【連載小説】あなたと、ワルシャワでみる夢は #5
2杯目のビールも半分ほど空けた遼太郎は、笑みを浮かべた。
「人の心なんて変わっていくものだ。むしろこの世に不変なものがどれくらいある?」
「…」
「妹はどうしてる? もうだいぶ大きくなっているだろう」
「陽菜は今、中学2年だ。俺と違って活発で、バスケ部に入っててHIP-HOPダンスもやってて…」
「そりゃ何よりだな」
相変わらず遼太郎は機嫌の良い顔で稜央の話に耳を傾けている。稜央はそんな雰囲気に慣れず、戸惑っていた。
「あの時一緒にいた彼女はどうした? インターンシップに来たくせに彼女、ウチの会社は受けなかったようだが」
"彼女" という言葉を出されて、稜央は少し無念な気持ちになる。
「あ…萌花のことか…。彼女は東京で大手の通信会社に就職して…」
稜央が高校から大学にかけて付き合っていた川越萌花は東京で就職し、地元で就職した稜央とは結局離れ離れのまま、自由な時間が極端に減った2人。次第に連絡が途絶えてしまった。
萌花には東京で新しく好きな人でもできたのだろう、と思った。
「遠距離はうまくいかなかったか」
遼太郎は穏やかな表情を変えずに言い、稜央は押し黙った。
「不器用なところは似たかな、お前」
「えっ…?」
稜央は何かを言いかけたが、ちょうど料理が運ばれてきた。
フリルをまとったような可愛らしい餃子のようなPierogi(ピエロギ)、ソーセージとザワークラウトを一緒に煮込んだBigos(ビゴス)。
「とりあえずポーランドの名物料理を頼んでみた。足りなかったら追加してくれ」
稜央はフォークでピエロギを1つ刺し、口に運ぶ。中は肉かと思いきや、チーズだった。
「うわ、これ中身チーズ…でも旨い」
「あれ、チーズだったか? 俺が間違えたかな」
少し慌てた顔をした遼太郎に稜央が思わず吹き出すと、遼太郎も笑った。
あ、今オレたち、初めて笑い合ったんじゃないか。
稜央は感じていた。何とも言えない不思議な感覚が稜央の身体を巡る。何かが溶けていくような、暖かいものが身体を循環しだすような。
まさか、ビールのせいじゃないよな。
ピエロギは結局、焼いたもの(通常は蒸したもの)で中身を肉にして追加で注文した。
本当に餃子みたいだ、と2人共はしゃいで食べた。酢醤油とラー油をくれ、と日本語で言い、そんな言葉誰も理解しない状況に2人で笑い合った。
ビゴスは当然、ビールにぴったりだった。
稜央もビールをお代わりし、遼太郎は結局4杯空けた。
* * *
店を出るとさすがに日も暮れていた。22時過ぎ。
稜央は話したいこと、訊きたい事が山程あった。しかしどれから訊いたらよいかわからないまま、酒の席では他愛もない話ばかりしていた。
けれどそんな会話は、この上なく楽しかった。
「良い夜だな」
遼太郎も通りを行き交う人々を見ながらそう呟く。同じ気持ちなんだということに、稜央も安堵する。
「バスでお前のホテルまで10分と少し。歩くと30分くらいか。どうする?」
「えっ、あ、ど、どうするって…?」
「…ちょっと散歩するか」
稜央は黙って頷くと、遼太郎はホテルとは反対の方向へ歩き出した。
22時とは言え宵の口のようなものだから人出もそこそこあるし、楽観的だ。
聞こえてくる会話も何だかわからない言葉だから、返って心地よいBGMのようだった。
ズボンのポケットに手を入れ半歩先を歩く遼太郎の背中が、妙に頼もしく感じた。
「右の角にあるのがワルシャワ一の高級ホテル、Bristolだ。その少し先が大統領官邸」
見ると瀟洒な、いかにも歴史あるヨーロッパらしい建物が見えた。それがホテルらしい。
大統領官邸は通りに面した門から広場を経て、大きな建物がある。が、アメリカのホワイトハウスなイメージがある稜央は大統領の住まいとはこんなもんか、と思った。
「この先が王宮広場だ」
そう言って遼太郎は歩みを進めた。稜央も慌てて付いていく。
やがて通りの先が開けて来る。右手にオレンジ色の大きな建物、正面には十字架を持った像がそびえる。
「右側にあるのが旧王宮で、十字架を手にしている像はジグムント3世。ポーランドの首都をワルシャワに移した王らしい」
稜央は言葉もなく見上げ、広場を見渡した。
サイリウムが入った玩具を投げ上げるパフォーマンス、若者のグループ、観光客、恋人たち…。
軽く入ったアルコールも相まって、夢のような感覚だった。
「この辺りは全て戦後建てられた。戦争でドイツにやられて壊滅したからな。言ってみればレプリカだ」
穏やかな顔して気持ちよさそうに王宮を見上げ、遼太郎はそんな事を言った。
「俺が今暮らしているドイツによって、この街は無にされた。1944年8月1日にワルシャワ市民が起こした蜂起は2ヶ月後白旗を上げることになるが、降参してもなおドイツ軍は容赦なく街を破壊した。ここは戦後生き残った者たちの執念で元通りに修復された。今はもう暗いから明日の昼間訪れるが、この左手奥にある旧市街は、当時の写真を元にまさに壁のひび割れまでも再現したと言われている。再現された市街としては初めて世界遺産に登録された所だ」
「…詳しいな。ガイドみたいだ」
遼太郎はチラリと稜央を見、少々その表情を引き締めた。
「俺がドイツに惹かれているのは、そういうところでもあったりする。破壊の執念だ。おかしいと思われるかもしれないが。今のドイツはナチスが犯してきた罪を償うために存在している側面もある。かつてのメルケル政権の時は特に徹底していた。彼女は東ドイツ出身だから、尚更だったのかもしれないけどな。
ドイツの贖罪と、一見『被害者』のポーランドとの関係には関心があるんだ。和解も含めて」
「一見…っていうのは?」
「完全な被害者は存在しない。特に戦争においては。ポーランドだって手足を縛られ口を塞がれ、されるがままだったわけじゃない。日本で第二次世界大戦を考えた時、どうしたって被害者意識が強いだろう? 原爆投下があったからな。でも本当にただの被害者なわけではない。戦争とはそういうものだ」
「…」
稜央が言葉をどう次ぐか迷っていると、遼太郎は稜央の目を見て「つまらない話したな」と苦笑した。
「いや、つまらなくはないんだけど…」
「けど、なんだ?」
「俺をわざわざワルシャワに招待したのは…どうしてなんだ、と思って。やっぱりまだわからないから」
遼太郎は踵を返し、来た道を戻り始めた。稜央も後に続く。
「ピアノ弾きのお前ならここがどういう所か知ってるだろう?」
「ショパンの国…でもそれでどうして…あなたが…」
稜央は歩みを止め、遼太郎は振り向いた。
「俺…あなたのこと、なんて呼べば…」
「…好きに呼べばいい」
「でもあなたは…父と呼ぶなと…あの時…」
#6へつづく