身体動作、思い起こすこと、そして「同期する身体」〜記憶を思い起こすことを通じて〜
「記憶と流れ」
何かを思い起こそうとしても、なかなか言葉が出てこない時がある。
そんな時、静止した状態で頭の中を探ろうとするよりも、口を動かしたり、身振りや手振りをつけることで、ふとした瞬間にその言葉が出てくることがある。
来るべき言葉を迎えにいくような感覚であるが、この核心は「流れが周囲を引き込んでゆく力・作用」にあるのではないか、と思う。
忘れていた「その言葉」を発していた頃の私は、流れるように、よどみなくその言葉を発していたはずである。
すなわち、身体動作により記憶のアーカイブから言葉を取り出していくうちに、動作の重ね合わせを通じて「流れるように言葉を使っていた頃の身体」に自らが同期してゆくのではないだろうか。
過去に流れていた身体に、いまこの瞬間に流れを失っている身体が歩み寄っていくと、どこかで流れに乗ることができる瞬間がやってくるはずである。
「思い起こすこと」もまた流れの中にある。同期する身体。