「引き返すという自由」がある。
朝目覚めたての身体は縮こまっていて、伸びやかとは程遠い。
朝早い時間帯にヨガに取り組む際に気を付けているのは、どこかぎこちなく窮屈な身体を無理に、自分の力で伸ばそうとしないこと。
朝日が次第に昇り、ほの明るい部屋が一層明るさを増してゆく中で、重力に身を任せると、自然に「伸びるべき方向」へと身体が伸びてゆく。
「自分で伸ばそう」という意識が入り込むことはなく、無為である。
そして、委ねる中で「自然な方向」が見出されると、時に「自然ではない」という違和感を覚えることもある。
そのような時は「来た道を引き返す」ことが時に大切だと感じる。
最初に戻ってから、あらためて「自然な方向」へと身を委ねる。
自分の身体には、刹那の動きの積み重ねとしての「文脈」がある。
身体の文脈、自然な方向、そして引き返す自由。
進む方向に制約はなく、いかなる方向にも進めるはずなのに「引き返す」という自由が無意識のうちに見えにくくなってしまうのはなぜだろう。