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倫理の創造性

今日は『手の倫理』(著:伊藤亜紗)より「不確かな道を創造的に進む」を読みました。

本節の主題は「倫理の創造性」です。

道徳と倫理は「タテマエとホンネ」ではなく「一般と個別」として対比される。倫理的な判断というのは、まさにその人が置かれた状況、その人自身の固有性(身体性、生活環境、経験など)に影響を受けるという意味で「個別的・具体的」なのでした。

そして、そうした判断を迫られる状況というのは「悩み」「わりきれなさ」が存在する。「一般的にはそうかもしれないけれど、でも...」という悩み。

その悩みの中で、最善解・納得解を見つけること、折り合いをつけることは「本当にそれでよいのか」という葛藤や不安と向き合うこととなるけれど、とても創造的な営みである。それが本節における著者のメッセージです。

それでは、一部を引用してみます。

 これに対し、倫理においては「すべき」とは別に「できるかどうか」という審級があります。「嘘をつくべきではないことは分かっている。でも、真実を伝えることは彼女を傷つけることになるから、少なくとも今の私にはできない」。まさにこうした、「すべきだができない」状況に、人はしばしば陥ります。「すべきことができる」ならば、それは道徳でよいのです。けれども、それでは解決できないとき、逡巡しながら、人は自分なりの最善の行為を選ぼうとします。倫理が問題になるのは、この迷いにおいてです。
 倫理に「迷い」や「悩み」がつきものである、ということは、倫理が、ある種の創造性を秘めているということを意味しています。なぜなら、人は悩み、迷うなかで、二者択一のように見えている状況(「女性に施しをするか否か」)にも実は別のさまざまな選択肢がありうること(「慈善団体に寄付をすること」「格差や貧困について研究すること」「子供がアメリカ社会について学ぶ機会をつくること」)に気づき、杓子定規に「〜すべし」と命ずる道徳の示す価値を相対化することができるからです。もちろん、それは定まった価値の外部に出ること、明確な答えがない状態に耐える不安定さと隣り合わせです。しかし、この迷いと悩みのなかにこそ、現実の状況に即する倫理の創造性があるといえます。
 この場合にはこうしなさいと道徳的に説いたり指図することは、一般的に言って、倫理の目的ではない。その真の目的は、考えるための道具を与え、考え方の可能性を広げることにある。世の中にはそんなに単純で明確なことなどめったにないということを認め - これは倫理の根本である - 、それを踏まえて、困難な問題を考えていく、そのためには倫理はさまざまな可能性を示すのである。だから、進むべき道を求めて格闘し、不確かなままに進んでいく、それなしには倫理はありえない。

ふと「道徳と倫理」は「守・破・離」の関係にあるのだな、と思いました。

本節では倫理学者のアンソニー・ウエストンが引用されています。

中でも「この場合にはこうしなさいと道徳的に説いたり指図することは、一般的に言って、倫理の目的ではない。その真の目的は、考えるための道具を与え、考え方の可能性を広げることにある。」という箇所が「守・破・離」の関係性を想起させました。

道徳というのは「型」であると考えてみます。つまり、先人達が様々な経験から、個人として、社会として共有するに値する一般的指針を定めたもの。その目的は「社会の秩序を安定化させる」「人間同士の関係を調和させる」といったことが挙げられるかもしれません。

一方で、「型」の良し悪し・効果というのは文脈に依存する、ということもあるように思います。

「ハンマーを持てばすべてが釘に見える」という言葉がありますが、何かを身につけることは、「盲目的に」その何かを色々と試してみたくなる、振りかざしたくなる衝動に駆られる可能性を秘めています。

ですが「釘を抜く」という目的には「ハンマー」は最善ではなく、釘抜きを使うことが望ましいでしょう。あるいはハンマーしかないのだとしたら、(斜めに打ち上げるなど)ハンマーの使い方を工夫する必要が出てきます。

「倫理」というのは、「道徳は分かるけれど、現実に適用できない」というときに何とか乗り越える。その足場として「道徳」が存在している、と考えると、倫理は「破・離」に相当するような気がします。

「道徳と倫理」は「一般と個別」という分かれた関係というよりも、守破離の中で位置付ければ極めて連続的なのだ、と思いました。

「この場合にはこうしなさいと道徳的に説いたり指図することは、一般的に言って、倫理の目的ではない。その真の目的は、考えるための道具を与え、考え方の可能性を広げることにある。」という著者の言葉は印象的です。

何かを断定的に押し付けることは、可能性を狭めることにもなる。

大切なのは「問いかけること」「安易に答えを出さないこと」「共に悩み考えること」だな、とあらためて思うのでした。

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