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おじさんの立場だと、飲み会は30分だけ参加出来たらすごく楽だと思うようになった

コロナの蔓延から4年も経つと、飲み会に誘われることも結構出てきます。

お酒の席って嫌いな人も多いと聞きますし、残業代も出ないのにおじさん達に配慮しなければいけないのは嫌だという若い方が居るとも聞きますけど、あれにはあれの良さはあります。

だから参加者との関係性とか、ムードや話題次第ではそんなに毛嫌いしなくてもいいものじゃないかと思うようになりました。

まぁ気が付いたら43歳ですから、酒の席では煙たい存在になってしまっているのも事実で、だからこそ気が楽っていうのもあるかもしれません。

そう考えると、若い人が居る場こそ自分が気楽な立場という訳ではなくて、一歩引いて皆さんに楽しんでいただくような配慮をすることが大事なのかなってことも思うんですよ。

もはや配慮される側ですからね。お金は出すけど、ニコニコしてうなづいているくらいの方がやりやすいんじゃないかなぁってのは感じることが多くなりました。

自分が若い頃に、おじさんが主役で、それを周りで盛り立てる飲み会っていうのは、あの立ち回りから得るものはありましたけど、出来れば若手の席に居たかったなぁっていうのは思うんです。

怖いのは、自分が逆の立場になったという自覚があまりないことです。

これって多分ね。当時のおじさんたちが若い人たちが抱えていることに気づかなかったのと同じなんですよね。

聡明な管理者の方は気づいていて、カネは出すけど出ないみたいなこともありました。でも、これはされると逆に周囲が気を遣っちゃうんです。

だからいい塩梅としては、大目に出すけど、空気のように振る舞うこと。

でもなぁ…
それが難しいんですよ。

おじさんになって、若い人に混じって気配を消すってかなりスキルが要るんですよね。目上の人を立てる上で自分を消すのとはまた違うんです。

若い頃におじさんたちのことを面倒だと思ってイヤイヤ参加していた飲み会とはまた別種の難しさですよ。これは。

気を遣うな、とか、無礼講なんていう言葉を掛けることはできるんですけど、そんなことをいきなりスイッチ切り替えて出来る人なんて皆無です。

だからね。

この歳になって思うのは、30分くらいだけ飲み会に参加する権利が欲しいなぁってことなんです。

これだとゲスト感覚で、周りが立ててくれることも割と自然になるし、自分が単なるアクセントとして時間限定で振舞えば良いから、気を配らなくてもいい。

遅れてきた体裁にして、終盤だけ出るっていうのも一つの手なんですけどね、意外と長引いちゃう時もあるし、料金で配慮されちゃうこともある。

若い立場から面倒だと思うことってかつては結構ありましたけど、自分が年長者の立場で周囲に気を配らなければならない立場になると考えることもあるなぁと気付かされます。

周りからどんな風に見られているのか。
自分がどう振る舞えばよいのか。

それって飲み会どうこうだけじゃないんですよね。周囲に自然に接してもらうために、自然な自分であることは大事なんですけど、タイプによって受け止め方も異なる。

まぁ一つ確実に思うのは、歳を取ったら誰に対しても気を配っているということを理解してもらうよう意識し続けることかなと。

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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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