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空の色のグラデーションと連続性〜触感がもたらす時間の連続性を重ね合わせて〜

夕暮れから日没にかけて、意識をとどめることなく、ぼんやりと空の全体を捉えるように眺めていた。

一体どこからどこまでが(空の)青なのだろうか。

青、藍、紺、白、灰、橙。

様々な色が重なり合い、混ざり合ってグラデーションを織り成している。

そのグラデーションの通時的変化は、全体を瞬間的、微分的には捉えるよりも、一定の変化の蓄積をもって、段階的に、離散的に捉えることより他ないように思われる。

一方、空のグラデーションを眺めている間、緩やかに身体を包み込んでいる潮風の質感の変化は極めて連続的に感じられるのだから、とても不思議だ。

潮風の質感の変化の連続性が体感としての「時間」間隔を極限まで分割し、離散的な空の変化に連続的に感じさせる。

物理的現象としての「光景」は離散的で、心的現象としての「情景」は連続的であるのだとすれば、後者の「連続性」あるいは「なめらかさ」の源泉は「触感」にあるのかもしれない。

「なめらかなつながり」の回復は、すなわち「触感」の回復から始まるのかもしれない。

何がここで生起している〔geschenhen〕のか。作品において〔im Werk〕何が活動している〔am Werk sein〕のか。ヴァン・ゴッホの絵画は、道具、すなわち一足の農夫靴が真理において〔in Wahrheit〕それであるものの開示である。この存在するものはその存在の不伏蔵性〔Unverborgenheit〕の内へと歩み出る。存在するものの不伏蔵性を、ギリシア人たちはアレーテイア〔ἀλήθεια〕と名づけた。われわれは真理〔Wahrheit〕と言うが、この語ではほとんど何も十分には思索していない。ここで、存在するものの開示が、その存在するものがそれにほかならないものへと、そしてそのもののまさにそれらしいあり方へと生起するなら、作品において真理の生起が活動しているのである。

マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』

芸術の作品においては存在するものの真理がそれ自体を作品の内へと据えてしまっている〔sich ins Werk setzen〕。「据える」とはここでは、立つ〔Stehen〕ことへともたらす、ということを意味する。或る存在するもの、一足の農夫靴は、作品においてそれの存在の明るさ〔das Lichte〕の内へと立つに至る。存在するものの存在は、その輝きの常立的なもの〔das Ständige〕の内へと到来する。

マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』

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