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おじさんになり、世の中に少し寄り添ってほしいと思った

最近自分がいよいよ年季の入ったおじさんであることを理解し始めました。

というのもね、妻が見ていたトークバラエティ番組のアシスタント役をしている旧ジャニーズだか滝沢社長の事務所の人かはよく分からない方が三十代後半だったんですね。

44歳の私にとって旧ジャニーズ系のグループのメンバーを過半数認識しているのはKAT-TUNが最後なんですね。

つまり、その人は恐らく旧ジャニーズのグループのメンバーなんだけど、私からすると新世代だから顔は認識しているけどどんな人かはよく分からない。

もう自分からすると世代が随分離れているように感じているアイドルでさえ、もうおじさんだということなんです。

そうなってくるとね、じゃあ彼を認識できていない私ってどんだけおじさんなんだよって話じゃないですか。

自分のことを客観的に認識し、相手にも自分がおじさんだと理解していることをアピールするための手法として自分のことを「おじさん」と表現することは結構あるんですけど、心のどこかで甘えがあったんでしょうね。

その予防線を張ることによって相対的に自分がおじさんではないということで評価を上げようとするスケベ心もあったと思います。

ただ、そんなのもう吹っ飛びました。
そんな小賢しいことをしなくてもおじさんなんですよ。

おじさんなんですよ
・・・

やまびこのように空しく響きますが、この感覚わかるでしょうか。なんかやっぱり避けたかった称号ではあるんですよね。おじさん。

経験を重ねて、社会的に責任を持って、生涯の中で最も充実しているとされる30代~40代。

言わば今という時期を乗り切るために私はこれまでの人生色々と積み上げてきたハズなんです。

だけど、そういう栄えある立場になって得られた称号って

「おじさん」

なんですよ。
なんなんでしょうね。

一方で「おばさん」っていう称号はもはや廃れつつあって、ネガティブな意味合いが削がれた「ママ」に置き換わりつつあるのかなと。

少し話は逸れましたが、自分もここ数年、いろんな意味で責任が増していると思っています。

うちは父が亡くなっていますが、親世代がいよいよ衰えてきて介護などの負担も現実味を帯びてきていますし、

仕事をしてもミスなんて到底できない。どちらかと言えば誰かのミスのしりぬぐいをさせられる立場になりますし、

家を購入すればコミュニティの中での役割を任せられて、地域活動にいそしむことにもなります。

子供が居たら更にその色合いは濃くなりますよね。
うちは子供居ないのですが

自分のことだけを考えていた10代~20代の頃とは全く異なる立場になって、誰かのために自分を消費することも多くなっています。

そして。
2024年を生きる旧世代、おじさんは神経すり減らしながら生きています。

世の中の変化についていかないと「老害」と呼ばれますし、それだけ済めばまだマシで、不意に誰かを傷つけてしまえば多くのものを失います。

だから変化に怯えていますし、分からないことには口出しをしないようにそこだけは本当に注意をしています。

でも、全く予想もしていないようなことを「ハラスメント」と言われる可能性もあるので、自分の中では問題にならないような認識のことであったとしても振り返ることは習慣づけているんですね。

日本特有なのかは分からないですけど、とにかく減点法ですからね。大きなセールスポイントがあったり、大変リスペクトされていなければ。

減点食らうとそういうレッテル張られちゃうから、気を付けてもちょっとした言葉尻とか見た目とか雰囲気だけで更に減点を貰ってしまう。

ですから人の目のことばかり考えています。

別にそれがプライベートだったらまだいいんですよ。
人と関わらないようにすれば避けられる。

だけど、職場とか回避できない関係性っていうのもありますからね。そして無理の多くはおじさんに回ってきてしまいます。

勿論おじさん以外にも回っているのは承知しています。働かないおじさんみたいな人もいる!って仰る方も居ると思いますけど、働くおじさんってのもまた居るのでどうかご理解ください。

今は配慮しなければならない立場の人が増えています。そういう方の苦しみや辛さというのは当然理解しなければならないし、誰かがその肩代わりをしなければならない。

そういう世の中なんです。
だからそれ自体に文句を言う気はありません。

私が若いころは苦しんで誰も助けてくれなかったので、それが今は救われる。いいことだと思うんです。自分も苦しんだんだから今の若い人も苦しめ!なんて言えないですよ。

ただ、そういう負荷の最終処理場はおじさんであることが大多数です。だから正直こんなこともやらなければいけないのか、って思ってしまうことだって多々あります。

理不尽ではあると思います。だけど、全てを平等に誰かが負担したり、みんなが楽になれるなんてことは無い。

損な役割を担う人っていうのは必要なんです。そして本来そのことを周りが認めてくれると思うんです。だって、誰もがやりたくないことを請け負ってくれるわけですから。

でも。
不思議と感謝されないんですよね。

おじさん達は今精神的にも肉体的にもすり減って、ギリギリのところで生きているけど、公私ともに役割があって、自分が倒れたり休んだらどうにもならないから責任感でどうにかしている。

自分がおじさんになって気づきました。
おじさんって大変なんですよ。

昔みたいに年下に偉そうにすることも出来ないし、自分の価値観でバッサリ切り捨てることも出来ない。仕事が忙しくても家庭やそのほかの役割も当然担わなければいけない。

そしてそれを世の中的に当然だと思っている。

うん。
当然なんですよ。

当然だと思わないと甘えが出てしまう。甘えが出たら皆さんに迷惑を掛けてしまう。そして甘えているおじさんたちが居て、日々世間様から怒られている。

更に言うと、自分は「おじさん」としてそういう人たちと同列に扱われている。

だから、ギリギリなんです。
ギリギリだけど、それを見せたら別の苦しい人たちから糾弾されてしまう。

なぜ自分たちを助けないのか。
責任を全うできないのか。
そう言われる立場です。

だからね。
みんな等しく大変なんですよ。
世間が忌み嫌うおじさんでさえ。

大変じゃない人なんてどこにも居ません。

おじさんの置かれた立場を理解しろとか、負担を軽減しろって言いたい思いもあります。でもそれは現実的には無理です。過去におじさんたちがやらかしてきていますし、負担を肩代わりできる人なんて居ないですから。

ただ、少しくらい寄り添っては欲しいと思うんです。その姿勢があるだけで世の中はもっと楽になります。

流石にこの話に笑いは混ぜられませんでした。もっと受け止めやすくしたかったんですけど、なかなかそうもいかない。

noteを見ても旦那さんへの愚痴とか、下手すりゃ悪口とか多くて、言い分を聞いているとまぁ仕方ないんですけど、一歩間違うと、いや、もう既に私もそうなっているかもしれないと思うと結構落ち込みます。

一線を越えた投稿をしている方はフォロー外しちゃいますから。それが自衛策でもあります。

そういうことがあるから最近他の方のnoteの記事をあまり読めないのかもしれません。

自分のことじゃないのに自分事化しちゃう。
きついですよ。

今日はこんな話を書きましたけど、きついとは言いながら、ギリギリとは言いながらも自分の役割を果たす日々が続きます。

おじさんの一部ではなく、西尾として尊重されるように、そういう努力をこれからもすることになりそうです。

多分それが一番の近道なんでしょうね。おじさんが大変なのではなく、一人の西尾として信頼があれば扱いは変わるでしょう。

忌み嫌われているおじさんと同列にされないように。理性的に、丁寧に生きていこうと思います。


Voicyも是非お聴きください! 


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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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