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渦、差異、そして個性〜互いが互いを巻き込みながら発展、進化してゆく〜

渦。

物理現象の一つである「渦」は流体の運動におけるエネルギーの変化や外部からの力の影響によって発生する。

一般的に、渦は「流れの不均一性」「回転運動」「圧力差」などによって生成される。

「流れの不均一性」とは、つまり流体が異なる速度で流れると、速度の違いによって渦が発生することを指す。例えば、川の中で障害物があると、その周りに渦ができることがある。

「回転運動」については、流体が回転する場合に、コリオリの力(回転する球体上で物体が直線的に移動する際に、その運動の方向が曲がる見かけの力:慣性力)などによって渦が発生する。

次に「圧力差」については、流体の中で圧力が異なると、圧力の高い部分から低い部分へ流れが生じ、その結果として渦が形成される。

身の回りの物事がどことなく「渦を巻く」ように、勢いを増してきたように思う。

互いが互いを巻き込みながら進んでゆく。

広く長く先まで見通す人、素早く考えて実行する人、熟慮に熟慮を重ねる人、信じて突き進む人、(鵜呑みにしない意味で)批判的に捉える人など。

多様な個性が重なり合うと一筋縄ではいかず、ある意味で捻じ曲がりながら発展、進化してゆく。

「個性・差異がうねりを生み出す」感覚を覚える時、渦に照らしてみたい。

しかし一切を黙して了えば、心の働きも絶えるから、言説を越える世界を見つめつつ言葉を用いるより仕方がない。それで「不言の言」などという表現に入るのである。民芸美に妙理を感じるのば、不言の言ともいうべき性質があるからであると述べてもよかろう。妙理と云ったが言葉に余るものが、その美さに感じられるからである。吾々の様にとかく二元にまつわる者から見ると、かかる如美に示される性質は、何とも不思議に思われるのだが、それは恐らく吾々が余り「如」から「中」から「不二」から又「自在」から遠のいた暮しに在ってものを眺めているからであろう。

柳宗悦『仏教美学の提唱』

終りに一言添えたいが、右の様な考えは、天才が不要だとか、無用だとか述べているのではない。又美意識、即ち美醜への判別が不用だとか有害だとかを述べているのでもない。且つ又用いる品に一々選択を加えることは無意味だと述べているのでもない。老子の言葉がよく示唆する様に、今は美の末世であり、乱世であって、吾々はこれを反省し改革する必要に迫られているのであって、この場合、天才の出現は要望せられ、美意識の整理は須要とせられ、美醜の判別は是非とも必要になってくるのである。しかしこれは時代が悪くなった為で、天才主義、個人謳歌、知識主義が、いつも至上な考えや態度だという事にはならない。それは時代が悪い限り必要だという迄なのである。

柳宗悦『仏教美学の提唱』
書肆心水オフィシャルサイトより

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