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少女マンガとトラウマ

──今回はジャムさんのリクエストに応えていただきましょう。「もしできましたら、三原順について書いていただけますでしょうか? あるいは、「花とゆめ」。よろしくお願いいたします」。

横道 私は10代の頃、きわめつきのマンガ大好き人間でした。

──原体験は少女マンガでなくて、もっと一般的な少年マンガなんですよね?

横道 はい。私の場合も現代の多くの日本人と同様、最初は当時黄金期だった『週刊少年ジャンプ』に夢中になったところから始まります。

──80年代ですから、『DRAGON BALL』、『キャプテン翼』、『北斗の拳』、『CITY HUNTER』などの時代ですね。

横道 私にとっては『キン肉マン』と『聖闘士星矢』がとくに重要でした。前者ではいろんな国の超人が出てくるから、外国の名前を覚えるのが楽しくなり、それぞれの国を世界地図で確認したり、首都の名前を覚えていきました。後者ではギリシア神話や星座がモティーフになっているので、古典文学や宇宙への関心が芽生えました。

──たくさんの国に旅したことを『イスタンブールで青に溺れる』(文藝春秋)で書いていましたし、今度出版される本は『グリム兄弟とその学問的後継者たち──神話に魂を奪われて』(ミネルヴァ書房)なので、「三つ子の魂百まで」とはこのことですね。

横道 自閉スペクトラム症者はしつこいんです。小学4年生のとき、手塚治虫が亡くなったのをきっかけとして、手塚治虫、石森章太郎、藤子不二雄などのトキワ荘系のマンガ家たちに興味が湧き、たくさん読むようになりました。他方、妹が読んでいた『りぼん』も気になりだして、同時代の少女マンガに関心が湧きました。両方の関心が融合して、「レトロな少女マンガ」がどんどん気になってきたという感じですね。

──少女マンガはどのあたりがいちばん好きだったんですか。

横道 最初は『りぼん』の当時の作家。『ときめきトゥナイト』などの池野恋、『姫ちゃんのリボン』などの水沢めぐみ、『耳をすませば』などの柊あおい、『ちびまる子ちゃん』などのさくらももこ、『お父さんは心配性』などの岡田あーみん。

──同世代の女の子に人気があった作品ですね。

横道 しばらくすると、古本屋に通うようになって、『りぼん』の過去の作家たちが気になるようになりました。70年代の「乙女チック・ラブコメ」です。太刀掛秀子、陸奥A子、田渕由美子など。彼女たちは私が子どもだった頃の『りぼん』に掲載されていた作品群にとっても、直接の源流ですね。そういう「ルーツ探し」がおもしろかったんです。

──そのあたりには自閉スペクトラム症の「こだわり」が感じられますね。

横道 じきに『りぼん』以外の作家を読むようになりました。最初は岩館真理子やくらもちふさこなど、系統が近い『マーガレット』系。そのうち『ぶ〜け』系と『花とゆめ』系がとくに好きになりました。『ぶ〜け』も『りぼん』の流れですね。「りぼん」で「マーガレット」を結えて「ぶ〜け」という発想で誌名が付けられたそうですから。

──へえ! そうだったですか。それは知らなかったな。でもその三誌は集英社で、『花とゆめ』は白泉社ですよね。

横道 白泉社は集英社から枝分かれした会社で、いわゆる一ツ橋グループに属してるんですよ。最初期の「花とゆめコミックス」は『りぼん』や『マーガレット』に掲載されていた作品も多かったんです。

──それも知らなかった。それで、『ぶ〜け』や『花とゆめ』のどのあたりが魅力的だったのでしょうか。

横道 私がそういう系のマンガを読んでいた当時は90年代半ばだったのですが、その頃の大衆的な青年マンガ雑誌では『アフタヌーン』がいちばん前衛的だったと思います。そういう「尖ってる」少女マンガ雑誌が、80年代では『ぶ〜け』や『花とゆめ』だったんです。『ぶ〜け』では内田善美や、吉野朔実や、松苗あけみ。

──ふむふむ。『花とゆめ』では?

横道 まずはいかにも80年的なポップさが印象的だった川原泉、清水玲子、日渡早紀、山内直実、ひかわきょうこなどを気に入りました。でも70年代のシリアス系にさかのぼると、さらにおもしろいと思った。私はネクラで陰キャですから。美内すずえ、和田慎二、山岸凉子など。

──美内すずえは『ガラスの仮面』の作者ですね。

横道 あえてすべての少女マンガから、ひとつだけマイベストを選べと言われたら、その『ガラスの仮面』か、萩尾望都の『ポーの一族』か、内田善美の『星の時計のLidell』かで悩みます。

──萩尾望都は少女マンガ界の手塚治虫と言われたりする人ですよね。

横道 手塚治虫に比べると、マンガというジャンルそのものへの貢献度はかなり差があると思いますが、日本マンガ史上もっとも影響力が大きかったと思う作家を10人選べと言われたら、おそらくそのなかに入る描き手だろうとは思います。

──やはりすごい人なんですね。

横道 『花とゆめ』のマニアになりましたが、文学作品も好きだったので、その方面の趣味が融合してきて、徐々に70年代の『少女コミック』に興味の焦点が移動していきました。萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子のあたりですね。最終的には60年代の貸本少女マンガが私にとっては約束の地でした。萩尾望都のルーツのひとりとしても知られる矢代まさこのマニアックな収集家になったのです。

──それにしても、そんなに詳しくなったなら、だいぶ読んだわけですよね。そうとう散財したんじゃないですか。お小遣いをたっぷりもらっていたんでしょうね。

横道 そうではなくて、行きつけの本屋がいかにも大阪らしい「安くてうまい」系の品揃えだったんです。在庫がだぶついた本を1冊30円、5冊なら100円で毎日バーゲンセールしていました。100冊買って、たったの2,000円。いまなら「まんだらけ」で数万円というものでも、20円でバンバン売っていた。

──それはすごい。

横道 私はそこに原則として毎日通って、5年のうちにマンガの蔵書が8,000冊ほどになりました。19歳のときに蔵書リストを作って、ちまちまと数えてみたら、そのくらいだったんです。そのうち7割以上は少女マンガだったと思います。

──話がだいぶ大掛かりになりましたが、リクエストにあった作家名の「三原順」についてのご見解は?

横道 三原順と言えば、まず単行本のジャケットの絵柄にショックを受けますよね。グニャッと歪んだ印象がある。「この絵柄にショックを受けた」少女マンガ家ベスト5を挙げるなら、『呪われた城』とかの山田ミネコ、『最後のストライク』とかの頃の井出ちかえ、『ラグリマ』とかの頃の山岸凉子とともに『はみだしっ子』の頃の三原順は入賞しますね。

──名前を挙げていた描き手の数を確認すると、ベスト5ではなくて、ベスト4のようですが、なるほど、おっしゃることはわかる気がします。

横道 そして三原順の場合は、絵柄以上にフキダシの割合が、つまりセリフ量がやばかった。

──マンガの世界では「ネーム」って言われるやつですよね。

横道 ネームには絵コンテの意味とセリフ(モノローグ含む)の意味があるので、ちょっとややこしいですが、そのとおりです。代表作の『はみだしっ子』の内容は、当時としては画期的な解像度で、虐待経験のある子どもたちを描写しながら、社会問題に向きあわせていくという内容だった。

──社会派の作品なんですね。

横道 読みすすめながら、「オレはこの作品を魅力的だと思っているのか、嫌悪を感じているのかよくわからない」と思ったことを覚えています。小説で言えば、埴谷雄高の『死霊』や夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読んでいるときに似た感触がありました。

──『死霊』や『ドグラ・マグラ』は日本が舞台、『はみだしっ子』はアメリカやイギリスを思いださせる欧米社会が舞台ですよね?

横道 欧米の近代精神史をむりやり日本的情緒で編みなおなしたような読み味、という点では似てるんじゃないでしょうか。読んでいると、日本人としての実存が問いなおされてる気分になってくる。

──そういう感じ方もあるんですね。

横道 高校時代はおとな向けの文学作品もたくさん読むようになっていましたが、そんな背伸びした私から見ても、難解なマンガだと感じられました。

──どのあたりが難しかったんですか。

横道 主人公たちは、90年代半ば当時から頻繁に話題になりだした「アダルトチルドレン」、つまり機能不全家庭で育った子らなんです。その社会問題を15年くらい前に先取りした作品だったんです。

──先駆的でもあったと。

横道 私自身がアダルトチャイルド(アダルトチルドレンの単数形)でしたが、私はカタカナ語がもともとあまり好きでなく、当時は福祉系の問題にも関心がなかったので、そのアダルトチルドレンがじぶんの問題だと長らく気づけないままになったんです。少女マンガや文学作品のほかに『新世紀エヴァンゲリオン』にも夢中でしたが、この作品がアダルトチルドレンの問題として論じられるのをよく見かけつつ、やはりよくわからなかった。

──では『はみだしっ子』の内容もあまりピンと来なかった?

横道 正直に言うと、そうなのです。この作品では、主人公たちの過去のトラウマが執拗に問題になってくるんですが、それもピンと来なかった。

──横道さんって、本を読むかぎりではトラウマまみれの人ですよね?

横道 高校時代の私は、小学生時代の虐待は過去のことだと考えていましたし、それが一生を左右する問題だとも気づいていなかった。大学生になって親元を離れてから、ひっきりなしに虐待経験がフラッシュバックするようになって、初めて「じぶんはどうなってしまうんだ」とびっくりしたんです。

──なるほど、親元にいるあいだはトラウマにフタをしていたんですね。自活するようになってから、そのフタが開いたと。

横道 そうなんです。虐待した相手が身近にいるうちは、フラッシュバックって起きにくく、自傷行為をしたり、嗜癖に溺れたりということも少ないそうです。虐待した相手から離れて、安心できる環境に身を置くことができてはじめて、パンドラの箱が開くようにして、トラウマが荒れくるうようになるらしい。

──それでは、トラウマのフタが開いたあと、『はみだしっ子』を読みかえそうとは思わなかったんですか。

横道 それが思わなかったんですね。大学生になって、文学研究という専門分野との出会いを経験した結果、少女マンガに対する熱意は冬眠状態に入ったのです。興味がなくなったのではないですが、お金をかけるべき対象も専門分野の勉強ということになりましたからね。

──なるほど。

横道 しかし、その時期に新たに知った伸たまきの「パーム」シリーズという少女マンガにのめりこみもしました。あの作品は『はみだしっ子』の後継ぎという感じがあります。作者はのちに「獣木野生」という筆名に改名したことからも想像がつくとおり、スピリチュアル系やディープエコロジーに傾倒していった人で、私を含めて多くのファンがその変貌ぶりに失望したのですが。

──それでは、いまこそ『はみだしっ子』を読みかえすべきときかもしれませんね。

横道 読みかえすのが怖いけど、古本で買ってみようと思います。ちょうどアダルトチルドレンを題材にした本を書く依頼をもらっていますから。

──横道さんの『はみだしっ子』論を楽しみにしています。


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