"流れが整っている"とは、どういうことだろうか?
「流れが整っている」とは、いったい何を意味するのだろう。
たとえば、整っている「川の」流れをイメージしてみる。
気体や液体の流れの乱れを整えること、あるいは一方向へ流れるようにすることを「整流」というけれど、流れの「方向」が一つに定まっている。
では、「方向が一つに定まっている」とき、水の粒子はどのように動いているのだろう。
一つひとつの粒子が相互に働きかけながら、衝突することなく運動しているのだろうか。
おそらく、一つひとつの粒子(部分)は方向が完全一致してはおらず、ある意味で思い思いに運動しているのではないだろうか。
時に交差するかもしれないし、並走するかもしれない。
それらの運動の総和、総体が巨視的な「表現」、あるいは「かたち」として、一つのまとまりとしての「うねり」をなしている。
全体は一つであるが、部分は必ずしも完全一致した一方向とはかぎらず思い思い。
「全体も部分も方向が完全一致している」というのは、完全に制御(あるいは支配)された状況であり、そのようなケースは稀という意味で「不自然」なのかもしれない。
「自律性のもとで調和している」ということの「表現」あるいは「かたち」とは一体どのようなものがあるだろうか。
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