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左利きと知らずに右利きとして育てられたことから病的に不器用な少年が誕生した話

きっかけは「右利き用のグローブ」

私が「実は左利きだった」と気づいたのは小学校3年生くらいの頃だった。

確かに妙な点は色々あった。だが、単に不器用なだけだと思って消化してきたように思う。子供が字を書いたり食事をしたりするのはどうしたってうまくいかない部分がある。その範囲の出来事だと親も私も感じていたのだ。

私が右利きになったのには一つのきっかけがある。

それは4歳くらいの頃に父が右利き用のグローブを買い与えたことだ。

父は舞台照明・照明プランナーというかなり特殊な仕事をしていたことから、コンサートツアーがあると1か月くらい家に帰ってこないことはザラだった。だから4歳の私について見えていない部分もあったことだと思う。

前に話した「Kとブルンネン」の弁当屋の社長と同じで「コーヒー」を「ヒーコー」と呼ぶように芸能言葉を使うような人種で、当時はそれほど父親が子育てに参加していなかったことが影響していたのかもしれない。

擁護すると、父も子供に無関心だったというわけではなく少年野球チームでコーチもしていたし、幼稚園に行きたいと2歳の私が毎朝泣きわめく中近所の喫茶店に連れていきバナナジュースを飲ませて機嫌を取るのは父の役目だったと聞く。

なんと面倒な子供だと41歳になってから申し訳なく思う。DVで黙らせるという方法も当時としてはあったはずだが、粘り強く接してもらったことは素直に感謝している。

ただ、父は私が左利きだということに気付いていなかった。

それほど深く考えることなく右利きだと思い込んでいた訳だ。

「実は左利き」と気づいたのは小学校3年生の頃

右利き用のグローブを手にしてからは、苦難の連続だった。

ボールを投げる。

とんでもない方向に飛んでいく。

周囲の大人がダッシュで取りに行く。

またとんでもない方に投げる。

この調子だと野球なんて楽しいはずもない。ただ、父が野球好きで兄が少年野球のチームに入ったことからその後私は小学校卒業まで野球を続けることになる。

後になって考えてみると、最初に躓いたことによる苦手意識や我流で覚えた右利きなので基本動作がスムーズではなく、レギュラーではあったがそれほど上達しなかったように思う。

その後字を書くことを始めとした生活の大半の動作を右利きで行うようになった。この辺りのきっかけになったのは、やはり右投げになったことが大きく影響している。

ただ、小学校3年生辺りでふと左の方が使いやすいことにいくつかのシーンで気づくことになった。

サッカーの授業でボールを蹴るのは左だったし、苦手ながらも続けていた野球では左バッターボックスの方が打ちやすいことに気付き当時としては珍しい右投げ左打ちになった。反射的に出るのは左手だったし、噛むのも左だった。

ということは、私は左利きなのかもしれない。そう思って字を書くのも投げるのも左で試してみたが、遅かった。もう私は「クソ」が付くほど不器用な右利きとして生きていくことがこの時点で決定していたのである。

糸電話を作るために紙コップに穴を開けたはいいが、糸を通すのに悪戦苦闘し結局授業が終わるまで糸電話が出来なかったこともあった。他にも忘れているだけでこの手のエピソードは事欠かない。いや、忘れようとしているからなのかもしれない。

左利きと気づかずに右利きになったのは悪いことなのか

仮に両親が私のことを左利きと気づいていて、左利き用のグローブを買い与えていたとしたらどうなっていたのだろうか?最初から物事がスムーズに出来るタイプだとしたら人生が違う方向に進んでいた可能性もある。少なくとも野球は右利きの時よりは上手かったのではないかと思う。

子供のころから左で投げて左で書いて育った私はこの世に存在しないので結局それは分からない。左利きでもボールをとんでもない方向に投げていた可能性はあるし、糸電話が作れていない可能性もある。利き手云々関係なく不器用だとしたら私は今かなり恥ずかしいことを話していることになる。

あと、別に私は今ある状況を悪いものとは思っていない。人よりも器用ではなかったからこそ時間を掛けて粘り強く何事も覚えるしか道が無かったのは面倒だとは思ったが、嫌なことを進んでやるしかないということが逃げずに向き合えるという長所にも結び付いたし、逆に何でもスムーズに出来る自分だとしたら逃げ癖が付いていた可能性もあるのではないかと思う。

だからまぁ、不器用で良かったのだ。

右利きとして生きてきて悪くはなかった。

子育てするときは左利きの可能性も考えよう

ただ、こうなってしまうとどうしても「If」が生まれてしまう。仮に自分が親だとして子供の利き手を誤って認識していたために異なる人生を歩ませてしまったとしたらかなり後悔するだろうし、子供からそれを責められたときに返す言葉がない。

「まぁ今それなりの人生送ってるんだから今更そんなこと言うなよ」なんて言おうものならどんな言葉が返ってくるか、想像もしたくない。結果的に私は良かったと思っているが、そうはならないように世の中の親の皆さんには注意深く子供を見守ってほしい。

ということで最後になるが、子供の利き手の見分け方についてはこちらのサイトに紹介があるので紹介したい。

■利き手を見分けるポイント
・子どもが自発的におもちゃなどの欲しいものを取るときに伸ばす手
・誰かから物を受け取るときに差し出す手
・転倒しそうになったときなど、とっさのときに出す手
・何かを持つ手や支える手
・ボールを投げるときの手
・スプーンやフォークを持つ手

https://www.olive-hitomawashi.com/family/2020/01/782.html

興味がある方、特に子供が糸電話を授業時間内に作れないほどの不器用にしたくない方はご覧いただきたい。

次回予告:泡沫候補:山下万葉の思い出。少年時代ニアミスして当時際立った評判だった話

泡沫候補として名高い山下万葉。

ディズニーランドの乙女を親善大使に!という名言を残した彼の戦績や主張を振り返りながら、実は西尾克洋と接点があったということについても話していきます。

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