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写真映りを気にしない「カッコつけないマン」になると少し後悔するという話

皆さん、写真映りって結構気にされますか?


最近は写真や動画が主のSNSなんかも結構あるので、若ければ若いほどこれは死活問題だと思うんですよね。決め顔ってその時代に合ったものがありますからそこに自分を適応させないといけない面もありますから。


私も昔ちょっと雑誌に出たり、後でお話しする機会があるかもしれませんが芸能プロダクションみたいなところに所属していたこともありますので、訓練を受けたことがあります。


まぁ本当に基本的なものですよ。

顎引いて目をちょい開いて、口角を上げる。

そんな程度のものです。


ただね、なんかこれやってると気恥ずかしくなってくるんですよ。誰に向けて私は観た目を繕っているのかと考えると、なんか放り出したくなるんです。


自分は一体何をしているのか?

何カッコつけてんだよ?

って。

もう完全に今のSNS文化の不適合者ですよ。


どうもねー子供の頃に「カッコつけマン」とか言われたのが沁みついちゃってるんですよね。今は世の中全員「カッコつけマン」文化になったのに、自分の中で拒否反応が出ちゃう。リトル西尾とかいう類のものではなく、体全体の感覚的なものなんですよ。


つまりね。

「カッコつけマン」に成り切れないんです。


42歳のカッコつけマン(しかも自分がですよ)とかちょっと嫌じゃないですか。でも、たぶんね、カッコつけマンこそが普通で、私は恐らく「カッコつけないマン」なんじゃないかとも思うんですよ。


照れとか、培ってきた感覚との違いとか、色々と組み合わさってのことなんでしょうね。勿論今それをされている方を否定するものでもないし、単に私が今の流れに乗り切れていないっていうだけの話なんですけどね。


だから今のスタンダードになれなくて、シャイな気持ちが「カッコつけないマン」に走らせる。カッコつけるのもアレなんで、本来だったら写真撮る時の決まった表情、ブルーハーツのヒロトの口を「ウ」の形にするような何かとか決めておくのがいいんだろうなぁとか思いつつ、結局なんにもしない訳ですよ。


恐らく写真映りというものを一番真剣に考えて、写真を見る限りだとそれなりになっているのは20歳くらいの頃なんすよ。


雑誌に出たときはそれなりでしたからね。
おでこは重症でしたけど。

で。

もうそこからは結構酷くて。


その酷さの変遷を実は私は記録に残しているんですよ。


そう。

免許証です。


ちょい「カッコつけマン」から「カッコつけないマン」になっていく私の進化っぷりをここで公開したいと思います。


同一人物ですからね


たぶん21歳、25歳、29歳、33歳とかそんなもんだと思います。まぁたぶんみんな食いつくのは25歳と29歳ですよね。


私もそう思いますもん。

これなんでこんな顔してるのか。


てか、私ってキレ顔になるとこんなヤバくなるのか。そしてでかめの眼鏡をするとこんなに怪しくなるのか。


色々と思うところはありますが、4枚とも私です。


そもそも写真ってあまり撮らないので殆ど残っていないんですよね。学生時代のものであれば以前福島に行く時にモガジュニアーという格安のDVDプレイヤーを購入した時に同行した友人のフォルダーに大量に残されているんですけど、卒業後は本当に免許証くらいしか無くて。


今思うと関根勤みたいにネタ的に写真館で1年に一度写真撮っておくというイベントを行っておけば良かったと少しばかり後悔していますが、無いものは仕方ない。


これをご覧になっている方が仮に私と同じように「カッコつけないマン」であってもちょっとくらいはデジタルデータとしてどこかに自分の写真を残しておくと後で面白くなるのでおススメです。


ただ、これもまたちょっとおススメではありますが、やっぱり少しくらいは整えて撮っておいた方が良かったかなぁとは25歳と29歳の頃のものを見ると思う次第なのであります。


今日は写真を出した時点である程度オチているので、短いですがこの辺で。

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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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