美術批評 静物:毛利悠子の《Decomposition》 木越純
路地の奥にある古びた集合住宅を改造したアートスペースの最上階の一室が、お目当ての展示場である。鉄の扉を開くなり、呻くような音響が鳴り響いてくる。日当たりの良い部屋に入るなり、甘ったるい果物の腐臭が押し寄せてくる。色々な果物の匂いが混じりあっているが、一番優っているのはバナナに違いない。見ると部屋の奥の木机の上に、古典絵画の静物画の様に何種類もの果物が置かれている。何日もテーブルの上に置きっぱなしにされているのだろう、リンゴやオレンジはかろうじて原型を保っているがバナナは完全に黒変し、桃は腐敗で崩れかけ葡萄は干し葡萄と化している。果物にはそれぞれ電線が繋がれ、床に置かれたスピーカーとコードで繋がれている。呻くような音はそこから拡散している。毛利裕子の〈Decomposition〉である。
毛利悠子(1980-)は、対象を写し取るのではなく環境などの諸条件によって変化してゆく様を捉えるインスタレーションを制作している。特に「音」は毛利の作品の重要な要素である。今回の作品では、果物に刺した電極から採った微電流を増幅して音に変えている。部屋に入るなり聞こえてきた音響は、果物の「声」だったのである。この「声」は時間と共に変化する。果物は、乾燥し腐敗するほどに電気抵抗が増してくる。抵抗が増えるにつれ果物の「声」は甲高く耳障りになる。テーブルに置かれただけの果物が、日が経つにつれて腐臭を放ちながら朽ち果ててゆく。その過程は果物の「声」に変えられ鑑賞者の聴覚に訴える。
果物を描いた静物画は、西洋絵画では定番のジャンルである。それぞれの時代の巨匠達が作品を残しているが、いずれも静止した対象物のある一瞬を写し取っている。そうした静物画の中でも、時の移ろいを表現しようとする作品群がある。16世紀のフランドルやネーデルランドから始まり西洋絵画に大きな影響を与えたヴァニタスは、「人生の虚しさ」「衰えへの恐怖」「死すべき定め」を表す寓意絵である。初期のヴァニタスの代表作であるビーテル・クラークの〈ヴァニタス〉は、頭蓋骨のほか、時計、書物など、描かれている全てのパーツに寓意が込められた、極めて説明的な絵画である。
ポール・セザンヌも、好んで描いた果物に頭蓋骨を並べた〈頭蓋骨のある静物画〉を描いており、ここでも頭蓋骨が説明役を担っている。セザンヌらしいテーブルとテーブルクロスの上に置かれた艶やかで質感のある果物の向こうに、紫がかった闇に沈み込む頭蓋骨が描かれ、今を謳歌している生とその後に来る死を感じさせる。二次元の静止画像である静物画において、時の移ろい特に老いや死への恐れを表すには、視覚で認識できるオブジェクトや色彩にそのメッセージを託すことになり、説明的にならざるを得ない。
一方で、毛利悠子の〈Decomposition〉には頭蓋骨など寓意的なオブジェクトは一切ない。明るい部屋の片隅に生の果物が置かれているだけである。展覧会の最終日に訪れた鑑賞者の目の前にあるのは、腐敗し黒変し腐臭を放つ果物であるが、普段から食べつけている新鮮で食べ頃の果物の記憶と重ね合わせて、時の経過とともに来る衰えとその後の終末を感じることとなる。その上に、生き物の断末魔を思わせる果物の「声」と部屋に充満する腐臭とが、一体となって鑑賞者に迫ってくる。
注)本稿は、蜘蛛と箒、批評ゼミ通信講座|選抜評論として2022年10月3日に掲載されています。http://kumotohouki.net/批評ゼミ通信講座|選抜評論:静物:毛利悠子の/
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