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真面目なサラリーマンがスーツ姿でモッシュしたら新しい世界が見えた話
夏になるとライブでひと暴れした話を思い出す
7月も今週で終わり、もう8月だ。
学生の頃は2か月もあった夏休みが社会人になると有っても数日ということで果たしてやっていけるのかと死ぬほど不安だったものだが、人間というのは環境に適応する生き物だとつくづく思う。
社会人生活も20年目を迎え、月曜日から金曜日まで労働に勤しみ、土日に休養を取る。これでも何とかなっている。
さすがに社会人初の夏に31連勤という地獄を経験し、こういうものなのかと社会に私は恐怖したがそれはさすがに特殊だったことを知り本当に安どした。さすがにあの環境には今では適応できまい。
さて夏になるとフジロックやサマーソニックといったフェスのニュースを見る機会が多いが、あの手のライブにクソ真面目なサラリーマンとしての自分が適応してしまったということを思い出す。
あんな度胸とバイタリティが自分に有ったのかとなかなか驚いたが、やってしまえば何とかなるものだ。
あれは2005年のことだったかと思う。
もう20年近く前の話だ。
ずいぶん遠くに来てしまったことに気付く。
ライブで暴れる人種はかなり苦手だった
当時私の兄がミクスチャーロック、と言ってもピンと来ない方も居るかもしれないが、例えばドラゴンアッシュや海外で言えばレッドホットチリペッパーズのような系統のバンドを組んでいて、イベントを開くと数百人動員があるほどだった。
元々は吉祥寺から歩いて15分ほどの場末のライブハウスで「客が一人の演芸場」の浅草キッド状態で音楽活動をしていた兄が縁あってそのような舞台に立つことになったこともあり、ぜひ来てほしいと誘われていた。
音楽的にはその系統は好きなのだが、どうにも私はあのような場所でライブを楽しむような人種が苦手だった。
別にタトゥーや大量のピアスに偏見は無いのだが、態度が悪いしいい歳こいてライブで暴れるくらいしか楽しみの無い連中って一体何なんだろうと斜に構えている部分があった。
誘いもそのような場所でライブが出来ることも身内として嬉しかったが場を楽しむという視点では冷めた目で見ていた。
まぁ何せ授業中に消しゴムを投げたことも無ければ小さい手紙を回したことも無い。品行方正で来ていた人間がその真逆の人種が陣取る中でいきなり楽しめと言われてもそれは抵抗がある訳だ。
翌日が確か休みでその日は出社だったが、オールナイトのイベントの最後に登場するということで、スーツ姿のまま私は六本木だか渋谷だかもう忘れたが繁華街のど真ん中に足を運ぶことになった。
ライブハウスの最後列で体を揺らしながら葛藤する自分
当然周囲に友人も居ないし、知っているバンドやグループが居る訳でもない。目当ては兄のバンドだけで、しかも登場は午前4時台だと言う。
4時間近く何をしていればいいものかと途方に暮れる。
スーツ姿で動きにくいし、足元にバッグがあるので行動にも制限が出てくる。IDカードをなくせば始末書が待っているがロッカーは全て使われてしまっている。こんなことなら駅前で置いてくれば良かったのだがそんなノウハウも無い。
ライブは最初から盛り上がっているが、曲もよく分からないし「ウェーイ」みたいな人たちが最前列で例の如くはしゃいでいる。
これどうすりゃいいんだよ。ワンドリンクなんてとうの昔に飲み終えてやることがない。そのワンドリンクの注文も場内がうるさすぎて「モスコミュール」って3回くらい言う羽目になった。昔の志村けんと石野陽子のコントかよ。
ただ、曲自体は気持ちがいいので体は揺らしている。
勿論ステージから一番遠く離れた最後列で、である。
演奏は楽しんでいるが、盛り上がることを全身で表現することに抵抗があるし、それをしている人種が感情レベルの話として気に食わないし、その場の私は斜に構えた「陰キャ」そのものだった。
ただ、その時私は何となく気づいていた。
私が一番気に食わないのは、楽しむことすら抵抗して斜に構えて冷めたフリをしている自分自身に対してであることに。
兄のバンドが登場する頃には、フロアは音楽を求めるゾンビで充満されるホラー映画のような空間だった。開始から4時間も経てばオールナイトのイベントはこんなものだと知るのはその後の話だ。
私はこのゾンビの集団に闘いを挑むことにした。
スーツ姿でバッグ片手に最前列の中央部に乗り込んだ。
スーツ姿でモッシュし、ダイブする私
当時私は知らなかったのだが、この手の音楽だと「モッシュ」と言ってテンションの高い曲になると最前列で客同士が体をぶつけ合うという奇祭が慣習として行われていたのである。さすがに兄のバンドの登場まではモッシュが起きていなかったのでこれは想定外だった。
スーツに革靴、足元にバッグを置いた私は色々戸惑いながらモッシュに巻き込まれることになった。パリピの中に一人だけビジネスマンが混じって闘っている光景はさすがに異様だっただろう。
兄のベースプレイが乱れていなかったので、恐らくこの異様な客に気づいてはいない。弟がスーツ姿でモッシュしている光景など見たとしたら唖然とすることは請け合いだからだ。
ドレッドで筋肉質のお兄さんにショルダータックルをかます私。
体幹が全くブレないドレッド。
ドレッドの反撃。
最初は軽く吹っ飛ぶ。
他の人たちも巻き添えにするが、吹っ飛ぶことはあまり気にはしていないようだ。どちらかというとこの出で立ちの人間がモッシュピットの中央でバトルを繰り広げていることを楽しんでいる感さえある。
先人の発明というのは面白いもので、こんな風に体を激しく動かしながら、というか暴力に近い何かをしながら聞くミクスチャーロックというのは実に気持ちがいい。
すると段々体の当て方も受け方も分かるようになってくる。要するに重心を低くすればよいのだ。これは完全に相撲と同じだ。重心が上にあるからダメなのだ。腰高だと攻めも守りもダメなのと同じことだ。稀勢の里ではいけない。そういうことだ。(どういうことだ)
ライブも最終盤を迎え、私はゾンビの集団の中でどうしても一つのことをやりたくなってしまった。
そう。
ダイブ、である。
この密集した場の中で一旦ステージに上がり、彼らに向かって飛び込む。脳汁が出まくっている今なら何でも出来そうな気がした。
見よう見まねでステージに上がる。
ノウハウが無いのでかなり時間がかかる。
スーツ姿のサラリーマンはここでダイブを決行する。しかし、何をどう間違えたか知らないが誰もキャッチしてくれない。地面にたたきつけられる。まるでフライングボディプレス(ハイフライフローと呼んでる筈だ)を失敗する棚橋のようだ。
鈍痛が体を巡る。
が、ドレッドの兄さんが起こしてくれる。
凄い笑顔だ。
ここまで来ると妙な連帯感がある。
スーツとメガネを犠牲に得たもの
こうして私の未体験ゾーンは終わった。スーツは汗まみれでその後使い物にならなくなった。そしてダイブの瞬間に紛失したメガネは、ライブ終了後に粉々になって発見された。
私はこの時、スーツとメガネを失った代わりに、何か大事なものに巡り合えたと思う。
斜に構えて偏見で人を見たり、楽しむことを放棄したり、そういうことがいかにつまらないものかを教えてもらった気がする。
何も考えずに飛び込むことで楽しめることがある。そしてそれは偏見とか小さなことを全て吹き飛ばす力がある。
二十代半ばだった私はこの頃から精力的に様々なことにチャレンジするようになった。
Web上で記事を書き始めたのもこの頃のことだ。兄のバンドのウェブサイトには音楽全く関係ない私の記事が掲載されるようになった。
その中にはネタで行ったキャバクラ潜入レポートや個人情報駄々洩れの職場の愚痴なども含まれていた。何故あのようなものを掲載してくれたのかはよく分からないが、そういう珍品を多くの方が楽しんでくれている時期だったことだけはよく記憶している。
様々なことに対して偏見は無くなったが、当時ほどのバイタリティは今の私には無い。ただ、夏フェスの話題が出ると私はどうしてもスーツとメガネを引き換えに得た楽しい思い出のことを考えるのだ。
そんなことを言っていたら久しぶりに池ノ上にある、あのドレッドのお兄さん(今はおじさんだが)の居酒屋に行きたくなってきた。
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