
はじめてのあなたへ 渡り鳥のように、僕も自分の居場所を持たない
書き手 : はじめまして。MAKOと申します。
僕がこれから綴っていく記事があなたにとって、「読む価値があるか?」判断していただくために、僭越ながら5分ほど、僕の自己紹介をさせていただきます。
砂糖を加えた少し甘めのホットミルクティーを飲んでリラックスしながらお付き合いいただければと思います。
インド Lake Palace Hotel でのアフターヌーンティー
渡り鳥のように、僕も自分の居場所を持たない
僕は”建築家”という立場で、
「世界中をおとづれながら人や環境に触れるライフスタイル」という人生のテーマを掲げて生きています。
これは僕が幼少期に8年半シンガポールと香港に住んでいたことから始まり、
フランス、アメリカ、ジンバブエ、インド、ニュージーランドなど25カ国、渡航回数80回を超えています。(2020年8月時点)
様々な大陸や島々を巡った経験や学びを踏まえ、
何が良いのか、何が悪いのかという二項対立的な考えに捕らわれずに、柔軟な発想を持ちながら、
自分のライフスタイルやデザインの方向性を考えるようにしています。
そして、そのトレーニングのため、僕はこれまでも本業の傍ら、意識して新しい土地に訪れて人や環境に触れるようにしてるのです。
インドへは建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞した、バルクシュナ・ドーシに会いに行き、事務所を案内してもらう
フランスでは近代建築の巨匠のル・コルビュジエが設計した、ロンシャンの礼拝堂に行くためにパリから車で徹夜で走った。明け方に力尽きた先で見た朝霧の農村風景のに一番感動
ハイパーインフレで経済破綻したアフリカ南部のジンバブエでは、お世辞にも綺麗とは言えないボロボロの寝台で地元の2人と列車旅
極寒のシルクロード、中国の敦煌で真冬のゴビ砂漠をひたすら歩き、悠久の旅に思いを馳せる
建築との出会い 阪神淡路大震災と香港の摩天楼
「わぁ、地震が来たらドミノ倒しだ」
香港島の高台のマンションに着いて、
初めて窓の外の高層ビルの立ち並ぶ景色を見た時の僕の第一声。
阪神淡路大震災の惨状が記憶にあった1997年のことだ。何しろ、凄い傾斜に危なっかしく筆がひっかかっているように建っているビルが多いのだ。
何だかとても危険な所に来てしまった気がした。
これは、僕が中学3年生のときに当時の香港生活を振り返ったときに朝日新聞のコンクールに投稿した文章の書き出しです。
当時、大手電機メーカーに務めていた父に連れて行かれ香港に移り住んだとき、強烈に印象に残ったのは人々の熱気やスパイスの八角の独特の香りではなく”高密度に立ち並ぶ超高層の建物郡”であった。
当時全く建築の知識のなかった僕でさえ、イギリス人建築家、ノーマン・フォスター設計の”香港上海銀行本店ビル” と 中国系アメリカ人建築家、イオ・ミン・ペイ設計の”中国銀行タワー”がどれだけ素晴しいものかというのも感じとることができたと思います。
幸いにも営業職だった父には「これからは会社員ではなく、手に職を持てるような職業がいい」と背中を押してくれて、建築家に向けて将来すすむ事に決めました。
ビルの背後に山が連なる香港島 平らな土地がほとんどないのだ
坂 茂の鞄持ちを経て 7年間で60以上のプロジェクト
「建築の仕事で修行するなら、世界中をプロジェクトで
飛び回っている建築家のところで働きたい!」
と思い、早稲田大学建築学科の古谷誠彰研究室で修士を得て、日本人建築家の坂 茂の事務所の門をたたきました。
坂 茂は東京、パリ、NYに事務所を持ち、多拠点化を実現している建築家の一人でもあります。
また、被災地への避難所間仕切り支援を行うことでも知られ、各地を飛び回っています。
引用:http://www.shigerubanarchitects.com/works/2011_paper-partition-system-4/index.html
プロジェクトで日ごとに居場所が変わるので、休まることがなく、
まさに止まることをしらない、黒マグロのような建築家と思えてしまうほどでした。
世界を駆け巡る体力、思考法やデザインやプロジェクトマネージメントの能力は他の建築家よりもずば抜けており、
前出したバルクシュナ・ドーシと同じく、建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を2014年に受賞してます。
所属していた7年間は、まるで遠洋漁業にでていたかのように、あっという間でした。
入ってすぐには出先に同行して鞄持ちのようなことも経験もさせていただきました。
20リットルくらいのリュックで建材サンプルをフランスから持参してきたらしく、15キロほどの重さがあり、いくらTUMIの頑丈なリュックだからといっても軋んでしまうほどでした。
「これが世界を飛び回る建築家が背負う重みか。。。」
などと勝手な想像をしていた頃も、いまでは懐かしいと思えます。
その後、7年かけて国内・海外のプロジェクトを60件以上に携わりました。
主なものでは、以下のプロジェクトがあります。
2013年 CALYPSO Restaurant & Lounge 上海、中国
引用:http://www.shigerubanarchitects.com/works/2013_calypso_jingan/index.html
2014年 Skolkovo Golf Club House モスクワ、ロシア
引用:http://www.shigerubanarchitects.com/works/2014_skolkovo/index.html
2016年 光と翳の家 東京都
引用:http://www.shigerubanarchitects.com/works/2016_hikari/index.html
2017年 静岡県富士山世界遺産センター 静岡県、富士宮市
引用:http://www.shigerubanarchitects.com/works/2017_fujisan/index.html
2018年 ショウナイ ホテル スイデンテラス 山形県、鶴岡市
引用:http://www.shigerubanarchitects.com/works/2018_suiden/index.html
400人以上の国際インターンとのコラボとネットワーク
坂 茂の事務所では毎年多くのインターン生が海外から来て一緒に切磋琢磨できる環境が整っていました。
多い時には月に15名ほどのインターン生が在籍して、僕は彼らのサポートをする役割でした。
普段は一緒にプロジェクトをしたり、仕事帰りに渋谷のクラブに行って朝帰りなど、楽しい日々を過ごしていましたし、
そんなこともあったりして、信頼関係を築いていき、
僕が逆に海外に行くと食事をご馳走してもらったり、現地の大学でレクチャーをお願いされたり、仕事場に案内してもらったりと、
世界中の建築やデザイン関係者との400人以上のネットワークが自然とできているようになりました。
インド、アーメダバードのCEPT大学でのレクチャー
施設オープン前の台湾、台中オペラハウスを見学させていただいた
オーストラリア、メルボルンでは共通の友人を集めて建築巡りと建築談義
新型コロナ、インドがロックダウンで帰国できず…
最後になります。いま、あなたが飲まれているミルクティーが冷めないうちに、重要な事を簡潔にお伝えいたします。
僕は2019年秋、事務所を退所後、世界の建築を見る旅に出ていました。
予定では2020年の10月までの旅でしたが、世界を見ていただいてわかる通り、新型コロナの影響で滞在先のインドから4月1日に帰国。
「嘘であってほしい!」とこれほどまで思ったエイプリルフールがこれまであったでしょうか!?
当時はインドに2か月滞在していました。3月25日のインド・モディ首相による全国ロックダウン宣言のため、帰国できずに取り残されて、そこから一週間かけて帰国の手続きが済み、無事帰国となったのです。
3月23日、インドの州間の移動が制限。
歩いてタミル·ナードゥ州とポンディチェリーの州境を渡る。その向こうに移動手段があるかはわからなかった。
そして、
現在、このコロナ禍のなかで、独立のための事務所設立に向けて、僕は動き出しています。
本音を言うと、コロナが収まるまで山奥に籠りたい気分満々です。それでも、先行き不透明な現代社会、いろいろと考えることは多いです。
そろそろお約束の5分が経ちますので、
今後「note」の連載で主に以下の5つのことについて書いて「あなた」とシェアしていきたいと思います。
・これからを生き抜く為のアイデアやあり方
・建築やデザインについての見解
・建築デザイン事務所の設立から運営について考えたこと
・世界中をおとづれながら人や環境に触れるライフスタイル
・世界中のネットワークを活かした”集合知”の発信
これらは、今まであなたが聞いてきた話とは違った切り口でお伝えできると思います。
今後ともぜひお付き合いいただけるのでしたら、”フォロー”していただけますと大変励みになります。
また、今回たまたま、ホットミルクティーを片手にこの記事を読まれなかった方、
あなたにとってのティータイムに華を咲かせるくらいの価値は提供できると思いますので、またお楽しみいただければと思います。
最後までご拝読いただきありがとうございました! 気軽にコメントしていただけると嬉しいです!