特に気にしていない…とは話していました」
『とはいえ不安よね、離れていると尚更。見えない時間の方が多い分、余計な不安を作り上げてしまうこともわかるけど…。であれば建設的に何かを作り上げることだって出来ると思わない?』
「建設的に…」
『それが川嶋くんにとってはピアノを弾くこと、だよね』
神が僕に音楽を与えてくれたこと、良かったなと思った。
僕がピアノをやっていなかったら、ただ闇の底に沈んでいただろう。
誰の目にも触れずに。
けれど絶望の中にいたらそう言った光を見つけ出すのは難しいかもしれない。僕はラッキーだったんだろうか。
決して “普通” じゃなかったけど、普通でいることがいいことばかりとも限らないんだな…。
#12へつづく
Information
このお話はmay_citrusさんのご許可をいただき、may_citrusさんの作品『ピアノを拭く人』の人物が登場して絡んでいきます。
発達障がいという共通のキーワードからコラボレーションを思いつきました。
may_citrusさん、ありがとうございます。
そして下記拙作の後日譚となっています。
ワルシャワの夢から覚め、父の言葉をきっかけに稜央は旅に出る。
Our life is journey.
TOP画像は奇数回ではモンテネグロ共和国・コトルという城壁の街の、
偶数回ではウズベキスタン共和国・サマルカンドのレギスタン広場の、それぞれの宵の口の景色を載せています。共に私が訪れた世界遺産です。