夕暮れから日没にかけて、意識をとどめることなく、ぼんやりと空の全体を捉えるように眺めていた。
一体どこからどこまでが(空の)青なのだろうか。
青、藍、紺、白、灰、橙。
様々な色が重なり合い、混ざり合ってグラデーションを織り成している。
そのグラデーションの通時的変化は、全体を瞬間的、微分的には捉えるよりも、一定の変化の蓄積をもって、段階的に、離散的に捉えることより他ないように思われる。
一方、空のグラデーションを眺めている間、緩やかに身体を包み込んでいる潮風の質感の変化は極めて連続的に感じられるのだから、とても不思議だ。
潮風の質感の変化の連続性が体感としての「時間」間隔を極限まで分割し、離散的な空の変化に連続的に感じさせる。
物理的現象としての「光景」は離散的で、心的現象としての「情景」は連続的であるのだとすれば、後者の「連続性」あるいは「なめらかさ」の源泉は「触感」にあるのかもしれない。
「なめらかなつながり」の回復は、すなわち「触感」の回復から始まるのかもしれない。