【連載】運命の扉 宿命の旋律 #38
Suite - 組曲 -
稜央の涙がおさまった頃を見計らい、萌花は笑顔で「帰ろ」と声をかけた。
なるべく明るくしなくては、と思った。
「何食べたい? 稜央くんが好きなハンバーグ作ろうか。野菜もたくさんあるといいかな。サラダでしょ、コーンスープとかも…なんか洋食屋さんみたい」
努めて明るく振る舞う萌花には稜央は少しいたたまれない気持ちになった。
「萌花、ごめん。なんか俺、情けないな…」
「そんな事ないよ。衝撃は受けるものでしょ…」
家に戻り萌花の行った通りの、洋食屋さんのような晩ご飯がテーブルに並んだ。
「萌花って本当に料理上手だね」
「見た目はなんとか……味の方はどうかな?」
一口頬張る稜央はすぐに笑みをこぼした。
「旨い! すごく美味しいよ。萌花が作るハンバーグは安定して美味しい」
「良かった!」
笑顔になった稜央を見て萌花は安心した。
その日の夜、萌花を腕枕しながら稜央は天井を見つめていた。
萌花はぴったりと肌を寄せ、スウスウと穏やかな寝息を立てている。
カーテンから漏れる車のライトの流れ。さざめきのような走行音。
すぐそばに、萌花。
心穏やかになれるこのひとときに、夕方見た父親の姿を反芻する。
確かによく似ている、のにあまりにも違う。
歩んできた人生の違いだ。
遠い環境で生きて来た差だ。
目を閉じる。
もしもアイツがちゃんと父親として機能していたら、俺はどうなっていただろう、と稜央は考える。
もっとマシだったか?
少なくとも虐待には合わなかったか?
母はもっと幸せに、美しく生きていけただろうか?
しかし、そこに肉親としての愛しさなどは浮かんで来なかった。
憎い。
ただそれだけだった。
“じゃあなんで俺は泣いたりしたんだ…”
あの時の感情をなぞってみる。
会えて嬉しかったか。悲しみだったか。悔しさか。
どう考えても、よくわからなかった。どれも正解のような、どれも違うような。
しかし今度はそれをアイツに突きつける。
アイツの目の前に姿を現して、混乱させ、陥れてやるんだ。
憎しみの感情が再び稜央を包む。
* * *
バイトから萌花のマンションに戻った稜央は、たまには自分が何か料理でもしようか、と考えた。
自分はあまりにも萌花に甘えていると感じ、ちょっと食事を作るくらいで償えるものではないと思いつつも、どんな顔するかな、と想像することは幸せなことだった。
しかし料理など一度もしたことがない。
ネットで調べるにしても、母親に訊いてみようかと思い、アドバイスを求めるメッセージを送った。
返事はすぐに来て “あんたならせいぜい冷奴かカレーでしょうね” とのことだった。
「カレーって簡単なのか…?」
ひとまず稜央は萌花に『今夜は自分が飯を作る』とメッセージを入れ、スーパーへ買い物に出た。
カレールーの箱を手にし、必要な材料をカゴに放っていると電話がかかってきた。
母の桜子である。
『稜央? 萌花さんとは仲良くやってるの?』
「うん、心配ご無用」
『…ちゃんと気をつけている?』
おそらく避妊のことだろうと思い、稜央は「それも心配ご無用」と答えた。
桜子は少し安心した様子だった。
「それより母さん、今スーパーにいるんだけど、カレーの肉って何を買えばいいの?」
『そうねぇ、うちはいつも鶏のモモ肉を買うわね』
「鶏モモね。ウチってブロッコリーも入ってるよね」
『陽菜が好きだからね』
そんなやりとりをしながら買い物カゴはお菓子やジュースなどもどんどん放り込まれて行く。
『稜央、東京で暮らすってどう?』
不意に桜子が訊いた。
「東京って言っても郊外だから結構静かで。あ、マンションの前は車の通りがあるけど、大きな公園や河原とかも近くにあって、悪くないなって思ってる」
『そう…』
「なんでそんなこと訊くの? 俺は母さんと陽菜を放置したりしないよ。地元でずっと暮らしていくつもりだし」
そこまで言って、萌花はどうするだろう、と考えた。
ベッドの上では家族になろうなんて言っておきながら、具体的な問題はたくさんある気がしてきた。
『別に無理することないのよ。陽菜も学校に上がったし、お母さんの仕事だって時間を延ばしてやれているし。稜央は家のこと気にし過ぎよ。もちろんありがたいけれど…』
「萌花とも話し合いたいと思ってる。まだ早いって思うだろうけど、俺、彼女と…」
稜央はその先が言えなかった。複雑な思いが去来する。
『まぁ、焦らないで』
桜子はそれだけ言い、じゃあまたと電話を切った。
「これ…お金足りるかな」
買い物カゴの中を見て稜央は呟いた。
* * *
家に戻り、早速稜央はキッチンで食材と格闘した。
「一口大って…人ぞれぞれじゃないか?」
萌花の口は小さめだからな、となるべく小さく切ってみる。
人参やジャガイモの皮を剥くのに苦労し、指を切ってしまう。
ピーラー、という存在を知らなかった。
「やばい…指…。絆創膏は確か…」
リビングの棚を漁っていると、萌花の日用品などが出てきて、恥ずかしいのといけないものを見た気持ちになった。
なんとか絆創膏を探し当てて指に貼る。ピアノ弾くのに障るな、とよぎる。
続きに取り掛かり、肉も野菜も全部鍋に入れ火にかけて炒める。
「あれ、やたら焦げるな…火が強すぎるのかな…」
ネットで調べながら5分ほど炒め、水の計り方がわからなくて、コップでどんどん加えて煮込む。
「なんかすごい量になったな…」
20分ほど煮込め、とあるのでしばらく放置する。
途中吹きこぼれるのに慌て、火を小さくし、カレーのルーを投入する。
「なんか…ジャガイモとブロッコリーが消えたな…」
まるでスープのようにさらさらでとても美味しそうに見えなかった。
ため息をつく。
しばらくすると萌花が帰宅した。
「いい匂い!稜央くん本当に作ったんだ!」
ただ稜央の顔は浮かない。
「なんか見た目は全然美味しくなさそうなんだ…」
鍋を覗き込むと、確かにだいぶ緩いように見える。
「まぁ…最初は…ね。ご飯は?」
稜央の顔が青ざめる。
「飯…何もしてなかった…!」
しばし呆然とした2人だが、萌花がプッと吹き出した。
「そんなこともあるよ。パックのお米買ってくるね」
「あ、俺が買ってくる! 萌花は働いて来たんだから、着替えてゆっくりしてて」
萌花の返事も待たずに稜央は飛び出して行った。萌花はクスクス笑いが止まらなかった。
“稜央くんだってバイトして来てるのに…”
飛び出した稜央は夜空を仰ぎながらため息をついた。
けれどこんな風に誰かのために食事を用意したり買い物をしたりというのは、なんて温かいことなんだろう、と思った。
自分はまだ若造だけれど、萌花となら本当に家庭を持てるんじゃないか、と星空を観ながら考えた。
その裏には父親…野島遼太郎への強い反発もあった。
「俺は絶対良い旦那になって、良い父親になるんだ。萌花をもう泣かせたりするもんか」
#39へつづく