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山本理顕『権力の空間/空間の権力』読書記録

都市社会学などで使われるサード・プレイスの議論とも関連して、建築家・山本理顕さんの著書『権力の空間/空間の権力:個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』(講談社メチエ、2015)を読んだ。

この本は、ハンナ・アレントの『人間の条件』に拠りながら、社会の在り方を、建築の空間に着目して、それと結びつけて歴史的に考察している。公的領域と私的領域の中間にある「閾(しきい)」という、アレントも重視した建築における普遍的な空間概念が忘れ去られ、現代の都市から失われているという話から始まり、古代ギリシャの人口都市空間であるポリスの例が挙げられていた。

古代ギリシャの家(オイコス)は、食堂でありサロンであり議論をする場所としてのアンドロン(プラトン『饗宴』の舞台でもあった)を中心とするアンドロニティス(男が利用する場所)と、ギュナイコニティス(女と奴隷が利用する場所)とに分けられていて、前者が閾(しきい)であり、家の内側に含まれる空間でありながら、ポリスという公的領域に直接的に開かれた空間だった。それに対して後者は、前者によって公的領域から分け隔てられ守られていた私生活の、家事労働などを行うまさに私的領域で、その私的なという意味は、本来、公的領域から隔離され排除されているという欠如の状態を表すネガティブな意味だったそうである。アレントはアンドロニティスを、公的領域と私的領域のどちらにも属さない場所という意味でno man's landと表現している。このように、公的領域とつながる場所・空間が家の中に最初から確保されているのが、近代以前の建物の基本であると著者は言う。

著者がフィールド調査を行った世界各地の多くの集落で住宅はコミュニティに開かれた構造を持っていた。武家屋敷などの例も挙げられていた。近代以降になって初めてヨーロッパで、1850年代の労働者のための住宅に端を発して、公共世界とつながる場所がない居住専用の住宅が生まれたのであり、この様式はギリシャ時代で言えば、女性と奴隷の部屋の様式で、住居の役割が狭められてしまっている。近代の住居は、個人の家族のプライバシーのみが確保されている空間である。他人に見られ聞かれるという関係性、世界とのつながりがなければ同じ共同体に生活している仲間意識が希薄になり、社会をより良くしていこうという政治的意志や活動の自由は生まれようもない。“common sense”とは他者と空間を共有しているという感覚であり、人間にとって世界のリアリティとは世界を他者と共有することにより他者の存在を実感することができることである、とのアレントの言葉は印象深い。アレントは、自由を個人のプライバシーを守ることと狭く考えるサン=ジュストとは異なり、公的空間において政治に参加する公的自由がなければ自由ではないと考えるが、現代の住宅システムに現れているプライバシー偏重主義的な傾向は、政治や公共的な事象に対する関心を低下させる効果をもつのではないか。

かつて丸山真男が、私生活に沈潜し、公共生活にたいしては活動的でないような生活様式をプライヴァタイゼーション(私化)と呼んでいたが、住まいのあり方が市民生活の基礎をなす以上、それは住空間の設計と密接に関係していると思われる。今のような単身世帯や母子世帯が増加し、高齢化が進む社会では、一つの住宅に一つの家族が住むという標準的な住宅モデルでは明らかに対応できないだろう。住人が近隣や地域社会の中で支え合うような基盤づくりが推進され、公的支援が注がれるべきで、それを具体的な空間において構想していく建築家の役割は大きい。生活者である市民にとって住みよい都市空間の設計の在り方や住宅問題は大きな課題であり続けている。

山本理顕 - 「地域社会圏」という考え方:私の建築手法

2014年に竣工した山本理顕設計のソウル江南ハウジングの2017年の写真(撮影は韓国の写真家 ナムグンソンさん)。

緑がとてもよく育ち、心地よい空間。
低層棟の屋上は全て家庭菜園になっている。
日本では何度も提案しているけど、実現しない。

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