W杯を控え、ドーハの悲劇の年の別の悲劇を思い出す話
あと2週間でサッカーのワールドカップが始まるらしいですね。
いやー、42歳の私からすると、ワールドカップの直前にこんなにまだ冷静なのって初めてなんですよ。それは私がサッカーの4年のサイクルにこの歳で慣れてしまったせいなのか、単に代表に対する熱が冷めたからなのかは分からないです。
ただハッキリ言えるのは、30年前はもうそれはそれは夢のようなイベントで、そこに日本が参加しているということそのものが絵空事だったんですよね。
そもそもサッカーに興味が無い方も居ますし、若い方からすると当たり前のように日本が毎回出場しているもののようにも思いますけど、アラフォーくらいまでの人たちはまぁもう、とんでもないトラウマを遺伝子書き換えレベルで埋め込まれていまして。
まぁ世に言うドーハの悲劇ってやつですね。
私のスマホだと「ドー」までいれたらこのワードが出てきたので多分検索も遺伝子レベルでやられているようです。
私がサッカーについて語れることと言えば、幼稚園の頃に毎日おままごとのためにジュンコちゃんから拉致監禁されている間に友達が皆やっていたサッカーが超羨ましかったくらいの薄いエピソードしか無いのですが、ドーハの悲劇ってやつは強烈に残っています。
そのお陰で1993年という年に何があったのかも他の年と比べるとかなり鮮明に覚えています。
よく「西尾さん、なんでそんなに昔のことをおぼえているんですか?」と言われますが、これでも相当忘れています。「記憶力の悪魔」と呼ばれた過去の私からするとちょっと残念ではあるんですよ。
あれは、私が中学校に入学した年です。川崎市立稲田中学校、私の記事をよく読んでいる方からするとご存知「稲中」です。
思い出すのは、生まれて初めて自然による不便を日本全体で味わった年だったことです。
今だと東日本大震災とかコロナとか、それこそ生死に関わるレベルのやつを味わっているので、この話をしても大したことないように思うかもしれません。
あの年を象徴する不便。
それは「コメ不足」でした。
なぜ「米」を「コメ」と書くかはわかりません。ただ、何かネガティブなことがあると名詞をカタカナにする風潮はこの頃からあったのかもしれません。
前に口の悪い美人英語教師である志保が通称「エビフリャー事件」という、フィクションのような実話を巻き起こしたときに語りましたが、私の学校は毎日弁当でして、親の負担って相当なものだったんですね。
案外子供も友人の弁当を見ているもので、面白いんですけどコンビニでパンとかおにぎりとか買ってくるとそれが羨ましがられるんですよ。
多分コンビニが日本に定着してまだ数年くらいだったからなのかもしれませんが、家庭環境とか栄養価とか考えるとあまり良くないと捉える方も居るのでしょうが、子供たちからするとそんなのどうでも良くて。
それよりも大変なのが、いじられる弁当ってのが存在したんですよね。
やけに冷凍食品が多いとか、弁当箱がまげわっぱとか、なんかこう、思春期の子供の生理に合わない何かが点在しているんですよ。あ、弁当箱がデカいってのもいじりの対象でしたね。
普段外で食べると二品頼むような食欲のモンスターだったのに、標準サイズの一食なのでとにかく腹が減ります。
腹が減るとバーサーカーになる私が、ここは子供社会をサバイブするために空腹に耐えるんですよ。何を頑張っているんだと思いますが、子供の中ではかなり切実な悩みなんです。
そんな意味がよく分からないながらもちょっと繊細でシリアスな問題をはらんだ弁当事情がある中で、更に困った問題である「コメ不足」が中学生を襲うことになります。
あの時、市場に存在したのは主に3種類の米でした。
誰もが欲しがったのは、国産米でした。
ただ、これがねー、無いんですよ。
国産米。
あってもえらく高い。
腹が立つことに、最初は高くてなかなか流通していなかったのに、徐々に流通し始めるんですよ。で、値段も安くなる。
あれ、本当に何だったんですかね?あるのに出し渋って儲けていた誰かが居たってことなのかなぁ。その辺の真相はよくわかりませんが、とにかく国産のやつは高くてあまり無かったんですね。
で。
我が家は比較的これが多かったのですが、ブレンド米というやつです。
あの、コーヒーのブレンドをイメージされる方もいるかもしれません。美味しくなるように違う豆を一定のバランスでまぜているような。
ただ、これに関してはちょっと違いまして。主に国産米と外国米を混ぜるわけです。
当時の外国米って日本の米と大して変わらないやつとかあったんです。アメリカとかオーストラリア辺りだったかな。
先日お話しての通り、舌の偏差値はクロマティ高校並の私を筆頭として西尾家はさほど国産かブレンドかなんてわからん訳です。故に「まぁブレンド辺りでいいんじゃね?」で済むんですよ。
あのコワモテの父もその辺はあまり気にしないようで、普通に食ってました。そういうのうるさそうに見えて、こだわらないところは結構雑なんです。
そしてここからが大変なところで。
最後の一つなのですが、外国米オンリーのやつです。
これはいわゆる「ジャポニカ米」であればそんなに問題は無いのですが、外国米の中で特によく流通していて日本米の半額以下だったやつがありまして。
そうです。
タイ米です。
これがですね、いわゆる日本の料理にそのまま合わせるとちょっと合わない部分があるんですよ。
最大の特徴は、ちょいパサつくことでした。
粘り気のある国産米に慣れた人たちはこれを特色だとは思わず「マズい」と評しました。
まぁ分かるんです。客観的に見るとそういう品種だからしかたねーじゃんで済む程度のことだと思うんですよ。
でも、当時の日本ではこのコメ問題って、恐らくオイルショック以来の生活面の大問題だったんですよ。
だから、みんなそれを特色だと捉える余裕が一つも無くて。そういうのもあって、国産米をみんな買いに米屋に走ったんですよ。スーパーじゃなくて米屋ってのもリアルな感じありますよね。
そんなところに乗じて国産米を売って売名行為をする城南電機の宮地社長とか現れて、まぁとにかく一億総コメヒステリー状態だったんですよ。
こんな状況で、子供達の興味は「どこのコメ持ってきているか?」でした。すげえ話題で盛り上がっているものだと思います。
私はブレンド米が主でしたが、この会話に混ざるのが面倒でしたし、コメでマウントを取るみたいで嫌だったので、見た目が同じことをいいことに適当にやり過ごしていました。
気の毒だったのが、そんな子供のコメマウントが存在するとはつゆ知らず、タイ米を弁当に持たせた家庭でした。
まぁとにかく、弄り倒されます。
そしてそれ以降、ほぼ全員がタイ米ではない米を持参することになりました。
今となってはコメなんかよりも大きな問題に振り回されているので、こんな程度のことで死活問題になる意味がよくわかりませんが、ワールドカップの時期になるのと、東南アジアのエスニック料理を食べに行くとあの冷夏の年のことを思い出します。
コメ不足から早30年。
日本がワールドカップを最後に逃してから30年。
そして、弁当で面倒だった頃から30年。
昨日ふるさと納税の返礼品で両親の故郷の鹿児島県出水市から米が10キロ送られてきました。
そういえば父の実家から来る米、まずかったなぁ。品種どうこうってレベルじゃねーぞあれ。私が思うんだから相当だったんだろうなぁ。
それ以上に発酵しきっていない味噌が一緒に送られてくるのですが、それは輪を掛けて不味かったなぁと懐かしく思い出すのです。
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今日は趣味で友達を作ることを激烈におススメするという内容です。noteに全く同じ内容の記事を書いていないので、是非お聴きください。アプリをダウンロードしなくても、以下から再生ボタンを押せば大丈夫です。
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自由の意味を履き違えるというのが記事オブザディです。