追悼2024年<1月~12月> ことし逝去された方々を偲んで
👤今年(2024年)亡くなった人👤
川満信一。中岡哲郎。ゴンザーロ・リラ。桐島聡。小澤征爾。フランス・ドゥ・ヴァール(動物行動学者)。赤松良子。ロベール=バダンテール。俵好夫(物理学者。俵万智の父)。ヨハン=ガルトゥング。梓林太郎。もろさわようこ。鳥山明。ポール・オースター。星野富弘。フジコ・ヘミング。唐十郎。O.J.シンプソン。ひがしのひとし。キダ・タロー。シェリー・デュヴァル(スタンリー・キューブリック監督作『シャイニング』のウェンディー・トランス役)。吉田ルイ子。伴英幸。小田光雄(小田透さんの御父様)。桂ざこば。野口武彦。白石かずこ(詩人)。ルース・ガネット(「エルマーのぼうけん」著者)。佐藤正光。山田昌(名古屋弁俳優)。佐々木昭一郎。金敏基(キム・ミンギ)。西川祐子。三島喜美代さん。アラン・ドロン。梁石日(小説家)。有野永霧(写真家)。川満信一。イスマイル・カダレ。岡本惠昭(民俗学者)。原田奈翁雄(出版人)。トンケ・ドラフト(オランダの作家)。河東けい(関西演劇界の重鎮、「奇蹟の人」熱演)。竹本信弘(滝田修)。萩原能久。大崎善生。八木マリヨ(環境芸術家)。Doris Marie Brougham(彭蒙惠)。田中美津。境毅(旧姓竹内)=榎原均。哲学者アルヴィン・ゴールドマンAlvin Goldman (1938-2024)。荒井献。坂下範征(釜芸一期生)。フジコ・ヘミング。松岡正剛。石川好。桂米丸(新作オンリーの落語家)。新川和江。高石ともや(フォークシンガー)。吉浜忍。伊藤隆。飛鳥井けい子(社民党・向日市市議)。清水敏保(祝島島民の会代表)。佐々涼子(ノンフィクション作家)。川崎ゆきお(漫画家)。斎藤英喜(佛教大学歴史学部教授)。セルジオ・メンデス(歌手。ヒット曲「マシュ・ケ・ナダ」 )。Gill Stoker(YouTubeの英語の先生)。木曽明子(哲学者)。渡辺武信(詩人、建築家、映画評論家)。小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)。宇能鴻一郎。岡照雄。山崎一穎(森鷗外研究者)。松木武彦(考古学者)。ユズキカズ(漫画家)。フレドリック・ジェイムソン。松前達郎。弓恵子。細江英公。志水紀代子。山藤章二。廣島正。猪飼隆明。井上智重。滝清子。住谷春也(ルーマニア文学者)。白井佳夫(映画評論家)。大谷恭子(弁護士)。西田敏行。中川李枝子(作家、『ぐりとぐら』シリーズなど)。ピーコ。聶華苓(中国人女性作家。詩人の夫と共にアイオア大学「国際創作プログラム」(IWP)を創設)。安田常雄(歴史家、元・歴博教授)。高階秀爾。グスタボ・グティエレス(「解放の神学」の父として知られるペルー人のドミニコ会司祭)。小山内美江子(脚本家)。せなけいこ(絵本作家)。古田一晴(「ちくさ正文館書店」元店長)。能川元一。上村淳之(日本画家)。クインシー・ジョーンズ。楳図かずお。吉田簑助(人形浄瑠璃文楽の人形遣い)。平良妙子(琉球漢詩の専門家)。筒井久吉(「第五福竜丸」の元船長)。喜多道枝(「フランダースの犬」ネロ役の声優)。岡沢憲夫(政党論、スウェーデン研究者)。岡沢憲芙(比較政治学専攻)。高橋秀実(作家)。種市信雄(六ケ所村の反核燃団体代表)。表三郎(元駿台英語講師)。長谷忠(詩人・長谷康雄、ドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』に出演)。ウラジーミル・シクリャローフ(ロシア西部サンクトペテルブルクの名門マリインスキー劇場バレエ団バレエダンサー)。谷川俊太郎(詩人)。鈴木道彦(フランス文学者)。阿川尚之(法学者)。火野正平(俳優。NHKのBSで放送中の旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」で14年間にわたり“旅人”として全国各地を回った)。ペトロ・ヴェリーキー(チェルニヒウの音楽演劇場の俳優)。ジョルジ・パウク(ヴァイオリニスト)。桂雀々(「上方落語の爆笑王」)。飯塚幸三受刑者(池袋暴走事故)。山崎有恒(歴史学者)。葉嘉瑩(カナダ国籍の中国文学者、詩人、作家、教育者)。猪口孝(政治学者)。ロラ・エステリタ・ディ(フィリピンの日本軍性奴隷制被害者であり女性人権運動家)。浅岡鈴果(フランスのケーブルテレビ局「ノーライフ」で2014年まで247回放送された番組「東京カフェ」のリポーター)。神谷国善(作曲家・荒木栄の盟友で『労働者作曲家荒木栄の歌と生涯』著者)。三雲健(地震学者)。赤澤史朗(日本近現代史研究者・立命館大名誉教授)。康芳夫(プロデューサー)。猪熊葉子(児童文学研究者・翻訳家)。小中陽太郎(作家)。掛札昌裕(脚本家)。瓊瑤(台湾の恋愛小説家)。堀田力(元東京地検特捜部)。穂積和夫(画家・イラストレーター)。小峰秀孝(長崎原爆青年乙女の会会長)。清水多吉(哲学者)。C・S・ソン(宋泉盛=ソン・チョアンセン)(長老派の神学者)。森乃阿久太(落語)。安達元彦(作曲家)。中山美穂(歌手、俳優)。舟越桂(彫刻家)。金城規克(画家)。鄭炳浩(韓国の人類学者)。早田和泰(元RSK山陽放送アナウンサー)。松村英子。小倉智昭(キャスター)。フランソワ・ラリュエル(哲学者)。打越正行(社会学者)。鴻英良(演劇批評家)。中川重年(人と森の関係・里山保全に関する研究者&活動家)。藤本紀子(室蘭のDVシェルターの創設者)。カーター・J・エッカート(韓国史研究)。松尾蕙虹(夫が被害を受けた三井三池炭鉱三川坑炭じん爆発事故で裁判闘争)。久里洋二(画家、漫画家、アニーション作家)。高橋真琴(画家、漫画家)。木邨健三(正義と平和協議会事務局長)。マリッサ・パレデス(スペインの俳優)。ナベツネこと渡辺恒雄(読売新聞グループ本社代表取締役主筆)。間宮芳生(作曲家)。谷口吉生(建築家)。千田謙蔵(東大ポポロ事件の被告、秋田県横手市長)。川田順造(文化人類学者)。知名宏師(有限会社知名御多出横の創業者)。朴燦鎬(韓日大衆歌謡研究)。オリビア・ハッセー(俳優)。菅原龍憲(浄土真宗本願寺派僧侶、「靖国合祀取り消し訴訟」原告団長、「東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動」の本願寺派代表)。村上知彦(漫画評論家)。冬木透(作曲家、ウルトラセブン作曲)。神代修(スペイン語・ラテンアメリカ文学)。リンダ・ラヴィン(ブロードウェイ俳優)。シュガー・パイ・デサント(ブルース歌手)。佐多達枝(振付家、バレエダンサー)。笹森恵子(被爆者。いわゆる「原爆乙女」の一人)。糸岡富子(存命中の世界最高齢者としてギネス記録保持者)。ロバート・ボールドウィン(カナダ系日系人タレントで俳優)。宮田仁(「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実知り追悼する神奈川実行委員会」の共同代表)。伊藤孝雄(俳優)。童門冬二(作家)。徐龍達(経営学者)。松尾蕙虹(三井三池炭鉱・三川鉱での炭じん爆発事故の患者家族として企業側の責任を問い裁判闘争)。大崎善生(元「将棋世界」編集長で作家)。山際永三(映画監督、社会活動家)。播磨靖夫(障害者の芸術運動に生涯をささげた社会運動家)。
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・アメリカ国籍のジャーナリストのゴンザーロ・リラさんがウクライナで不当逮捕され、拷問を受け、医療的放置のあげく、肺炎で亡くなられた。ゴンザーロ・リラの父親は、息子に対する拷問と暴力について語った。 「彼はロシアの工作員だと非難された。ロシアの諜報員というイメージに私の息子を加えること以上に愚かなことが本当に可能なのだろうか?」彼は7万ドル払わなければ、左目をつまようじでえぐられると言われた。「彼は8ヶ月と11日間拷問されました」と父親は言った。アメリカはウクライナで自国民が殺害された事実を完全に無視した。
・「朝露」「常緑樹」などを作詞・作曲した、歌手で演出家の金敏基(キム・ミンギ)さんが2024年7月21日、持病の悪化で亡くなりました。享年73歳。1951年生まれのキム・ミンギさんは69年に歌手活動を始め、71年には後に自身の代表曲となった「朝露」を発表。ヤン・ヒウンが歌って有名になったこの曲は70、80年代の軍事独裁政権を批判するものとして、多くの人々に愛され、民主化運動を象徴する曲となりました。91年には大学路にハクチョン(学田)という小劇場を開き、ソル・ギョングやファン・ジョンミンらを輩出しました。
・日経新聞より、「関西フォークとは何だったのか アングラ・反抗の歌、一瞬の熱狂」。
・2016年の記事。ロビン・ウイリアムズと共演した『ポパイ』では相手役のオリーブ役を演じたシェリー・デュヴァルさん。『シャイニング』原作者スティーブン・キングのどの作品よりも現実は恐ろしい。
・太田昌国さんの記事「大谷恭子弁護士の死と、同時代を生き、闘った者への彼女の思い」
・グスタボ・グティエレスさん
・クインシー・ジョーンズさん訃報記事「クインシー・ジョーンズさん死去91歳 マイケル・ジャクソン「スリラー」など手掛け 久石譲氏の名前由来」
・平良妙子さん論文 https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E5%B9%B3%E8%89%AF%E5%A6%99%E5%AD%90
・【2022/11/12】琉球漢詩とは? 「中山第一才」と呼ばれた蔡文溥【最新論文を徹底解説!】
・斎藤英喜さんの著書の特設コーナー
・六ケ所村の反核燃団体代表の種市信雄さんが亡くなられました。
・元駿台関西校の英語講師、表三郎先生逝去。脚を痛められて講師を辞されたあとは妻さんとともに山梨の施設に入られていました。数年前から雑誌「情況」に初期マルクスに関する論考を寄せられていましたが、2022年冬号(下の写真)を最後に途絶えていました。
表三郎先生のかつての研究会ブログ
・MBSニュース「“95歳のゲイ”長谷忠さんが死去 同性愛への偏見に苦しみ続けた人生 ドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』が今年全国で公開 (2024年11月14日)」
・石川好さん「日本は大国としか付き合わず、いわば初版100万部国家からしか学ぼうとしない。だが初版3千部で増刷を重ねていく国もある。その小国の知恵に学ぼうとしない」
・谷川俊太郎さんを偲ぶ投稿がSNSでもいろいろ出ていますが、RSK山陽放送では、谷川俊太郎さんと岡山との縁ということで永瀬清子さんとの交流が取り上げられていました。永瀬清子さんの詩集に谷川さんが出会ったのは、10代後半の頃だといいます。当時の印象を語る映像が残っています。
・武満徹が作曲、谷川俊太郎が作詞した「死んだ男の残したものは」も心揺さぶられる歌でした。いろいろな人の表現で聞いた。小室等さん、高石ともやさん、森山良子さん、倍賞千恵子さん、坂田明さん、長谷川きよしさんと大竹しのぶさん、東京混声合唱団、榛葉樹人さん、石川せりさん・・・
・佐々木 モトアキさんの記事「死んだ男の残したものは〜鉄腕アトムの主題歌で知られる詩人・谷川俊太郎が書いた反戦歌」2024.11.20回
・谷川俊太郎の「生きる」という詩と似ていますが、谷川俊太郎が小室等とコラボしたアルバム『いま生きるということ』の表題作も谷川さんが作詞したものです。お気に入りの曲です。
・ガーディアンでも追悼記事。「かつては、詩は天から降ってくるようなものだと思っていたという。しかし、年を重ねるにつれ、詩が地面から湧き上がってくるのを感じるようになったという。」
・「日本國寶級詩人谷川俊太郎逝世「享耆壽92歲」 曾受邀來台參加詩歌節」(中天新聞網2024年11月19日)
・東京新聞2018年6月6日夕刊に掲載された、劉暁波さんの妻、劉霞さんへの谷川俊太郎さんの返詩「劉霞に」が素晴らしい。記事には、劉さんの詩を翻訳された田島安江さんのコメントも掲載されています。
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劉霞さんと谷川俊太郎さんとをつなぐことになった出版元、侃侃房の田島安江さんがブログ「つれづれkankanbou」でこの事情を語っている。
・森田美芽さん(哲学・倫理学)FB投稿:
・アルテスとしての公式の追悼文。
・北條勝貴さん(上智大学文学部教授)FB投稿:
・「63年前の幻の名作テレビドラマ『ムックリを吹く女』の脚本も担当 “詩人”谷川俊太郎さん92歳が死去 北海道にも谷川さんが残した数々の作品が…」北海道放送2024年11月21日(木) 14:43。谷川俊太郎さんが当時30歳の時に脚本を手掛がけた「ムックリを吹く女」。今もHBCのアーカイブ倉庫で大切に保存されています。
・西岡文彦さんFB投稿(2024/11/21):
「からだ 谷川俊太郎
1989年初夏放映のNHKスペシャル「驚異の小宇宙:人体」のポスター。番組のタイトルが少しかためなので、谷川さんに詩を書いて頂き、番組冒頭でテロップで流した。放映が迫っており、詩が届くのを待って、猛速で作成した思い出のポスター。合掌」
・2004年7月座談会「詩の言葉、変遷する日本語」(加藤周一、谷川俊太郎、田原(ティアン・ユアン)と)(*)(すばる)のちに(対話集6(かもがわ出版)に収録)
・鈴木道彦さん逝去。
・火野正平さん追悼 吉井川に架かる万富鉄橋にて
・桂雀々師匠の訃報。
・241120ウクライナ、チェルニヒウの音楽演劇場の俳優ペトロ・ヴェリーキーが戦死した。なお、その名前(おそらく芸名)は「ピヨートル大帝」を意味した。
・ヴァイオリニスト、高名なヴァイオリン教師、ジェルジ・パウク死去。88歳
・池袋暴走事故 飯塚幸三受刑者が老衰のため死亡。
・山崎有恒さん(やまざき・ゆうこう=立命館大教授、日本近代政治史)が21日、心不全のため滞在先の台湾で死去した。60歳。千葉県出身。
・葉嘉瑩(Yeh Chia-ying)さん死去
・悲惨な火災でご家族を亡くされた猪口邦子氏は、研究者の時は(猪口孝編著の「現代政治学叢書」全20巻(東京大学出版会)のうち第17巻『戦争と平和』を著された)まだ平和主義的な発言をしていた記憶があるが、2005年に自民党議員になってからは山谷えり子、片山さつきらに近いタカ派議員になってしまった。憲法改正「賛成」。緊急事態条項「賛成」。普天間基地の辺野古移転「賛成」。選択的夫婦別姓制度「反対」。原子力発電所「必要」。さらには、『歴史戦』『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』(共に英訳版)を在米の学者に配布するという暴挙にまで出た。この人ほど議員になる前となってからとで発言内容が変わった人はいないだろう。初めての選挙の時はリベラル派も引きつけて当選した。
・《訃報》大変悲しく、辛いお知らせです。2024年11月24日、フィリピンの日本軍性奴隷制被害者であり、女性人権運動家であるロラ・エステリタ・ディが亡くなられました。
・フランスの日本ファンに愛された日本人女性、49歳で死去 2024/11/29(金) 7:00配信
・梁石日
・映画監督・港健二郎さんFB投稿(2024/12/1):「神谷国善さんが、昨30日に98歳で亡くなつた。
この4月に今、製作中のドキュメンタリー映画「俺たちの歌〜魂の作曲家・荒木栄」でインタビュー取材をさせていただいていた。
神谷さんは、栄の盟友。その結婚を祝って栄が作曲したのが今も歌われる続けている「花をおくろう」。
♪ 吹雪の夜を歩いてきた
ぬかるみを飛び越えてきた
日照りにたたかれてきた
嵐の夜を走ってきた
手を取り合って歩いてきた
節くれ立つた荒れた手から
故郷を作る仲間の手から
花を贈ろう オレンジの
3日が家族葬だと聞いて弔電を送りました。
・・・その日、佐賀の日本のうたごえ祭典では、荒木栄の歌たちが高らかに歌われました。
天国で再会されたお二人は、今頃、どのような会話を交わされているのでしようか・・・心よりご冥福をお祈りします。お疲れ様でした!
映画監督 港健二郎」
・惜別)赤澤史朗さん
日本近現代史研究者・立命館大名誉教授
父は通商産業省重工業局長、富士通副会長、日本貿易振興会理事長を歴任し、戦後初の国産旅客機YS-11の生みの親と言われる赤澤璋一。
朝日新聞2024/11/30
退職講義では「日本人の思想上の盲点を明らかにする仕事をさらに進めたい」と語った=2013年1月
■日本の総力戦、多角的に迫った
9月20日死去(肺炎) 76歳
戦況の悪化を背景に、深刻化した青少年の不良化問題。「低級」「下品」の烙印(らくいん)を押されながら、ナショナリズム高揚を追い風に国民的人気となった大相撲。アジア太平洋戦争期の社会や文化の姿を実証的に捉え直し、「戦争責任」を含めた総力戦の実態に迫ろうとした。
集大成の一つが「靖国神社」(岩波書店)。社務所が発行した社報など膨大な資料を読み込み、今は「大東亜戦争肯定論」に立つように見える靖国神社が戦後の初期、「非戦」の立場から平和主義と折り合いをつける流れがあったことを明らかにした。
大学時代からの親友の北河賢三・早稲田大名誉教授は「イデオロギー的な題材をイデオロギーのみでは捉えられない視点で調べ上げ、貴重な靖国論となった」と語る。
研究は時代を先取りした。戦後、国の援護策から除外された空襲被害者の研究は、発表から十数年を経て大阪空襲訴訟に生かされた。戦時中の大相撲の論考は、胎中千鶴さんの名著「叱られ、愛され、大相撲!」の土台になった。
団塊の世代で、兵士として戦場に赴いた父とは価値観が違った。だが、遺作となった「戦中・戦後文化論」では、戦後通産官僚として国産旅客機YS―11の生みの親となった父璋一さんが、戦争を早く忘れたいという世の大勢に違和感を覚えていたとふり返り、「戦争と戦後日本への思いには共通する部分があったのかもしれない」と書いた。
教育者として厳しい面もあった。大学ゼミの教え子である私は、大学院進学を希望した際、目的が不明確と指摘された。ショックを受けたが、真剣に進路を悩み、歴史を刻む仕事である記者を志す契機になった。8年前に自宅を訪ねたとき、その話は忘れていらっしゃったが、感謝している。(武田肇)
*
あかざわしろう
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%BE%A4%E5%8F%B2%E6%9C%97
・伝説のプロデューサー康芳夫さん、87歳で死去…群馬県高崎市内の病院で老衰のため 2024/12/2(月) 21:03配信
・児童文学研究者・翻訳家の猪熊葉子さん死去、96歳。
旧姓・葛原。父は外科医の葛原輝、母は歌人の葛原妙子。聖心専門学校をへて、1952年聖心女子大学国文科卒業、須賀敦子とは大学時代からの友人。
54年同大学院修士課程修了。同大学助手、56年専任講師、57年から一年間オックスフォード大学留学、J・R・R・トールキンに師事した。72年助教授、78年教授、90年白百合女子大学教授、1999年定年退職。
ローズマリー・サトクリフ、メアリー・ノートン、フィリッパ・ピアス、イディス・ネスビットなど英国の女性児童文学者を中心に多数の翻訳がある。1970年サトクリフ『ともしびをかかげて』(で児童福祉文化賞出版部門奨励賞、86年「かさどろぼう」の訳で日本の絵本賞絵本にっぽん賞特別賞、また『まよなかのパーティ』(の訳でサンケイ児童出版文化賞を受賞。
「子どもの本・九条の会」代表団員を務めている。宗教はカトリック。聖心女子大学に入学した1949年に受洗したが、そのとき受洗に反対した母妙子に対して、最晩年に洗礼を授けた。
朝日新聞2024/12/2
「太陽の戦士」(ローズマリ・サトクリフ作)や「真夜中のパーティー」(フィリパ・ピアス作)など、数多くの児童文学作品を翻訳した、児童文学研究者で翻訳家の猪熊葉子(いのくま・ようこ)さんが11月19日、心不全で死去した。96歳だった。葬儀は家族で営んだ。喪主は長男太郎さん。
千葉市出身。聖心女子大大学院を修了。英オックスフォード大に留学し、「指輪物語」の作者J.R.R.トールキンに師事した。
帰国後は聖心女子大と白百合女子大で教壇に立った。数多くの児童文学作品の翻訳を手がけながら、後進の翻訳家の育成にも取り組んだ。
国際児童図書評議会(IBBY)副会長、日本国際児童図書評議会(JBBY)会長を務めた。著書に「児童文学最終講義」「大人に贈る子どもの文学」など。母は歌人の故・葛原妙子さん。
↓岩波書店の児童書編集部さんのメッセージ
・作家の小中陽太郎さん死去、90歳 ベ平連の活動やペンクラブ理事も 朝日新聞2024/12/3
・脚本家の掛札昌裕さん死去 86歳「トラック野郎」「Gメン‘75」2024/12/3 17:30
・中国語圏を一世風靡した台湾の恋愛小説家・瓊瑤(チョンヤオ、本名陳喆)氏は今日(4日)の午後、新北市の自宅でお亡くなりました。86歳。自ら命を絶ったとのこと。1949年に小説家としてデビューし、男女の不倫を描写するのが上手で、中国語圏では大量な恋愛小説と改編されたテレビドラマを残した。ご冥福をお祈りします。
・小林哲夫さんFB投稿(2024/12/4):元東京地検特捜部の堀田力さんご逝去。戦後まもなくできた旧制「京都府立第一中学校特別科学学級」という京都の天才秀才を集めた英才教室で、堀田さんは同じクラスの高坂正堯氏(のちの京大政治学者)を「えらそうに生意気な態度」ゆえ、ぶん殴ってしまったと、拙著『飛び入学』(日本経済新聞社 1999年 とうに絶版)で述懐しています。ほんとうは仲が良かったようで、堀田さんは嬉しそうに話していました。25年前の取材ご協力、あらためて感謝。ご冥福を祈ります。特別科学学級はすぐ廃止されますが、このクラスには伊丹十三氏も在籍。
・草思社:「穂積和夫さん ご逝去のお知らせ
2024年12月4日
画家・イラストレーターの穂積和夫(ほづみ・かずお)さんが、11月26日、都内世田谷区の病院で、多臓器不全により逝去されました。94歳でした。葬儀は近親者のみで執り行われました。謹んでお悔み申し上げます。後日、お別れの会が開かれる予定です。
穂積和夫さんは1930年東京生まれ。東北大学工学部建築学科卒業。セツ・モードセミナーで長沢節に師事して絵を学ぶ。建築設計事務所を経て、イラストレーターに。メンズファッション、自動車のイラストレーションで一世を風靡しました。後年は建築知識を活かし日本の伝統的建造物の絵解きイラストで高く評価されました。いつも、ご自分は「絵描き」だとおっしゃっていました。
「MEN’S CLUB」(婦人画報社)など多くの雑誌で活躍されたほか、著書に『法隆寺』などのシリーズ「日本人はどのように建造物をつくってきたか」全10巻(共著、草思社、サンケイ児童出版文化賞)、『絵で見る 明治の東京』(草思社)、『日本の建築と街並みを描く』(彰国社)、『絵本アイビーボーイ図鑑』『絵本アイビーギャル図鑑』(講談社/愛育社)、『絵本アイビー図鑑』(万来舎)、『着るか、着られるか』(三一新書/草思社文庫)、『自動車のイラストレーション』(ダヴィッド社)など多数。また『間違いだらけのクルマ選び』(草思社)では創刊時から長らくイラストを担当されていました。
あらためて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。」
・「腐れ足」過酷な被爆者としての人生 長崎原爆青年乙女の会会長・小峰秀孝さん死去 ノーベル平和賞受賞の報聞き旅立ち
・訃報 清水多吉さん 91歳=哲学者、立正大学名誉教授。非常勤で早稲田政経に来られていたが、講談調の授業は大人気。信者多数。とにかく声がデカかった。
毎日新聞2024/12/5
清水多吉さん 91歳(しみず・たきち=哲学者、立正大学名誉教授)3日、慢性心不全のため死去。葬儀は近親者で営む。喪主は妻紀子(のりこ)さん。
フランクフルト学派の研究に取り組み、「一九三〇年代の光と影 フランクフルト学派研究」「語り継ぐ戦後思想史 体験と対話から」など多数の著書を残した。
・【訃報】
キリスト教神学をアジアにおいて文脈化するとともに、同地域の民衆の解放のために闘ったことで世界的に知られた長老派の神学者、C・S・ソン(宋泉盛=ソン・チョアンセン)牧師が、11月26日逝去した。
邦訳された著書には、『民話の神学』(金子啓一訳、新教出版社、1984年)、『イエス:十字架につけられた民衆』(梶原寿監訳、金子啓一ほか訳、新教出版社、1995年)、編書に『台湾基督長老教会獄中証言集』(岸本羊一監訳、教文館、1986年)がある。
・急死から8日…落語家の森乃阿久太さんが再放送「カムカムエヴリバディ」に登場していた 2024/12/5(木) 13:27配信
・大阪梅田でクリスマスコンサートが予定されていた中山美穂さんが逝去
「中山美穂さん急逝:芸能人有名人の訃報と私たちのメンタルヘルス」碓井真史(社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授)2024/12/6(金) 18:43
・キューバ倶楽部さんFB投稿(2024/12/6):「中山美穂さんの訃報に衝撃を受けています。
思い出すのは、キューバを訪ねたテレビ番組、『中山美穂のカリブ楽園共和国』(2000年)。村上龍さんと一緒に、キューバで地元の人とふれあい、サルサを踊り、楽しさあふれる表情だったのが印象に残っています。
常夏キューバのダンススタジオで、村上龍さんが見学しながら流れる汗をふいているのに、中山美穂さんはレッスンを受けてサルサのステップをたちまち修得し、その間、踊りながら汗もかかず、歌手・女優さんはすごい!と驚いたのを思い出します。
それから、キューバの名曲、Lagrimas Negrasも(もちろんスペイン語で)レコーディングされました。歌手としてたくさんのヒットナンバー、人の心に残る曲を発表していますが、Lagrimas Negrasからは、やさしく、ひたむきに、キューバへの想いを歌う中山美穂さんの人柄が伝わってくるようです。
ご冥福をお祈りいたします。」
・今朝(2024/12/7)の番組で、今年他界された彫刻家・舟越桂(かつら)さんの言葉がとても良かったので共有しますね。「人間ってそれぞれ個人は絶滅危惧種。一人が失われたら、決して同じ人は生まれて来ないし、復活もしない」
・金城規克さん(画家)逝去。琉大美術から東京芸大大学院へすすみ、独特のシュールっぽい独特な画風を展開した。数年前から病床に伏しておられた。
・訃報 故 鄭 炳浩(チョン・ビョンホ)漢陽大学文化人類学科名誉教授
1955年7月27日〜2024年12月8日
韓国の人類学者で、北海道での強制労働犠牲者の遺骨発掘と遺骨返還に取り組んだ「東アジア共同ワークショップ」でも大きな働きをされました。
韓国文化人類学会長を歴任された文化人類学者である鄭炳浩(チョン・ビョンホCHUNG
Byeong-ho)さんが、肺がん治療のため入院中の病院で本日亡くなりました。享年69歳でした。
1955年ソウル市で生まれた鄭さんは、高校時代から当時の軍事独裁政権に反対するなど、韓国の民主化運動に参加しました。大学在学中には韓国社会における差別・不平等の問題に関心を持ち、ソウル市内の貧困層の子どもとその家族のための保育運動を精力的に展開なさいました。その後米国イリノイ大学で文化人類学を専攻し、日本における幼児保育システムを研究しました。この研究成果と大学時代の保育支援運動の経験に基づいて、鄭さんは韓国に帰国後、「共同育児システム」を韓国社会に定着させ、本日まで「社団法人共同育児共同体教育」の理事長を務めてまいりました。漢陽大学文化人類学科の教授として在職中は、北朝鮮と韓国の子どもたちがお互いの似顔絵で交流する運動を展開し、朝鮮半島の平和問題を子どもの視点から見直すことを韓国社会に訴えました。この運動は、北朝鮮と韓国の子ども中心の交流として朝鮮半島の平和を目指すNGO団体「オリニオッケドンム」となり、現在も続いています。
また、日韓の歴史問題と和解についても深い問題意識を持っていた鄭さんは、1997年北海道幌加内町の朱鞠内で行われた日韓共同ワークショップに韓国側代表として参加し、強制連行の犠牲者の遺骨を発掘しました。以後、このワークショップは日韓の歴史問題を共に直視することで、日本と韓国、台湾の若者がお互いを理解し、平和な未来を展望する市民運動へと発展しました。鄭さんはこの市民運動の韓国側の組織である「平和の踏み石」の代表も務めておりました。最近はこの市民運動の求心点だった朱鞠内の「笹の墓標展示館」再建運動にも力を入れていました。その結果「笹の墓標展示館」は去る9月28日に「笹の墓標強制労働博物館」として開館することができました。この開館式への参加が鄭さんの最後の来日でした。その他にもイリノイ大学の有名な日本研究者であるディビッド・W.プラス(David W. Plath)教授の教え子だった鄭さんは、甲南イリノイ研究センターの所長を務めるなど、日本とアメリカの相互理解と交流にも大きく貢献しました。
鄭さんは日韓の真の和解を望み、東アジアの平和の実現のために生涯にかけて実践をし続けた実践人類学者でありました。そして実践のみならず文化人類学者として学問的にも大きな業績を残されました。代表的な著書に、『「劇場国家」北朝鮮:カリスマ権力はいかに世襲されたのか 』、『人類学者がのぞいた北朝鮮: 苦難と微笑の国』などがあります。
葬儀はソウル峨山病院において家族葬で行われます。
・鄭炳浩정병호チョンビョンホ
・早田和泰さん死去、61歳 元RSK山陽放送アナウンサー、06年にフリーに転身 2024/12/9(月) 13:00配信
・寮美千子さんFB投稿(2024/12/10):「▼訃報/松村英子さん
若い頃からの友だちだった。彼女が「子ども文化研究所」にいた上原英子さんだったころからの。わたしにとっては、ずっと「上原さん」だった。
彼女は、その後、ロック評論家で小説家である松村雄策氏と結婚。子もなしたが、離婚してシングルマザーに。いまではかわいいお孫さんまでいたのに。
離婚した松村雄策氏が癌になり、結局彼女がお世話をして看取った。言葉はキツイところがあっても、心はとことんやさしい人だった。2022年3月12日、彼女は松村さんを見送った。
英子さんは、この11月14日、脳出血で突然帰らぬ人となったとのこと。その前日、白内障の手術をして、目がよく見えるようになったと喜んでいたのに。
写真は、2015-9-26、青山であった井桁裕子さんの展覧会にみんなが集まったときの飲み会。隣にいる羽月雅人さんは、2023年11月6日にご去。もう二人ともこの世にいないなんて。
上原さん、舌鋒鋭く、正論の人だった。サバサバしていて、カッコよかった。大好きだった。
どうしてそんな急に行っちゃったの? なんだかあちらの世界の重力がどんどん強くなる。わたしがそちらの仲間入りする日も遠くないかもしれない。でも、さみしいよ。もっともっと会いたかったよ、この現世で。涙。
天上世界からの風が吹き荒れている。友を次々に攫っていく。「ご冥福をお祈りします」なんて、縁起でも無いから言わないでくれって、彼女なら言うだろうな。ほんとうにありがとう、いままで。」
・小倉智昭さんが死去 77歳 フジ「とくダネ!」などキャスターとして活躍 長く闘病生活も力尽きる
・【第14回 時間・偶然研究会】孫宇辰「同一と差異の超克─ラリュエルの非-哲学思想入門」2024/12/21
発表要旨:今回の発表では、フランソワ・ラリュエルという日本ではまだ十分に受容されていない思想家、特に彼の「非-哲学」プロジェクトについて初歩的な紹介を行う。ラリュエルの生い立ちや基礎的な概念の解釈を含め、現象学や差異の哲学といったラリュエル思想の主要な源泉を系譜学的に追跡する点が本発表の特徴である。
共催:中央大学人文科学研究所「リアリティの哲学」、時間・偶然研究会
・社会学者の打越正行さん死去、45歳 著書「ヤンキーと地元」が話題に 2024/12/10 18:56
若すぎる。道場親信さん(みちば・ちかのぶ=和光大教授、日本社会科学史・社会運動論)も亡くなったのは49歳。
打越正行さん(うちこし・まさゆき=社会学者、和光大専任講師)9日、急性骨髄性白血病で死去、45歳。葬儀は15日正午から川崎市宮前区菅生4の17の2の宮前シティホールで。喪主は妻・申京姫(しん・きょんひ)さん。
広島県呉市出身。沖縄の暴走族や若者の参与観察を手掛ける。著書に『ヤンキーと地元』(先月文庫化された)など。
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「社会問題に声を上げ、たたかう人びに、私は敬意を抱いています。私が沈黙する人や容認する人から学んだことは、たたかうことと生活することは矛盾しないということです。たたかうために生活しなければならないし、生活するためにたたかうのであって、生活を犠牲にしてたたかうことを良しとしたり、また生活することはたたかうことからの撤退であるといった関係にはありませんでした」(打越正行)
『ヤンキーと地元』刊行時の記事(2019.5.21)
・千坂恭二さんFB投稿(2024/12/11):「2024年12月6日早朝に演劇批評家の鴻英良が亡くなった。彼は私より2歳上だが偶然、誕生日が同じ日でもあり、親しいというわけでもなかったが、以前、解体社の演劇公演のトークイベントに呼ばれた時、彼と徹夜で演劇論を交わしたことがあり、その時の彼の熱意や日本映画大学教授就任拒否の話などはよく覚えている。また彼が『二十世紀劇場 歴史としての芸術と世界』で展開したソ連の演劇状況は面白く読んだ記憶がある。」
以下は、坂手洋二さんによる追悼の記事。
・■暮らしに里山と音楽と優しさを~中川重年さんを偲ぶ会
日時:2024年12月8日(日)10:30~14:30 ※10:00受付開始
場所:厚木市立七沢自然ふれあいセンター
アクセス→https://nanasawa-shizen.com/access/
プログラム:
【第1部】10:30-11:30
集会室にて、スライドを交えながら、森林、里山、音楽、教育などの分野で中川さんの関わってきた方々から、思い出やエピソードなどを話してもらい、重年さんを偲ぶようなことを考えてます。
【第2部】12:00-14:30
飲食とアルプホルンなどを楽しみながら、自由に交流を深めるようにしたいと思います。
解散は14:00か15:00の予定です。
◎参加される方々は、ご自身の活動を紹介できるモノを、持ち寄ってくださるとありがたいです。
会費:3,000円(当日受付にてお支払いください)
・清末愛砂さんFB投稿:「室蘭のシェルターの創設者の藤本紀子さんが亡くなった。数え年で86歳。お別れとお礼を言いにいった。紀子さんは豪快だった。だってね、DV被害者相談を始めるのに、自分が管理人をしていた職場の管理人室に、勝手に電話を開設しちゃったんだから。そんなこと考える人は滅多にいない。雇用主にバレて問題になったから、被害者のための相談事業やシェルターを運営するマサカーネを立ち上げたのだけどね。なかなかない武勇伝でしょう。この話は、台湾で開かれた世界シェルターネットの大会の分科会で自慢話として披露。うちのボス、すごいやろ、って。これが草の根の闘いだよって。参加者にウケました。藤本さんが参加されていた分科会。
認知症を患っている母と猫の文子さんを北海道に連れてきたとき、藤本さんが新千歳空港まで車で迎えに来てくれた。マサカーネの活動の一環だよって言ってくれて。ありがたかった。本当にお世話になった。
偉大だわ、藤本紀子さん。
さようなら。これからも活動は続く。」
・ 韓国史研究のカーター・J・エッカート さん死去。
・池田知隆さんFB投稿(2024/12/12):「松尾蕙虹さんが11月5日亡くなった。93歳だった。いまから61年前の1963年11月9日に起きた三井三池炭鉱三川坑炭じん爆発事故で、患者家族として訴訟を起こし、保安対策を訴え続けた人だ。当時、私は中学3年生。爆発後、被災者、家族はどう生きていくのか。私にとって大人としての生き方を教えてくれた人だった。」
三池炭鉱炭塵爆発から60年 敗れざる者の豊かさー「三池」を抱きしめた「半未亡人」たち―(現代の理論デジタル版36号、2023年11月4日発信)
・竹熊健太郎さんFB投稿(2024/12/15):「画家・漫画家でアニーション作家の久里洋二氏が亡くなられた。もしかするとこの人、個人のアニメーション制作本数では世界一ではないだろうか。70年台の「11PM」では「久里洋二のミニミニアニメーション」のコーナーがあり、毎週、30秒くらいのアニメーションを放送していたしな。作品はリミテッドアニメの極地みたいな作風で、作画枚数も2枚で動きを表現していた。それで晩年まで絵画やアニメを制作していた。96歳。大往生と言える。」
「クリ ヨウジ 訃報のお知らせ
久里洋二(くりようじ、本名・栗原英夫、くりはらひでお)が11月24日(土)
老衰ため逝去いたしました。96歳でした
通夜・告別式はご遺族の意向により、近親者のみにて執り行われました。
大切な父を失うことは非常に残念で悲しいことです。突然の死を受け入れることは本当に難しいものです。
最後まで皆から愛された芸術家でした。
故人生前に腸りましてたご厚誼に深く感謝しますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
お別れの会の予定は現在ところ未定。
※誠に勝手ながらご香典お供花お供物はご辞退させていただきます。
久里実験漫画工房」(クリヨウジFB2024/12/15)
・高橋真琴が90歳で死去、食道胃接合部ガンにより 数多くの少女画手がけた巨匠
かれんな少女の大きな瞳の中に多くの星がきらめくというスタイルを切り開き、イラストレーターとして雑誌の挿絵や表紙、グッズ用の絵などで活躍。画集の出版や個展の開催など、2020年代に入っても精力的に活動していた。
・訃報(木邨健三さん)
「2024年12月8日、長年、正義と平和協議会事務局長として活躍された木邨健三さんが、97歳で帰天されました。
追悼ミサは、2025年1月25日12時カトリック目黒教会大聖堂にて、大倉一美師の司式で行います。
ここに謹んで報告いたします。
木邨健三さんは、正義と平和協議会事務局に残る記録では、1991年3月から、2004年3月まで、正義と平和協議会事務局長をされました。
カトリック中央協議会福音宣教研究室から発行された『歴史から何を学ぶか―カトリック教会の戦争協力・神社参拝』(新世社、1999年3月)の発行に際して、多大な貢献をされました。
そのほかに、単著書『このままでいいのか: ともに考える人権』(サンパウロ、2007年4月)があります。
木邨健三さんの主のみもとでの永遠の安息をお祈りいたします。
日本カトリック正義と平和協議会事務局」
・星野智幸さんFB投稿(2024/12/18):「スペインの大女優マリッサ・パレデスが亡くなった。78歳、まだ若い。
私はこの人に運命を救ってもらった。メキシコ留学から帰ってきたものの、仕事がなくて、30歳を超えて、人生、本当に迷っていた時期だった。実家に暮らしていて、母親にはあんたの人生のことを考えて眠れないとボヤかれ続けた。私自身が眠れなかった。
師匠の野谷先生の集まりで知り合った映画配給会社の人が、スペインの映画の字幕が英語から翻訳されるのだけど、原語のスペイン語で間違いがないかチェックしてくれないか、とささやかなお仕事をくれた。それがアルモドバル監督、マリッサ・パレデス主演の『私の秘密の花』だった。アルモドバル映画の大ファンだったし、大喜びで引き受けた。
すごい気合を入れてところどころのニュアンスの違いを指摘すると、配給会社の人が、試しに字幕を作ってみる?と言って、最初の何十個かの字幕をスペイン語から試訳させてくれた。それを見て悪くないねとなって、英語から字幕をつけた太田直子さんにも見せようとなった。太田さんは一部を採用してくれて、「君、本気で字幕やる気ある? あるなら教えるよ」とおっしゃった!
私は舞い上がって、「あります!」と弟子入りした。どこの馬の骨ともわからない無職の者に、よくあんな気前のいいオファーをくださったものだと思う。
そうして私は字幕翻訳という仕事を手に入れ、私も母も眠れるようになった。
『私の秘密の花』はアルモドバルでは地味な作品だけど、私には命の恩人のような作品。あのマリッサ・パレデスがやっぱり一番好き。
そして何と、あの当時、字幕をつけた黄金期メキシコ映画の傑作『エナモラーダ』が、来年1月に国立映画アーカイブで始まる「メキシコ映画の大回顧」で上映されるのだ!! 私のトークイベントもあり。
私の字幕の仕事でも会心の出来なので、ぜひ見てください。詳しくはまた。」
・渡辺恒雄さん死去 98歳 読売新聞グループ本社代表取締役主筆
メディアと政治のひとつの時代が終わった。政治家を動かすようなメディア人、本当の意味でのフィクサーはこれでいなくなった。たとえばこれまでおさえてきた再販制度に公取のメスがいよいよ入り、新聞や出版も大きく変わることになるのかもしれない。読売新聞のデジタル戦略も一気に動くでしょう。
本人にインタビューした魚住昭さんの『メディアと権力』には触れられていない。表の正史を知りたい人はNHK、裏側の本当の話に興味がある方は魚住さんの本をぜひお読みください。「地面師」より恐ろしい世界です。
ナベツネの存在は読売新聞にとって鉄の天井であったのではないだろうか。かれは反軍国少年で、東大時代には共産党に入党し活動していた。しかしある時から「転向」し、反マルクス主義に転じた。なんと朝日新聞の採用試験に不合格となり、読売新聞に入社したという。かれが朝日新聞をライバル視し、朝日を販売数で上回ることに執念を燃やしていたのは、そんなことが影響していたのかもと想像している。ナベツネの死、鉄の天井が開いたことで、読売新聞は変わるのかどうか。
・高橋博子さんFB投稿(2024/12/20):「渡邉恒雄(読売新聞)=自民党政権公式声明
この図式は60年安保闘争から始まっています。
樺美智子さんも亡くなった安保闘争で、岸政権が出した緊急声明は渡邉恒雄氏が執筆したんですって。
渡邉恒雄氏を「ジャーナリスト」とするのは間違いだと思います。こういう「フィクサー」こそ自由と民主主義を破壊していると思います。」
・ラボ・パーティFB投稿(2024/12/19):「作曲家の間宮芳生氏が、2024年12月11日に95歳で逝去されました。間宮氏は1929年6月29日、北海道旭川市に生まれ、青森県青森市で育ちました。東京音楽学校(現・東京藝術大学)作曲科で池内友次郎氏に師事し、1953年には外山雄三氏、林光氏とともに「山羊の会」を結成されました。
日本の民謡や世界の民族音楽を取り入れた合唱曲やオペラなど、多岐にわたる作品を手がけられ、その独自の作風は国内外で高く評価されました。また、アニメ映画『火垂るの墓』やNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』の音楽も担当され、多くの人々に親しまれました。
ラボ・パーティでは、『白雪姫』や『そらいろのたね』をはじめ、『国生み』『はだかのダルシン』『ロミオとジュリエット』など数多くのラボ・ライブラリーの音楽を手がけていただきました。氏はラボ・ライブラリーの仕事を音楽家として大切なものと位置づけられ、さまざまな国や地域の人びと、文化、その根っこの部分にあたる物語や音楽的要素を子どもたちに幼いときから体験してもらいたいという思いで、音楽を作ってこられました。
これまでのご協力に深く感謝申し上げますとともに、間宮芳生氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。」
・冨田武さんFB投稿:「遅ればせながら、12月12日亘理(旧姓中井・都根子)が亡くなりました。享年88歳。昨年11月に夫の亘理智胤が亡くなった頃から体調も記憶も衰えたようで、見舞いしなくちゃと思いながら自分が病気して叶いませんでした。私と9歳しか離れておらず(母から見れば14歳下の妹)、いわば姉さんのような存在でした。祖母の影響で、羽仁節子の自由学園に通うハイカラさんでした。卒後、たしか朝倉書店とかいう絵本の会社に勤めてから、縁があって亘理智胤(仙台の名家)と結婚しました。私は叔父を「殿様」と呼んでいましたが、名家なので、儀礼、親戚づきあい等で苦労したと想像します。しかし仙台は、軍人時代(私が生まれる前)の父が陸軍の研究所に勤めていたこともあって、縁のある好きな街の一つとなりました。葬式の件はまだ聞いていませんが、合掌。」
・婦人画報のNoriko Saeki さんの記事 2024/12/20
・建築家・谷口吉生さん死去 MoMA増改築、東京都葛西臨海水族園も
編集委員・大西若人
2024/12/20 20:29
・東大ポポロ事件の被告で秋田県横手市長を務めた千田謙蔵氏が逝去された。かつてポポロ事件を調べていた時に、氏の『ポポロ事件全史』(日本評論社、2008年5月)を読み、多くのことを学びました。ご冥福をお祈りいたします。
東大ポポロ事件の被告であった千田謙蔵氏の訃報に接して、わだつみ会の機関紙『わだつみのこえ』1952年3月15日号が特集を組んだのを思い出した。この年は皇居前での「血のメーデー事件」も起こっていて、同紙の5月15日号がそのことを伝えている。
・◇文化人類学者・川田順造さん死去 90歳 「無文字社会の歴史」
1960年代からアフリカを現地調査。西アフリカの文字のない社会を分析した「無文字社会の歴史」を出版し、注目されました。
・知名オーディオFB投稿:「創業者 知名宏師 逝去のお知らせ
有限会社知名御多出横の創業者、知名宏師(本名:知名弘)は令和6年12月22日(満77歳)をもって永眠いたしました。
生前のご厚情に深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
なお、葬儀は以下のとおり執り行います。
日時:2024年12月24日(火曜日)15時00分〜15時30分
場所:セレモニー中頭
〒904-2241 沖縄県うるま市兼箇段1740−1
電話番号: 098-979-1544
故人は、創業から49年間にわたりオーディオ作りに情熱の全てを注ぎ、その姿勢はただ技術を追求するだけでなく、「音」を通じて人々の心に触れることを目指しておりました。
現行品について「自分が納得いくものが完成した」と語り、ニヤッと笑みを浮かべていた姿が今も心に焼き付いております。
また、「次は音楽で世界平和を」という夢を掲げ、音楽を通じて人々をつなぎ、世界をより良い場所にしたいという純粋な願いを訪れる人々に熱心に語っておりました。
子供のような無邪気で純真な心を持ちながら、技術者としての豊富な経験と卓越した知識を併せ持つ存在でした。その飾らない人柄と真っ直ぐな信念で、どのような困難にも屈することなく前進し続ける姿を日々間近で見て、素晴らしい製品が生まれる背景にはこの情熱があるのだと実感しておりました。
知名オーディオは2022年より代替わりし、次世代メンバーも加わり製造を続けています。
来年2025年は創業50周年を迎えます。
今後も創業者の志と情熱を引き継ぎ、その思いを守り続けていくと共に
感動していただける製品の提供に努めてまいります。
何卒変わらぬご厚情のほど、よろしくお願い申し上げます。」
・9月25日に逝去された朴燦鎬入魂のライフワーク。
韓日大衆歌謡研究に先鞭をつけた歴史的名著。
韓国歌謡史Ⅰ1895-1945
韓国歌謡史Ⅱ1945-1980
朴燦鎬著
定価各4000円+税
日韓大衆歌謡研究に先鞭を付けた歴史的名著が大幅改稿と戦後編を加えた「決定版」となってついに完結!
通販:
・【いま読まれています】
今月9日に45歳で死去した社会学者の打越正行さん。研究仲間で社会学者の岸政彦さんが、追悼の手紙を寄稿しました。
<打越正行さんを悼む・岸政彦>ヤンキーと共に「人生を差し出す調査」 苦労し絶望し、愛された
上間陽子さんの打越正行さんへの追悼文。
・映画「ロミオとジュリエット」(1968年)で知られる俳優オリビア・ハッセーさんが27日に亡くなったと28日、自身のインスタグラムで発表された。73歳だった。自宅で家族に見守られながら息を引き取ったという。
中西光雄さん「私にとっては、バート・バカラックとハル・デビッドのコンビが音楽を担当したミュージカル『失われた地平線』のヒロインとしての印象が強いのです。冒頭から30分以上歌が出てこない異例のミュージカル、そしてバートとハルの離別のきっかけとなった大失敗作といわれます。でも、ほんとうにすばらしい作品なんです。歌もいい。それにしてもオリビア・ハッセーの逝去は残念!RIP.」
・菅原龍憲さん逝去。
伊勢谷功さんの追悼の言葉
『「東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動」の事務局 • 大分哲照さんから、浄土真宗本願寺派代表の菅原龍憲さん御逝去のご連絡を頂きました。
《 大分哲照さん→伊勢谷 》
菅原龍憲さんが、12月22日朝、6時20分に御逝去なさいました。
通夜は、12月27日(金)午後19時から、葬儀は28日(土)午前10時から行なわれますので、お知らせいたします。
入院されてから7ヵ月。
残念です。
《 伊勢谷→大分哲照さん 》
巨星墜つ…… 。
菅原龍憲さんが亡くなられたとのご連絡を下さり、有難うございました。
現在の時局において菅原さんに先立たれたことは、私どもにとっても、日本佛教界においても、大きな痛手であると痛感いたしております。
人の世は無情ですから、致し方の無いことで、あとは私どもが引き受ける以外にありませんが…… 。
菅原さんと同年齢の私なども、すでに先が見えています。
「東西の会」のことは、皆さま方にお縋りする以外にありません。
東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動
東本願寺代表 • 伊勢谷 功』(伊勢谷功FB 2024年12月26日)
北浦俊太郎さんの追悼の言葉
『【神祇不拝の正蔵坊】
菅原龍憲師が亡くなられました。84歳でした。残念です。
石見門徒は主に島根県大田市より西の浄土真宗信者のことですが、
特に門徒が多いのは大田市と邑智郡です。
大田市や邑智郡には神社には行かない、神棚も置かない熱心な門徒衆がいましたが、菅原龍憲師の正蔵坊も徹底した神祇不拝の寺でした。
浄土真宗なのでご冥福をお祈りするとは言いませんが、浄土から平和を見守ってくださるのではないでしょうか。』(北浦俊太郎FB 2024年12月28日)
杉原真司さんの追悼の言葉
『師匠とお別れしてきた。
いつかその時がくることは分かっていたけれど、いざその時になると激しく動揺したし、こんなに悲しいんだと自分でも驚くほど悲しかった。
出会ってから14年、本当に様々な示唆を授けてもらい、感謝してもしきれない。
葬儀では、息子で喪主の憲さんから「代表焼香を」と求められて、これまた別の意味で動揺することに。
自分なんかで良いのかと、焼香の順番が回ってくるまでは、ずっと逡巡していた。しかし、いざ焼香台の前に立つと、大好きな龍憲さんにきちんと気持ちを伝えられる本当に得がたい機会をもらったんだと思うことができた。できることなら、遺影の前から動きたくなかった。
龍憲さんと一緒に作ったドキュメンタリーを、いつか追悼上映しようと、何人かが言ってくださった。ありがたいことだと思う。
師匠の思いにどこまで応えられたのか、自信はない。でも、あの菅原龍憲と映画作ったんだぜ俺と、自慢しても良いよねとは思っている。
ただ、上映会をやろうという気持ちになるには、もう少し時間がかかりそうだけど。
ともかく、師匠、本当にありがとうございました。
俺もいずれそっち行きますから、一緒に飲みましょうね。』(杉原真司FB 2024年12月28日)
・▼訃報/村上知彦さん(73)
時代を牽引した漫画評論家にして編集者でした。「プレイガイドジャーナル」編集者時代、いしいひさいちさんの担当をされていたんじゃないかな。22日、間質性肺炎のため兵庫県西宮市の自宅でご逝去とのこと。
父は具体美術協会の中心メンバーで、パフォーマンス『紙破り』で知られる村上三郎。村上三郎は関学哲学科出身。
【村上知彦さん死去、73歳 漫画評論家】
・【訃報】 冬木透さん(作曲家) 賛美歌「ガリラヤの風かおる丘で」など作曲
本名の蒔田尚昊(まいた・しょうこう)名義では、賛美歌「ガリラヤの風かおる丘で」や合唱曲「黙示録によるモテット」、オルガン曲「黙示録による幻想曲」などの現代音楽作品を発表。1954年、広島市内にある世界平和記念聖堂にケルン市からパイプオルガンが寄贈された際、エリザベト音大の学生だったことから設置を手伝ったのを機にオルガンと出会い、グレゴリオ聖歌を含む西欧古典音楽の基礎を学ぶ。米軍キャンプ内で聖歌隊の伴奏をオルガンで弾くこともあったという。
1970年、大阪万博のキリスト教(バチカン市国)館オルガンコンクール作曲部門で最高位を受賞(「オルガンのための黙示録による幻想曲」)するなど、日本のオルガン音楽に多大な影響を与えた。日本グレゴリオ聖歌学会会員。
・神代 修さん(くましろ・おさむ=同志社大名誉教授、スペイン語・ラテンアメリカ文学)25日午後6時55分、肺炎のため奈良市内の病院で死去、98歳。
・The New York Timesより、「Linda Lavin, Broadway Actress and Star of TV Sitcom ‘Alice,’ Dies at 87」(ブロードウェイ女優でテレビのシットコム「アリス」のスター、リンダ・ラヴィンが87歳で死去)。
・津久井進さんFB投稿(2024/12/29):「安原浩先生の追悼文集が完成しました。
安原先生は、今年4月29日に旅立たれました。
残念に思う私たちは、関係者のご協力を得て「安原浩先生を偲ぶ会」を開催しました。
会では多くの方々から貴重な証言をいただきました。
激流のごとき司法反動の時代に、あたかも「虎に翼」の寅子の姿勢とシンクロするような安原先生の生き様は、私たちも十分知りませんでした。
裁判官として刑事法廷の改善に改革的な努力を重ね、
信楽高原鉄道の刑事裁判での目の覚めるような訴訟指揮、
弁護士として明石歩道橋事故の検察官役、
裁判員裁判が始まるとすぐに弁護人として法廷に立ち、
そして組織罰を実現する会の中心メンバーとして、
本当に幅広いご活動でした。
この文集は、それぞれに関わった方々の言葉を集めたものです。
何よりも、日本裁判官ネットワーク(JJN)の原始メンバーとして知られた安原先生ですから、
多くの司法関係者に手に取っていただきたく、
全国の裁判所と、全国の弁護士会にも寄贈しました。
いま、希望者の方々にも順次お渡しをしているところです。
3日前に、安原先生の御自宅に伺い、奥様に文集をお渡ししました。
目次をご覧になって「〇〇さんもお話しされたのですね。△△さんもお元気でしたか。」と嬉しそうに語っておられたのが印象的でした。
帰りに、水仙の花をいただきました。
水仙の花言葉には、
「尊敬」(白色)とか、「もう一度愛して」(黄色)
などがあるそうです。
この言葉を大切にして、あらためて『安原浩先生の足跡をたどる』時間を取りたいと思います。」
・シュガー・パイ・デサントさん、2024年12月20日逝去
女性R&B~ブルース・シンガー。ウェストコーストR&B。1935年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。本名 Umpeylia Marsema Balinton 。父親は黒人で母親はフィリピン人のダブル。1955年にジョニー・オーティス・レビューに参加し、そこで芸名をシュガー・パイ・デサントとして活動。その後ソロ歌手として独立し、1957年にVELTONEレーベルに録音した「I Want to Know」がナショナルヒットを記録。その後ニューヨークのアポロシアターで歌っていたところをジェームス・ブラウンに見出され、1959-60年の間にはジェームス・ブラウン・レビューに参加。1962年にはシカゴに移りブルースの名門CHESS/CHECKER/CADETレーベルと契約。1964年には「アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル」に、唯一の女性ブルース歌手としてヨーロッパツアーに参加。60年代後半にシカゴを離れ、サンフランシスコに移住し、以降は"サンフランシスコ・ブルースの女王"の愛称で活躍している。
・振付家、バレエダンサーの佐多達枝さん死去 92歳
記事には書かれていませんが、あの佐多稲子の娘さんです。
佐多稲子さんが亡くなったのは1998年。佐多稲子は戦後はやい時期に日中文化交流の面で中国の作家との交流をもっていました。佐多達枝さん、紫綬褒章、旭日小綬章などをもらっていることにちょっと違和感。
・広島で被爆しやけどの治療のためにアメリカに渡った被爆者の笹森恵子(ささもり しげこ)さんが、亡くなったことがわかりました。92歳でした。
【被爆者・笹森恵子さん】(2016年)
「みんなが協力してつながって平和運動しないとなかなか世界平和はきません」
笹森恵子さんは13歳の時、広島市中区平塚町で被爆し、顔や手に大やけどを負いました。
やけどの治療のためアメリカに渡ったいわゆる「原爆乙女」の1人で、アメリカで暮らしながら被爆の実相を伝えるために証言活動を続けていました。
親族によりますと、現地時間の15日夕方、アメリカ・カリフォルニア州の自宅で、倒れているのが見つかりその後、死亡が確認されたということです。
92歳でした。
・糸岡富子さんは1908(明治41)年5月23日生まれ。入所先の特別養護老人ホームでは、好物の乳酸飲料を飲んだり、職員に「ありがとう」と声をかけたりして過ごしていたそうです。
・俳優のロバート・ボールドウィンさん死去、59歳 娘の女優・有賀零が報告 2年前から大腸がんで闘病も…
・まとめ記事
・伊勢谷功さんFB投稿:「「東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動」の、本願寺派代表を、その発足当初(1999年)から25年間勤めて下さった菅原龍憲さんが亡くなられて、私には、日に日に無念な思いが募って来ています。
1月20日(月)に、今年初の「東西の会」の事務局会議(代表世話人会)が京都で開催されます。
私も、菅原さんとは同年ですから、先のことは、あまり期待できませんが、取り敢えず本願寺派の代表を、どなたかにお願いせねばなりません。
大谷派の「教学状況」も、かなり低俗になってきています。そのため、世間への向き合い方が、真宗(佛教)教団外の、つまりは「世間の」慈善運動と同質のレベルになってしまっています。
従来の教団教学では、それを真宗の信仰運動にまで回復することは不可能です。
せいぜいが、教団教学を「なぞる」程度が精いっぱいの真宗教学の現状の中では、せめて「東西の会」が、現在の混迷する教学状況の建て直しを担わねばならないのではないかと思います。
ご葬儀は、年末の繁忙期で、大谷派では、今年最後の親鸞聖人ご命日と重なり、ご葬儀には参列できませんでした。
「東西の会」からは、弔電のようなものを送信させて頂きましたので、ご一読ください。
浄土真宗本願寺派 • 正蔵坊
御遺族 • 御門徒 御一同 様
前住職菅原龍憲さんたちが「戦争のない国際社会 • 軍隊や軍備のない世界」の実現に向けて、「浄土真宗本願寺派 • 反靖国連絡協議会」を立ち上げられ、全国の、すべての佛教教団に先駆けて「国際平和、反戦 • 反軍備」の運動体を結成されてから、すでに四〇年あまりの歳月が過ぎました。
時を同じくして、私たちの大谷派東本願寺おいても「真宗大谷派•非武装平和を願う会」が発足し、西暦二〇〇〇年に、東西両派が合同して「東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動」を発足するに至り、以来今日まで、この平和運動の本願寺派代表として、菅原さんは二十五年間、私たちをご教導下さいました。
私は、菅原さんとは同年の1940年生まれで、この年は「太平洋戦争」勃発直前の「紀元2600年」という年でしたが、以来私たちは、戦時中と敗戦後の時代、そして、再び戦争への脅威が深まる現在へと、同じ時代を生きてきました。
それは、「戦争の悲惨さ」と「平和の尊さ」そして「人類の危うさ」を、思い知らされる八十四年間でもありました。
私たちは、この人類未踏の混迷を深める現代社会のただ中にあって「東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動」代表を勤めて下さった菅原さんから、一人の念佛者として「現実の時代社会」を生きるべき姿を、折にふれて教えられ、また励まされて参りました。
この半世紀に近い、菅原さんの日常を通して、つねに本願念佛の確かさを証しし、私たち、あとに続く者たちをお導き下さった、そのうしろ姿は、今後なお多くの念佛者の日常生活の中に、生き続けることと確信いたします。
戦乱と飢餓、抑圧と差別の渦巻く現実世界から、真の平等と平安を、いのちあるものすべてに願ってやまない「本願の浄土」をこそ、十方衆生の「共に帰るべき国土」として生きられた菅原さんのご生涯を讃え、生前のご恩に衷心より御礼申し上げます。
「東西本願寺派を結ぶ
非戦平和共同行動」
真宗大谷派代表 伊勢谷 功」
・天野秀明さんより。「ご報告 昨日、1月5日の1 8時から【関東大震災時朝鮮人虐殺の事実知り追悼する神奈川実行委員会】の共同代表で12月29日未明に誤嚥性肺炎でお亡くなりになった宮田仁(享年65歳)さんのお通夜が横浜市日吉の葬儀場でおこなわれました。中村一成さん、岡真理さん、愼蒼宇さん、鄭栄桓さん、岡本有佳さんなど古くからのご友人、青土社時代などの編集関係者など約80名ほどの会葬者でした。山本すみ子共同代表をはじめ私たち会のメンバーもご焼香を済ませたあと中村一成さん、岡真理さん、岡本有佳さん等ご生前の宮田仁さんをよく知るひとびとの思い出話に耳を傾け宮田さんを偲ぶときを夜更けまで共に過ごしました。
なお告別式は公益社日吉会館で本日11時30分から最寄駅は東横線日吉駅。
https://g.co/kgs/pvb2mHz 公益社 日吉会館
0120-948-341 」
・デイリースポーツより、「俳優・伊藤孝雄さん死去 昨年8月 都内の自宅で」。
それにしても、彼が主演した「戒厳令の夜」。スタッフもキャストもすごい映画だった。音楽もだ。
「哀しみのフローレンス」(歌:アマリア・ロドリゲス、作曲:ジョー山中)
・ベストセラーとなった「小説 上杉鷹山」など、数多くの歴史小説やエッセーを手がけた作家の童門冬二さんが、がんのため亡くなりました…96歳でした。
童門さんは東京生まれで、東京都の職員として勤務するかたわら作家活動にあたり、1960年に発表した「暗い川が手を叩く」が芥川賞の候補となりました。
当時の美濃部亮吉 都知事のスピーチライターを務めていましたが、知事の退任とともに1979年に都庁を退職して専業作家になり、在職中の経験を生かして組織やその中で生きる人たちを題材に、戦国時代の武将や幕末に活躍した志士などを描いた歴史小説を数多く手がけました。
2025年の報道で2024年に亡くなっていたことが判明。
・徐 龍達(ソ・ヨンダル、1933年3月- 2024年11月25日)先生もお亡くなりになっていました。
・熊谷博子さんFB投稿(2025/1/21):「追悼 松尾蕙虹さん(まつお けいこ)さん
「三池」の松尾蕙虹さんが、昨年11月5日に亡くなっていた。私たちが知ったのは、12月に入ってからだ。あれだけ闘いぬいた人だから、ご家族もきっと、最後は静かに送りたいというお気持ちだったのだと思う。
類まれなこの“炭鉱(やま)の女”がいなければ、日本の現代史もまた少し違う方向へ向かっていたかもしれない、と私は思うことすらある。
祖母、母、自分と、女三代炭鉱に生きてきた。母は幼いころ、筑豊炭田から三池炭鉱(大牟田市・荒尾市)へ。松尾さんは、長屋がひしめく炭鉱社宅で子育てをする、普通の主婦であった。
1963年11月9日、三井三池炭鉱・三川鉱で、炭じん爆発事故が起きた。死者458人、CO(一酸化炭素)中毒患者839人を出す、戦後最大・最悪の炭鉱事故だった。
CO中毒になり、脳を冒された人びとの変わりざまはすさまじかった。まるで子どものようになり、物忘れもひどくなり、15分前のことも覚えていない人もいた。人格が変化し、家の中で暴力をふるうようになった。ずっと続く頭痛や耳鳴りや、わけのわからないイライラを抱えていた。
ただ重症でなければほとんど病気には見えず、そのことがまた、世間の誤解と差別を招いてきた。
夫の修さんも、その一人だ。
子煩悩だったのに、二人の小さな娘たちが笑いあっているだけで、自分を馬鹿にしたと言って平手打ち。夜になると坑内で見た光景を思い出し、松尾さんの腕まくらでなければ眠れない。発作を起こして暴れる時は頭からすっぽり布団をかけ、鍵をかけ皆で外に逃げ出した。
こんな状態でも、修さんは“軽症患者”と診断され、1日も入院することはできなかった。
事故から約1年半、松尾さんはこのままでは自分も他の家族も自滅する。愚痴のこぼし合いでいいからと、「CO中毒患者家族の会」を結成。324人の妻と母が参加。全国に実態を訴えて歩く。
松尾蕙虹さんのことは、20年以上前から、何度か撮らせていただいた。
その度に、言葉がドスンと胸に突き刺さった。
事故から4年目となる1967(昭42)年7月、CO特別立法の制定を求めて、松尾さんたちは上京した。国会の最終日、三池労組の幹部からひそかに、CO立法が廃案になった時は、身分が割れるようなものは持たず、単独で首相官邸に飛び込んで直訴しろ、と命令された。
「やりましょ。国会の塔の上でも昇っていいですよ」と答えた。本気でそう思っていたそうだ。
CO立法は成立したものの、できあがった法律には、自分たちが望んでいたものは何一つ盛り込まれなかった。
患者と家族の苦しみは置き去りにされたままで、CO問題は終焉へと向かっていた。その時に出会ったのが「水俣」だ。
熊本で開かれる水俣病裁判に毎回通うようになった。
自分たちも裁判をしたいと組合に訴えるが、猛反対された。
松尾さんはどうやったら裁判ができるのか、つてを求めて労災専門家、法律家、医者、あらゆる人々を訪ね歩き、全国に手紙を書いた。この時の、たくさんのメモ帳が残っているが、いかに必死に勉強し動きまわったかが、ひしひしと伝わってくる。
裁判しかないと思った妻が、もう一人いた。二人の思いを支援するために、CO研究会が作られた。
「この裁判は妻たちの闘いなんです」とまず訴えた。
「どうして家族が原告になるんですかと言われたから、私たちは、主人の陰の人間ではないって。自分が精一杯生きたという証をどこかで残しとかないと、いつも主人の陰で、何もできなくて暮らしてきたような、人格じゃない。自分の人格も認めてもらわんと。軽症患者の家族が、どれだけ苦しんだかというのが、表面に出ないから。私原告になりますって言ってですね」
しみじみ振り返って語った。
「やっぱり、女だったからやれたという気もするですね。女だったから、患者を抱えて、子どもを支えてですね、やれたんだと思うですね。」
炭鉱の労働は妻の協力なしにはやっていけない。でもそれまで、妻への慰謝料を考えた人はいなかった。三井に対する要求額をいくらにするのか。松尾さんは答えた。
「1円か三井の財産全部」
三井鉱山がきちんと謝罪し、被害者のためを思っていろいろやってくれるのなら、1円でよかった。
相手は、国と大企業の連合体であった。自分たちが勝てるという保証はどこにもなかった。でも、たとえ負けても判例として残そう。何年間か闘ったという記録だけは、日本の法律の中に残すのだ。だから和解は絶対ありえない。妻たちは約束をした。
「三井鉱山という大きな象に踏み潰されても、その足をチクリ、チクリと刺して、蟻は蟻なりに死のうね」。
こうして、たった2家族4人による“家族裁判”が始まった。
事故から10年目となる、1972(昭47)11月、松尾さんたちは、患者への損害賠償と妻への慰謝料を求めて三井鉱山を提訴した。
その翌日、三池労組は三井鉱山に賠償を求めて、患者と遺族によるマンモス訴訟を起こすと発表。
以降、訴訟を取り下げてマンモス裁判へ合流しろ、組織に従わなければ修さんを除名する、と言われた。それは会社から解雇され、退職金をもらえなくなる、ことであった。
「退職金は捨てます。金は欲しいですよ。でも、理屈に合わん金は、あたしは手にするつもりもないから、やってください。そのかわり三池労組相手に、あたしがもうひとつ裁判起こすだけの話だから。それで、組合の体面が保てるならやってもらっていいです」
と、答えた。松尾さんはこうした動きを“団結公害”と呼んだ。
三池争議の組合分裂で、三池労組の力は弱くなってはいたが、日本で最も有名な労働組合であり、そこに歯向かうのは、“ヤマのおきて”に反することでもあった。
1997(平9)年、3月30日。三池炭鉱は閉山。
その翌年、最高裁は上告を棄却。理由は、地裁、高裁と同じく「妻たちの苦しみは、慰謝料を請求できるほどではない」。裁判は26年間続いた。最後は一人であった。
でも松尾さんは、晴れ晴れとした顔で言った。
「自分の足で土俵の上に上がって、一石を投じたことは勝ちだったと思うんですよ。」
裁判の中で、当時大量の炭じんが坑内にたまっていたことが判明。事故の原因は三井鉱山にあることが立証されたからだ。
実は事故の翌年、遺族は三井鉱山の社長以下を殺人罪で告訴。福岡鉱山保安監督局は、鉱山保安法違反などで三井鉱山と三池鉱業所所長らを、続いて福岡県警は、業務上過失致死傷事件として書類送検したが、すべて不起訴となった。「これ以上事故原因を究明するのは不可能」という理由であった。
家族裁判がなければ、真実が永遠に闇に葬り去られるところだった。
たった一人で、国と巨大企業と、大組合を相手に闘った人はかつていなかったし、今後も現れないと思う。
あの頃、苦しい時に、松尾さんはよく詩を書いた。一つ紹介したい。
「半未亡人
それは昭和38年11月
あのいまわしい爆発で CO患者となった夫をもつ
あなたを呼ぶ代名詞
あれから4年の才月を経ても
頭痛、耳鳴り、難聴 ものわすれに苦しみ
幼子のように あなたの腕の中に 眠る夫に
妻として 女としての 喜びもなく あなたは
深い悲しみに おちこむ
その悲しみのなかから あなたはひとつの光をもとめて
もがき 苦しんでいるのだ
半未亡人
どんなに苦しみもがいても あなたは生きねばならぬ。
それは あなたにも二つの 宝石があるから
あなたの笑顔を待つ 二つの分身の未来のためにも
あなたは生き 斗うのだ
半未亡人
勇気を出すのだ 苦しみは あなただけのものではない
合理化の嵐にさらされている 多くの仲間と歩く限り、
あなたは一人ではないからだ
力強く 歩くのだ 前を向いて 力強く」
私は松尾蕙虹さんから、決してあきらめない素敵な信念をもらった。
今、原発事故や戦争や様々な問題が起きている時、彼女ならどう行動するだろうか、と考えるのは、一つの指針になっている。
松尾蕙虹さんのことはとても、短い文章では書ききれない。
さらに知りたい方は、以下を観たりお読みください。
映画『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』(2005)
DVDもAmazon Prime の配信もあります。
岩波書店 「ひとびとの精神史 第3巻 六〇年安保 1960年前後」に 〔松尾蕙虹―三井三池炭鉱・立ち上がる妻と母たち〕を書きました。。
大牟田市石炭産業科学館が所蔵する三池炭鉱映像証言ライブラリーの中に、まとめました。
「松尾蕙虹さんが語る三池炭鉱1 炭鉱の女たち」
「松尾蕙虹さんが語る三池炭鉱2 CO患者と家族の日々」」
・死の前日、作家から西山朋佳へ 棋士編入試験で読み返したメッセージ
メッセージを受け取った翌日、優しかった人はいなくなってしまった。本当の挑戦を始める自分の支えになる言葉を残して。将棋の西山朋佳女流三冠(29)が22日、棋士編入試験五番勝負の最終第5局に臨む。柵木(ませぎ)幹太四段(26)に勝利すると、女性として初めての棋士となる。棋士養成機関「奨励会」在籍時から声援を送り続けた元「将棋世界」編集長で作家の大崎善生さんは昨年8月3日、下咽頭(いんとう)がんのため66歳で亡くなった。大崎さんはなぜ西山を支え、何を願ったのか。大崎さんの妻である高橋和女流三段(48)と西山本人に話を聞いた。
・海渡雄一さんFB投稿(2025/1/29):「山際さんの偲ぶ会の案内が届きましたので、切通さんの投稿を共有します。私も参加します。
山際永三さんは昨年11月28日に亡くなられました。映画監督にして社会活動家でした。私にとっては、私が弁護している再審事件の三件について、弁護団・支援者グループの中核として、支え合ってきた同志だと思っています。
一件は、私が弁護士になった年に受けた国選弁護事件で、死刑が確定したSさん事件。二件目は、折山敏夫さん、三件目は、天竜林業高校事件の北川好伸さんです。
昨年10月21日に、折山さんの事件と天竜事件を一緒に担当している小竹弁護士と岩崎さんと三人で山際さんのご自宅を訪ね、病床を見舞いました。懐かしい話をすることができ、奥様との楽しい思い出、苦しい思い出なども聞きました。山際さんはすでに寝たきりでしたが、意識ははっきりしていて、いろんなことを話してくださいました。
山際さんの業績をまとめた池田先生の著書がちょうど完成して自宅に届いたばかりで、とても喜んでおられました。」
切通理作さんの投稿:「告知開始!
2025年2月23日(日)
怪獣・子ども・犯罪
そして壁の中のリアリズム
追悼・山際永三監督の全貌
※山際永三監督作品『罠』(未ソフト化)、および未公開の遺作上映有
出演 池田嘉郎(『山際永三 壁の果てのリアリズム──映画運動とテレビドラマ』著者/東京大学大学院人文社会系研究科教授)
白石雅彦(映画評論家)
切通理作(ネオ書房/司会)
13時開場、13時30開演
予約1500円
当日2000円 +ドリンク代500円
予約・kirira@nifty.com
※切通理作Messengerでも受付させて頂きます
会場・神保町ブックカフェ二十世紀(運営・ネオ書房)
※写真は、ご逝去後、長年理事を務めた日本映画監督協会の昨年末忘年会にて写真参加された時のものです。」
・障害者の芸術運動に生涯をささげた社会運動家、播磨靖夫さん(2024年10月に82歳で死去)